インタビュー 『社会リーダー』の軌跡西條剛央氏 早稲田大学大学院 客員准教授

物事の本質を探り出す学問「構造構成主義」を創唱し、体系化したことで知られる学問的研究者・西條剛央氏。彼はまた、東日本大震災が起きた翌月に「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げ、日本最大の総合支援組織に育てあげたことでも高名だ。「誰かが統率するのではなく、ボランティア各自が自律的に動く組織」は多大な力を発揮し、間違いなく社会に影響を与えた。新たな組織、リーダーのありようを呈した西條氏の軌跡を探る。

子どもの頃から一貫していた
「理不尽に立ち向かう習性」

物資支援、家電支援、就労・学習支援など、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」から独自に生まれた支援プロジェクト数は50以上。SNSを活用し、行政には手の届かない"地元の求めに即応する活動"には、情報拡散に協力した人々も合わせると、3年半で実に10万人以上がかかわったという。その起点には、西條氏が目にした現地での理不尽さに対する腹立ちがあった。

仙台に実家があって、津波で伯父を失いました。人類がはじめて遭遇する複合大震災の前に、自分の力はあまりに無力でした。何かしたいと思っても何もできなかった。あれほどなんとかできる力が欲しいと思ったときはないかもしれません。2011年3月下旬、ガソリンが回り始めたタイミングで、バンに支援物資を積んで現地に行きました。白黒になった世界。泥にまみれた家族アルバム。嗅いだことのない異臭。割り箸のように折り曲げられた電信柱。ぐちゃぐちゃにプレスされた車。打ち砕かれた巨大な防波堤。圧倒的な破壊の前で立ち尽くしました。その破壊は沿岸数百kmにわたり、続いていました。
その頃、拠点避難所に物資は集積していたのですが、その先に流れず、小さな避難所には届いていませんでした。仙台市は東京都からの物資の受け入れを3月末には中止しており、物資は余っているという報道も流れていました。こんなに困っている人たちがいるのに......とあまりの理不尽さに、義憤といったらいいのか、こみ上げてくるものがあって、「それなら全部俺がやってやる」と思ったのをはっきり覚えています。

物資だけでなく総合支援をする場、プラットフォームはすぐにつくれると思いました。もともと「自己組織化」といった考えは持っていたので、全部自分で行動するのではなく、大規模な支援が成立する仕組みや条件さえ整えてしまえば、全国からの支援は成立するはずだと考えたのです。

活動の根本を支えたのは「構造構成主義」です。そのなかに「方法の原理」というのがあります。これは「方法の有効性は状況と目的に応じて決まる」という考え方です。この考え方を共有することで、目的からはブレないようにして、現地で状況を見ながら、その都度よいと思った方法を採用して、自律的に活動を進めて行くことが可能になったのです。

昨年10月、「ほぼ日」の連載記事『西條剛央さんが洞窟で刀を研ぎ澄ましている』を読んだ母親から「剛央は昔から理不尽に向かっていく習性がある」と言われたという。

3、4歳ぐらいでしょうか。なんか家出めいたことをしたんですよ(笑)。いつも遊んでいた近所のお兄ちゃんが、僕の三輪車を取ってしまったことに腹を立て、家出し、道すがら泣いているところを知らない女性に助けてもらったということがあって......。「家に戻ってきてからも泣きながら訴えていたから、よほど理不尽に感じたみたい」と母は言ってました。

思い起こすと、そういうことはけっこうありました。小学生の頃、手打ち野球とかやっていて、例えば、どう考えてもセーフなのにアウトの判定が下ったりすると、僕は引き下がれないんですね。他の友だちのように「まぁいいか」とは思えないんです。いじめをする子に対して「そんなことをする必要ないだろ」と止めたり、間違っているとはっきりしていることはスルーできない性分というか、そういうところがありました。

自分の役割として、
リーダーを自覚したのは高校生時代

「それは理不尽だ」と思っても、世の中、事象に対して言動を起こせる人ばかりではない。西條氏を動かしているのは、既成の価値観や周囲の目に惑わされない自己肯定感である。それは、母親によって育まれたという。

元来、ぼーっとした子どもだったのですが、母は常に僕を認め、とにかく褒めてくれました。僕の自己肯定感は母によって育まれたところが大きいように思います。他にもいろんな側面で影響を受けています。

