2014年度研究プロジェクト

30代と21世紀を目前にして
初めて大きな自己決断をする
徳重徹氏
徳重氏が妥協案として選んだのがNTTだった。当時は情報通信分野が花形だったから、「面白い仕事ができるかもしれない」という消去法で選んだのだ。徳重氏はやると決めたら、とことんまでやる性質だ。情報通信に関する本を山ほど買い込んで勉強し、NTTの人事あてに自発的に手紙まで書いて自分をアピールした。

結果はNOでした。僕は当時からサラリーマンになりたくなかった。父親から起業は止められていたので、起業家になる夢は封印していたのですが、とにかく、おべんちゃらなサラリーマンではなくて、グローバルで活躍できるバリバリのビジネスマンになりたかったんです。

ところが、NTTとしては、そういう奴は暑苦しくて、お呼びじゃなかったのでしょう。急いで就職活動をやり直し、まだ募集していた金融に的を絞って活動したら、6社から内定をもらい、そのうち最も僕のことを買ってくれた住友海上火災保険に入社を決めました。本社が大阪で、山口に支店もありましたから、父も納得してくれました。1994年のことです。

結局、同社には4年間在籍しました。業務部という会社全体を統括するようなエリート部署に配属され、仕事はそれなりに楽しく、がむしゃらに働く僕を上司も評価してくれたんですが、保守的で内向き、給料がいいから働いているというような人が多くて、本当は起業家志望の自分がなぜここで働いているんだっけ?と、最後の1年くらいは悩んでしまったのです。

最後に僕の背中を押してくれたのは、これまでの人生、自分で物事を決めていないじゃないか、という後悔の念でした。大学で化学を選んだのも、結果的に住友海上に入ったのも、結局は父の意向じゃないか、と。ちょうど30歳になる手前で、しかも21世紀が始まる直前でもありました。僕もいい歳になったし、しかも時代の節目だから、このあたりで、自分の責任で新たな進路を切り開いてみるべきではないかと。

退職してすぐに実家の父に報告に行きました。僕が何か言うと、いつもはその倍くらい返してくる父が2分くらい黙っていました。よく見ると身体が震えていたんです。「もうお前とは絶縁だ。今日限り縁を切る」。隣で母親が泣いていました。まさに修羅場です。

2015年03月06日