2014年度研究プロジェクト

山崎亮氏

山崎亮氏
コミュニティデザイナー、株式会社studio-L 代表取締役

「良質な人のつながり」をつくること、そして、地域の人々が抱える地域の課題を自分たちで解決していくための「仕組み」を設計すること。それが、コミュニティデザインという仕事だ。提唱者であり、本領域の旗手として奔走しているのが山崎亮氏である。起業して約9年。日本各地において、地域ブランディングや中心市街地の活性化、施設・空間活用など、多様なプロジェクトを手がけ、まちの担い手となるコミュニティづくりのサポートをしてきた。よりよい社会の実現のために、“モノをデザインしないデザイナー”としての役割と可能性を追求しながら、日々挑んでいる。

コミュニティが持つ力に触れて
生まれた意識の変化

子どもの頃から絵を描くことが好きで、広くデザインに興味を持っていた山崎氏は、大学・大学院で建築学を学んだ。修了後は定石どおり設計事務所に入所し、建築やランドスケープのデザイン職に就いていたが、ある時、市民参加型のパークマネジメントの仕事に携わったことで、一つの“気づき”を得る。それが今日の仕事、コミュニティデザインへの扉となった。

勤めていた設計事務所では、公園のような公共空間の仕事が多かったんです。ただ設計してつくるのではなく、マーケティングというか、その空間を使うであろう人々の意見に耳を傾けるワークショップを重んじるのが事務所の方針で、僕も関わることになりました。

その最初の案件が、兵庫県にある「有馬富士公園」のパークマネジメント。物理的なデザインを変えることはもとより、その空間を利用し、自ら運営するコミュニティをマネージする仕事です。元来僕は、カッコいいもの、人から「すげえな」と言われるようなものを建てたいと、ハードの設計ばかりに熱中していたから、ワークショップみたいな仕事は嫌だったのに……「山崎はよくしゃべるから」と(笑)、巻き込まれた格好でした。

ところが、ワークショップで人々と意見を交わしながら建築デザインを決めていく作業が、ことのほか面白く、刺激的だったのです。そして、その場に参加している人たちから、「新しい空間でこんなことがしたい」という主体的な意見が出るようになり、そこで生まれたコミュニティが活動を持続させていく、そんな様を直接見ることができた。人のつながりが希薄になった今日において、コミュニティが持つ力に触れられたことは大きかったですね。仕事に対する意識が、明らかに変わりました。

そしてもう一つ。ワークショップに携わっていると、時に、「山崎さんが動いてくれたおかげで素晴らしいチームができたし、私たちの人生が変わりました」というほどの感謝の言葉を耳にすることもある。「あっ、俺、褒められているかも」――実はこの感覚が、仕事の大きなモチベーションになっていると、山崎氏は少し照れながら本音を語ってくれた。

人から褒められたり感謝されたりするのが大好物なんですよ(笑)。多分、昔からずっと。もっとも“褒められたい症候群”を自覚したのは最近のことで、以前は角度が違って「自分を認めてくれ」という感覚が強かった。

僕は、父親の仕事の関係で、転校を繰り返しているのですが、それが素地になっているのでしょう。転校するたび、新しい環境下で気を張り、仲間外れにならないよう必死でした。子どもですからね、何か人の役に立つことで自分のプレゼンスを発揮するアイデアなど浮かびようもないから、とにかくコミュニティに割り込んでいく。その時、「お前と俺、どっちが強いか」という『ドラゴンボール』的な男子特有の感覚で、相手を負かす、威圧することで存在をアピールしていたわけです。高校生までは、ずっとそんな調子でしたね。

阪神・淡路大震災が起きたのは、僕が大阪府立大学に在学していた時です。空間建築を学ぶさなか、空間が倒れて人を殺してしまったという事態を目の当たりにした時、言いようのない感覚に襲われた。

震災後、混乱が続く地区と、もとよりコミュニティが強くて早く復興活動に入れた地区とが、明確に分かれたのを見ていて、考えさせられたのです。これからは絶対に倒れない空間をつくるべきなのか、あるいは、自分が持つクリエイティビティを人のつながりを構築するのに生かすべきなのか……。僕としては後者かなぁと思いながらも、それがどんな仕事なのかわからず設計事務所に勤めたんですけど、前述のように、そこで経験した仕事のおかげで新たな道筋が見えた。加えて、子どもの頃からあった「認められたい」気持ちを、「これが俺の作品だ」という威圧ではなく、人に役立つかたちで発揮できる。自分のなかのモヤモヤが晴れたような感覚だったのです。

2015年02月20日