高校生の時の話です。僕がある心理学者の本を読んでいると、母は「この本の内容はくどい」とスパッと言ったんですよ。僕は、立派な先生が書いた正しいものだと思い込んでいたから、その言葉は衝撃だったわけです。そう言われてみると、確かにくどかったり、本当かな?と思ったりする箇所が見えてくる。これは、大学の先生だろうがなんだろうが絶対に正しいということはないし、どんな本だろうと相手だろうとその是非は自分で判断していいんだと思うきっかけになったように思います。

一方、父は典型的な"昭和親父"で本当に厳しく、僕にとっては、それこそ理不尽の固まりのところもありましたが(笑)、ブレない強さみたいなものは受け継いだかなと。ある意味、真反対の両親から、それぞれいいところをもらったとは思っています。

西條氏は、学級委員に選出されるかたちで、中学生の頃からリーダーを経験しているが、当初は「面倒くさいし、全然興味がなかった」そうだ。「自分がやるのがいいかも」と自覚するようになったのは、高校生になってからだ。そして、今日につながる心理学に興味を持ったのも、この高校生時代である。

やっていたのは、軟式庭球(ソフトテニス)部の部長です。通っていた仙台三高(宮城県仙台第三高等学校)は文武両道で、伝統的にソフトテニスも強いんです。ところが、僕たちは最後の高校総体の団体戦で苦い経験をしまして。強豪メンバーで臨んだはずが、さほど強くない対戦校に初戦で敗退したのです。原因は、メンタルが備わっていなかったこと。本来実力のある選手が、試合のプレッシャーに押しつぶされてしまった結果でした。

そのときも、「選手たちは皆、猛練習を重ねてきたのに」と、すごく理不尽に感じたんですね。と同時に、「人間の心ってすごいな、面白いな」とも思ったのです。それが、心理学を学びたいと考えるようになったきっかけです。

ちなみにソフトテニスは、早稲田大学に入ってからも続け、僕は学んでいた心理学を応用して、試合に勝つためのセルフコントロールの方法、理論を独自に体系化していったんですよ。それを選手たちに伝えて実践したら、目指していた主要タイトルはすべて獲ることができたんです。理不尽に感じたことをきっかけに学び、独自のことが活かされたということだと思います。

誰もが共通理解できる
原理をつくればいい

こうした独自の理論を作りそれを伝えることで成果をあげるという経験は、構造構成主義という独自のメタ理論を体系化することにもつながっていく。

構造構成主義は、書籍『構造構成主義とは何か』を上梓したときに初めて体系的な理論として世に出したわけですが、その副題は「次世代人間科学の原理」となっていて、人間科学を題材としているんです。そもそも人間科学って、いろんな学問が細分化しすぎたことの限界を超えるために立ち上げられた学問なのに、その意味ではいっこうに進んでいなかったんです。建設的にコラボレーションするどころか、かえって心理学、生物学、法学、医学などあらゆる学問領域に存在するがゆえに、分野の違う研究間で、相互批判のような争いごとが起こりやすいのです。

人間科学という看板を掲げた建物に、それぞれの専門家が集まっているだけで、結局のところ、誰も人間科学などやっていなかった。人間科学部なのに人間科学という名前のつく修士論文、博士論文を書いている人は一人もいませんでした。紀要にあった「人間科学を考える」というシリーズは年々減っていき、最後にはゼロページになりました。つまり、人間科学部が人間科学について思考停止してしまった。でもそれは誰が悪いということではなく、人間科学をするための方法論や理論がなかったからなんじゃないか。すべての学問に通用する原理的な理論、つまり誰もが共通理解できるグランドルールみたいなものをつくればよいのではないかと考えたわけです。

大学院時代に「次世代人間科学研究会」を立ち上げたのは、そうした問題意識からでした。『水滸伝』にある梁山泊の108 人のように、学問領域や立場を超えてすごい連中を集めたら、何か変えられるんじゃないかと思って。実際は300 人ほど集まり、地位や身分と学問的な議論は意識的に切り離しつつ、フラットな関係で建設的に議論を重ねるためのルールを決めて、議論を深めていきました。僕にとってもすごく役に立ったし、構造構成主義の原型もこの場から生まれています。

西條氏には大学院生の頃から"裏の研究テーマ"があったという。それは、「どうすれば腐らない組織を作れるか」。言い換えれば、「機能し続ける組織」をどうすれば作れるか。集団や組織に対する問題意識を持つようになった発端は、学会のありようだった。

みんな立派な先生方なのに、なぜ多くの学会はちゃんと機能しないんだろう。問題意識をもって新しく学会を作る人達はいるのですが、根本的な仕組みが変わっていないので、少し時間が経つと同じように組織が腐っていってしまうのです。頭を使って考える学者達が自分のやっていることについては思考停止してしまっているようにみえるところもあって、それこそ、理不尽をたくさん感じてしまったのです。

