2014年度研究プロジェクト

石田秀輝氏

石田秀輝氏
合同会社地球村研究室 代表社員、東北大学名誉教授

厳しい地球環境制約のなかで、人々が心豊かに暮らせるライフスタイルとテクノロジーの在り方を追求する「ネイチャー・テクノロジー」。2000年代はじめより、石田秀輝氏が提唱し続けている新しい概念だ。自然や生き物が持つ低環境負荷かつ高度な機能に学ぶネイチャー・テクノロジーは、これまでにない新たな技術のかたちとして、国内外から広く注目されている。地球環境という視点に立ち、研究・啓発に尽力する石田氏を突き動かしているのは、「子どもたちの将来を絶望的な世界にしたくない」という“大人としての責任感”だ。

石田秀輝氏
早くから身についていた
自分の気持ちに正直なスタンス

幼い頃から自然界に惹かれていた石田氏は、「勉強などせず、ひたすら遊んでいた」そうだ。とりわけ夢中になったのは、工作や“光る石”を集めること。既成の概念に捉われず、興味・関心のあることにまっすぐ突き進む生き方は、子どもの時分より変わっていない。

キラキラ光る石がたまらなく好きでね。集めてきては、「どうしてこんなきれいな色になるんだろう」とか、頭はいつもそんなことでいっぱい。だからというか、僕は小学校3年まで読み書きができなかった。それがいい、悪いという概念さえ芽生えなかったということは、親が「勉強しろ」とはいっさい言わず、自由にさせてくれたからでしょう。

そもそも、両親はかなりの放任主義で、「中学校までは出してあげるけど、あとは自分で頑張りなさい」という感覚だったので、僕は、ある意味たくましく育ったわけです。早くに自立し、高校生になって以降は、自分で稼ぐために通算50種類ほどのバイトをしたでしょうか。少々変わったところでは、テストドライバーや墓掘りなんていうのも。働かなきゃいけないから忙しいし、始めた弓道にも夢中だったから、高校の授業なんて出やしない。褒められた学生じゃなかったです。

ただ、鉱物が変わらず好きで、僕は地球物理学者の竹内均先生のもとで学ぼうと東大を受験し、一応合格はしたのですが……当時は学生運動が盛んな時代でね。合格したのは安田講堂が落ちた翌年。空気としては、社会構造に対する不安、疑問が色濃く、世を悲観するムードに満ちていました。何だか入学する気になれなくなって、結局、鉱物研究に強い、地方の山口大学に進学したのです。もっとも、当時交際していた彼女が同じ大学に受かったから、というのが直接的な理由ではあるんだけど(笑)。女性を追いかけているほうが、僕にとっては心豊かだったんですよ。

進学してからも「食うためによく働く日々」だったが、途中、休学して世界を放浪するなど、石田氏は心の赴くままに時を過ごしてきた。就職は頭になかったが、修士課程修了後、教授の勧めに従って入社した先が伊奈製陶(のちのINAX、現LIXIL )である。聞けば、採用試験に臨むまで、同社が「何屋さんなのか全然知らなかった」というから、これまた石田氏らしい。

旅費も弁当も出してもらえるというので、それにつられて入社試験を受けたんです。当時は、社名が伊奈製陶の時代で、「陶」を「糖」と勘違いしていた僕は、砂糖屋さんだと思っていたくらいで……就職がままならなかった第一次オイルショックの翌年の話ですから、競争率はけっこう高かったはずなのに、結果、受かっちゃいまして。

新入社員研修に半年間もかけるようないい時代でした。あちこちの工場を回って研修を受けるんですけど、佐賀工場に行った時のこと。同期たちがつまらない酒の飲み方をするものだから、僕、「芸者でも揚げるか」と、近くにある嬉野温泉にみんなを連れて行ったんです。同期は皆優秀だったけれど、僕のように早くから働いて“社会トレーニング”されていないから(笑)、よほど新鮮だったのか、帰りの交通費がなくなるまで通ってしまったという……。結果、僕の最初の配属先は、院卒にもかかわらず、外装湿式タイルを製造する小さな工場でした。不始末の責任を取らされたというか、いわばお仕置だったんでしょうねぇ(笑)。

2015年03月13日