2014年度研究プロジェクト

川添高志川添高志氏
ケアプロ株式会社 代表取締役社長
看護師・保健師

社名「ケアプロ」は、「革新的なヘルスケアサービスをプロデュースし、健康的な社会づくりに貢献する」という使命に由来している。様々な事情で健康診断を受けない、受けられない人たちに向け、安価で手軽にその機会を提供する「セルフ健康チェック」を打ち出したのは、2008年。“健診弱者”を救う本サービスは、文字どおり革新的なものであった。今では広く認知され、累計利用者数は28万名(2015年1月末現在)を突破。現在は、この予防医療事業とともに、24時間365日対応する訪問看護ステーションも運営する。「医療界の革命児たれ」を標榜し、川添高志氏は、業界が抱える種々の問題に挑み続けている。

「医療分野で起業する」
高校生の時に導き出した自分の将来

高校時代のニックネームは「社長」。川添氏は、高校1年生の時にはすでに起業すると決めており、周囲にもそう公言していた。直接のきっかけは、大企業に勤めていた父親がリストラに遭ったことだ。雇われる身の危うさを間近に見たことで、川添氏は、「どう生きていくか」を深く考えさせられたのである。

いい大学を出て、大企業に勤め、と、いわゆる“安全な道”を歩んでいたはずの父が、会社の経営悪化で突然リストラに遭った……これは大きな衝撃でした。僕自身、それまで安定志向があり、大企業に勤めることが成功だというイメージを持っていましたから。それが父を目の前にして、あっけなく崩れた。この時を境に、将来の生き方をすごく考えるようになったんです。そして出てきたのが、「どういう社会変化が起きても生きていける、ビジネスをつくり出せる人間になりたい」という思い。それを実現するために、起業を志すようになったのです。

この段階では「何で起業するか」は全然見えていなかったんですけど、ただ、医療や健康には関心がありました。実は僕、子どもの頃は体が弱かったんです。入退院を繰り返した時期もあり、その度に両親はひどく一喜一憂する。子ども心に「元気な姿を見せたいな」と思ったことが起点になったのでしょう、以降は栄養学にも興味を持つようになりました。だから、小学校で一番まじめに勉強したのは家庭科だったんですよ(笑)。

さらに、医療に対して一層の関心を持つようになったのは、高校2年の時に祖父を亡くしてから。病院で延命措置を受けていた最期は、管につながれた状態だったのですが、決して十分なサポートを受けられていなかった。「これって、本当にあるべき姿なのだろうか」。日本の医療は先進的だと言われるものの、何か実態とのギャップというか、そういうものに疑問を感じたのです。生きること、死ぬこと。僕は早くから、そのありようを考えさせられる場面に居合わせたんだと思います。

祖父の死後、川添氏は老人ホームでボランティア活動をするようになる。母親がホームヘルパーとして働いていたこともあり、医療や介護の現場を「見てみたかった」。最初はそんな軽い気持ちからだったが、行った施設で川添氏が目にしたのは、人手の確保や運営に窮する実態だった。このことが結果、「自分の行く道は医療分野にある」と方向づけたのである。

入浴介護のボランティアとして入ったのですが、僕には、その仕事がたらい回し的な作業に見えた。スタッフ一人で20人くらいの高齢者を見ていたからで、食事や排泄などといったほかの介助も同様です。「もう少し、ゆっくりお世話できないんですか?」。そう聞くと、返ってきた答えは、「人が不足している」。高齢者をぞんざいに扱わざるを得ない現場の実態は、けっこうショックでした。

この老人ホームは運営が厳しかったようで、利用者にも職員にも大きな負荷がかかっていました。当然のことですが、経営を改善しなければ、人手不足やサービスの質の悪さは解消できません。どうすればいいんだろう……ここから僕は、医療と経営との関係、医療政策などについて、強く関心を持つようになったのです。少子高齢化の波が来ていることもわかっていたから、この分野で何かを成せれば絶対に意義があるし、やりがいがあるんじゃないかと。明確な輪郭があったわけじゃないけれど、志していた起業の方向性は決まりました。「自分ならではの生き方」を探してきたなか、高校3年の時にその答えを導き出せたのはよかったと思っています。

2015年05月01日