2014年度研究プロジェクト

税所 篤快氏

税所篤快氏 国際教育支援NGO「e-Education」創業者

弱冠20歳で単身バングラデシュに渡り、同国初の映像授業「e-Education Project」を立ち上げ、以後4年連続で貧困地域の高校生を国内最高峰ダッカ大学に入学させるという偉業を成し遂げた税所氏。現在はバングラデシュ教育省と連携し同国全土へのe-Educationの普及を目指す一方で、さらに五大陸でe-Educationを拡大するプロジェクトを推進中だ。日本人の若者としては規格外の人物を作り上げたものは何なのか。税所氏を突き動かすものとは。

仲間やメンターのおかげで
継続できた

ーバングラデシュの貧困層の子どもを同国最高峰の大学に入学させるという今まで誰も考えもしなかったことにチャレンジし、成果を挙げた税所氏はさらに現在、その活動を世界中に広げようとしている。しかしこれまで何度もこのプロジェクトを本当にやめよう、やめたいと思ったこともあったという。それなのに現在に至るまで続けてこられた理由は何なのか。

1つはやっぱり「1人じゃなかった」っていうことが大きいと思うんですよ。支えてくれるチームメンバーの人たちに加え、バックアップしてくれるメンターなど、結構頼りになる面々がいてくれたおかげで今があると思っています。具体的にはこのe-Educationをバングラデシュでスタートするときに、2つの出会いがあって。1人が現地リーダーのマヒンで、もう1人が早稲田大学の先輩で三輪開人さんです。僕はやっぱり熱しやすく冷めやすい人間なんですよね。だから最初に企画を立てるんだけどちょっとうまくいかないとすごくモチベーションが下り坂になるんですよ。そんな時、三輪さんはすごくバランス感覚のいい人で、オペレーションが得意だからそういう面で力を発揮したり、マヒン君は自分の国のことだから1回やり始めたらやめられないのですごいモチベーションをずっと高く維持できた。だから僕自身のモチベーションが下り坂になったり、もうあきらめようかなと思ったときでも、乗り越えられてきた部分があったのかなと思っていて。この3人だったからこそ、この5年間をうまくやってこれたということが絶対にあるんですよね。

なぜチームになったのか。それは、僕自身がリーダーとして企画書を一人で書いて、お金も全部集めてきて、っていう全部できるタイプじゃなかったからということが大きいと思います。僕ができるのは最初に企画を立てて切り込み隊長的に突破していくことだけ。高校生のとき出会ってからずっと師事し、e-Educationの創業期からお世話になっている一橋大学の米倉誠一郎教授には「おもしろいことを見つける嗅覚がすごい。だからお前は猟犬だ」と言われたんですね。世界の中でおもしろいテーマとか切り口を見つけて、そこで何かすごく独創的なプロジェクトを立ち上げるのは結構得意です。

それを自覚したのは、バングラデシュでe-Educationをスタートするときに「バングラデシュのドラゴン桜」と初めにテーマを付けたことですかね。他にもごまんとNGO活動がある中で、僕らのやりたいことをどのようにしてみんなに分かってもらって、応援してもらうかということはすごく重要じゃないですか。そのためにうまくストーリーを作って、現地の人のためにもなるということを伝えるためには、やっぱり「バングラデシュのドラゴン桜」っていうのはひとつの物語としておもしろいし、日本人にはわかりやすい。このテーマを付けたとき、これならいけるかもって思いました。後にe-Educationがささやかな成功を収めることができたのは、このおかげだったのかもしれませんね。

突破力と独創性を武器にプロジェクトを立ち上げ、ある程度道筋が見えたと思ったらまた別の新天地へ向かう税所氏。たとえばバングラデシュの後は、ヨルダン、ルワンダと仕事を現地パートナーに託しながらどんどん新規開拓をしていく。その後『謎の独立国家ソマリランド』(高野秀行著)という本でソマリランドに興味をもち、いても立ってもいられず現地へ行こうと決意するも三輪氏や米倉先生に強行に止められ一度は断念。しかし、2014年4月再度、ソマリランドへ降り立ち、大学院設立に挑戦している。

初めは夢中になってプロジェクトを立ち上げるんだけれど、なにかのきっかけで違う地域が気になってきて、すぐそっちに行こうとするわけですよ。そうすると今やってるプロジェクトが大変になるので、三輪さんや周りの人が今は絶対に行くなと言って止めたり、それでも行くので「ああもう大変だ、新しい人を入れないと」ということになってしまったり。本当に迷惑な男だなと自分でも思いますよね(笑)。しかも、うまく受け渡すことは決してできていないですね。放り投げるというか投げ出す感じですよね(笑)。

そうやって僕のやりたいことに対して周りから反対され、ときには深刻な衝突が起きても、結果的にやりたいことができているのは、やっぱりパートナーの三輪さんが、役割分担で苦手なところを埋めていくより、得意分野を磨いていったほうが、僕にとってもチームにとってもいいと判断して認めてくれたからですね。

僕の強みはやっぱり、最初のテーマを設定し、おもしろい企画を立ち上げて、周りを巻き込んでいく部分。プロジェクトを推進するときの初めの爆発力というか、チームでいえば起爆剤としての力。それをある程度果たしたら、後はもう他のスタッフに任せていくというスタイルでいいんじゃないか。というようなことを三輪さんに言ってもらったので、「そうか、投げ出していいんだ」って(笑)。

まあそれはちょっと言い過ぎですが、三輪さんとかマヒンみたいな実行や経営やオペレーションが得意な人たちが一緒にやってくれていることで、やりたいようにできるというのはあります。そこをうまく、ロケットの切り離しのようにうまくバトンタッチできれば、すごくいいかたちでチャレンジできるな、ということを最近認識しました。もっとも、「振り返ってみると死屍累累」みたいな感じでうまくいかなかったケースも多いんですけどね。

2015年02月06日