2014年度研究プロジェクト

海外に出て初めてわかった
日本および日本人のすばらしさ
徳重徹氏
住友海上を辞める時に次の進路は決めていた。ベンチャーの聖地、シリコンバレーへの留学であるが、早速、挫折した。シリコンバレーの目と鼻の先にある第一志望のスタンフォードも、同じく第二志望のカリフォルニア大学バークレー校も、落ちてしまったのだ。仕方なく選んだのは、遠く離れたアリゾナ州のサンダーバード国際経営大学院。慣れない英語に苦しめられ、とにかく2年間の悪戦苦闘の末、同大学院を修了すると、ようやく念願のシリコンバレーで意気揚々と働き始めた。日本に親会社があるインキュベーション会社の社長という役職。シリコンバレーからの撤退話を聞きつけた徳重氏が「給料は自分で稼ぐから」と頼み込んで収まったポジションだ。ここでまた転機が訪れる。

とにかくベンチャー企業だけに興味があったので、日本で働いている時は日経新聞を読んでも、そのトピックスしか読みませんでした。政治も経済も大企業の経営も、ほとんど興味がないから、すぐ読み終わってしまったんです。社会性がなかったんですね。ベンチャーを志す人は山師であり、自分もその山師の1人になりたい、と本気で思っていました。

それがシリコンバレーで働くようになって大きく変わりました。きっかけは日本からの訪問者です。経産省のお役人や自治体の首長クラスの人が来ては、30歳そこそこの僕に、「どうやって産業をつくればいいでしょうか」と尋ねるんです。ベンチャーをやるというのは、自分にとっての個人的なチャレンジに過ぎず、新しい産業を生むというような社会変革とは関係ないと思い込んでいた自分にとって、衝撃的な言葉でした。
それからいろいろな本を読み漁るうち、わかったんです。ベンチャーが新しい産業を興す種となり得る。生まれて大きく成長することによって雇用と税収を生み出す。それが地域を豊かにし、最終的には国を牽引していくのだ、と。

それがきっかけで、日本の歴史も本格的に勉強しました。30歳過ぎてです。理系でしたし、受験も地理で受けたので、日本史はほとんど勉強していなかったのです。日本が嫌いで海外に出ていく日本人は今も昔も多い。僕もその1人だったでしょう。でも日本史を勉強してみて、自分の無知を悟りました。日本はすばらしい。日本ばかりか、あれほど嫌いだった生まれ故郷の山口県が大好きになったほどです。明治維新の立役者を多く輩出しているからです。

その代表的人物が高杉晋作です。長州藩が形成挽回のため京都に出兵するものの、蛤御門の変で敗れ、朝敵となります。幕府による長州征伐が迫るなか、ほとんどの者が幕府に恭順しようとしましたが、高杉は違いました。諸隊を率いて、功山寺で決起するんです。まさにクレイジーです。彼は上海に行き、中国人が欧米列強の奴隷のような状態に置かれているのを目の当たりにしていたから、日本を同じ状態にしてはいけない、と骨身にしみてわかっていました。

それには時勢についていけない頑迷固陋の幕府を倒し自分たちで新しい国をつくるべきだと信じていたのです。結局、高杉の目論見は成功し、6千人の奇兵隊が10万人の幕府軍を破った。彼がいなかったら、明治維新は成功しなかったかもしれません。

テラモーターズを立ち上げ、日本発のメガベンチャーを目指す、と言うと、周りから「すごいね」「偉いね」と言われるんです。しかし、高杉がやったことに比べれば、僕の活動なんてたかが知れています。今の常識ではなく、昔の偉い日本人をベンチマークして物事を考える。そうすれば、越えられそうもない目の前の壁だって、なだらかな丘に見えます。
歴史という時間軸と、グローバルという距離軸、それに日本が好きだという気持ち、この3つがあるから、僕はここまでやって来られたと思うし、これからも大切にします。

徳重徹
テラモーターズ株式会社 代表取締役社長

プロフィール
1970年山口県生まれ。
九州大学工学部を卒業後、住友海上火災保険株式会社(現:三井住友海上火災保険株式会社)にて、商品企画等の仕事に従事。退社後、米Thunderbird国際経営大学院にてMBAを取得、シリコンバレーのインキュベーション企業の代表として IT・技術ベンチャーのハンズオン支援を実行。事業の立上げ、企業再生に実績残す。帰国後、2010年4月にTerra Motors株式会社を設立。設立2年で国内シェアNo.1を獲得し、リーディングカンパニーとなる。経済産業省「新たな成長型企業の創出に向けた意見交換会」メンバー。一般社団法人日本輸入モーターサイクル協会電動バイク部会理事。

TEXT=荻野進介 PHOTO=鈴木慶子

2015年03月06日