2014年度研究プロジェクト

西條剛央氏

西條剛央氏
早稲田大学大学院 客員准教授

物事の本質を探り出す学問「構造構成主義」を創唱し、体系化したことで知られる学問的研究者・西條剛央氏。彼はまた、東日本大震災が起きた翌月に「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げ、日本最大の総合支援組織に育てあげたことでも高名だ。「誰かが統率するのではなく、ボランティア各自が自律的に動く組織」は多大な力を発揮し、間違いなく社会に影響を与えた。新たな組織、リーダーのありようを呈した西條氏の軌跡を探る。

子どもの頃から一貫していた
「理不尽に立ち向かう習性」

物資支援、家電支援、就労・学習支援など、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」から独自に生まれた支援プロジェクト数は50以上。SNSを活用し、行政には手の届かない“地元の求めに即応する活動”には、情報拡散に協力した人々も合わせると、3年半で実に10万人以上がかかわったという。その起点には、西條氏が目にした現地での理不尽さに対する腹立ちがあった。

仙台に実家があって、津波で伯父を失いました。人類がはじめて遭遇する複合大震災の前に、自分の力はあまりに無力でした。何かしたいと思っても何もできなかった。あれほどなんとかできる力が欲しいと思ったときはないかもしれません。2011年3月下旬、ガソリンが回り始めたタイミングで、バンに支援物資を積んで現地に行きました。白黒になった世界。泥にまみれた家族アルバム。嗅いだことのない異臭。割り箸のように折り曲げられた電信柱。ぐちゃぐちゃにプレスされた車。打ち砕かれた巨大な防波堤。圧倒的な破壊の前で立ち尽くしました。その破壊は沿岸数百kmにわたり、続いていました。
その頃、拠点避難所に物資は集積していたのですが、その先に流れず、小さな避難所には届いていませんでした。仙台市は東京都からの物資の受け入れを3月末には中止しており、物資は余っているという報道も流れていました。こんなに困っている人たちがいるのに……とあまりの理不尽さに、義憤といったらいいのか、こみ上げてくるものがあって、「それなら全部俺がやってやる」と思ったのをはっきり覚えています。

物資だけでなく総合支援をする場、プラットフォームはすぐにつくれると思いました。もともと「自己組織化」といった考えは持っていたので、全部自分で行動するのではなく、大規模な支援が成立する仕組みや条件さえ整えてしまえば、全国からの支援は成立するはずだと考えたのです。

活動の根本を支えたのは「構造構成主義」です。そのなかに「方法の原理」というのがあります。これは「方法の有効性は状況と目的に応じて決まる」という考え方です。この考え方を共有することで、目的からはブレないようにして、現地で状況を見ながら、その都度よいと思った方法を採用して、自律的に活動を進めて行くことが可能になったのです。

昨年10月、「ほぼ日」の連載記事『西條剛央さんが洞窟で刀を研ぎ澄ましている』を読んだ母親から「剛央は昔から理不尽に向かっていく習性がある」と言われたという。

3、4歳ぐらいでしょうか。なんか家出めいたことをしたんですよ(笑)。いつも遊んでいた近所のお兄ちゃんが、僕の三輪車を取ってしまったことに腹を立て、家出し、道すがら泣いているところを知らない女性に助けてもらったということがあって……。「家に戻ってきてからも泣きながら訴えていたから、よほど理不尽に感じたみたい」と母は言ってました。

思い起こすと、そういうことはけっこうありました。小学生の頃、手打ち野球とかやっていて、例えば、どう考えてもセーフなのにアウトの判定が下ったりすると、僕は引き下がれないんですね。他の友だちのように「まぁいいか」とは思えないんです。いじめをする子に対して「そんなことをする必要ないだろ」と止めたり、間違っているとはっきりしていることはスルーできない性分というか、そういうところがありました。

2015年04月03日