僕は友人にも恵まれましたし、すごく素朴に育ったせいか、「建前とやっていることはまったく違う」のがおかしいと思ったし、「そういう本当のことは言ってはいけない」とか明文化されていないルールがよくわからなかったんです(笑)。
例えば、ある学会誌に、学会や公刊された論文について忌憚のない議論を行って、学問を発展させていくといった趣旨の意見論文といったコーナーがあったわけですが、それは建前であって、そこで本当に忌憚のない議論なんかしちゃダメだったりするわけです。

でも、科学は政治じゃないのだから、「1+1=3」は間違っているのは確かなわけで、そのままでは、学問も科学も前に進みません。次世代人間科学研究会は、人間科学を体現するための実験の場でもあったし、「構造構成主義研究」は新たな学術誌のモデルを示す場でもあったわけです。今あるものを批判しても変わらないので、ふんばろう東日本もそうですが、自分で作ってしまって、それをモデルとしてマネする若い人が出てきてくれて、そうした活動が広がっていったほうが早いという発想からだったんですよ。

多くの人たちが
物事の本質に気づき始めている

14年9月、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」は発展的解消を遂げ、新たな体制に移行した。代表として走ってきた西條氏も一区切りがつき、現在は"本業"である研究を深める日々だ。

僕は今、世の中に起きる理不尽の9割は、組織で起きていると考えています。原発にしても、何も人間一人ひとりが真っ黒なわけじゃなくて、肝心な部分が曖昧になっている組織の問題だと思うんですよ。何にでも、どこにでも通用する共通の本質を見いだす構造構成主義は、そういった組織の理不尽、社会の理不尽をなくすための理路を持っています。「ふんばろう」は、構造構成主義を応用した一つの新しい組織モデルとして世界に示せたと思うし、今後は構造構成主義を組織行動に応用した「本質行動学」をさらに深めて、世界に広めていきたいと考えているところです。

そして、リーダーシップで言えば、いろんなタイプがあるわけで、決して固定的なものではないと思うんですね。リーダーシップとはチームを目的達成に導くためのスキルです。そのため、状況と目的によって「有効なリーダーシップ」は変わってきます。そして状況の真ん中にはリーダーシップをとる自分がいるわけです。結局は、その人自身が持つ特性をどう生かすか、自分をどう磨いていくかという話になってきます。ただ、社会リーダーに限定していえば、どんな理由であれ、社会をよりよくしたいという情熱は共通して持っているのかもしれません。

かつて、右肩上がりの時代は「お金を儲けることがいいんだ」という価値観が支配的だったけれど、リーマンショックや震災とかがあって、どうも経済的なことに軸足を置いても幸せになれるわけじゃないと、そこに今、多くの人が気づき始めたように感じています。本質に近づいているというか。僕は団塊ジュニアなのですが、少なくとも僕らの世代より下の世代で「仕事さえしていればいい、お金さえ儲けられればいい」なんて人はいなくて、家庭やプライベートも大事というのがスタンダードになっています。お金も大事だけどできれば世の中もよくしたいよね、そんな感覚も普通になってきたような気がします。

今回の震災支援で大活躍した人には、僕らの世代がすごく多いように感じています。僕自身、震災が起きたときちょうど35歳前後でしたから、社会的にそれなりの力を持ちながらも、偉くなりすぎてないため自由もきくというポジションだというのもあるでしょう。でもそれだけじゃない。団塊ジュニアは、いつも厳しい競争環境下で鍛えられてきて、能力は高いけど、団塊の世代のような「ごり押し」をするのはかっこわるいと思って、すぐ上の世代に配慮するところもありました。でも今、「そんな遠慮している場合じゃない」とリミッターが外れたのではないかと考えています。もともと鍛え抜かれてきた人たちだから、培ってきた力を思う存分発揮し始めた、ということなのかなと。
僕もその世代の一人として、社会に育ててもらって、運良く社会的に影響力を持てるポジションにいるわけですから、これからもやるべきことをやっていこうと思っています。

TEXT=内田丘子 PHOTO=刑部友康

プロフィール

西條剛央
早稲田大学大学院 客員准教授
1974 年、宮城県生まれ。早稲田大学大学院で博士号(人間科学)取得。「構造構成主義」という独自のメタ理論を創唱。この理論を用いて「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を創設し、ボランティア未経験ながら日本最大級のボランティア・プロジェクトへと成長させた。