2014年度研究プロジェクト

家本賢太郎学ぶことはもともと好きだったが
コミュニティに育てられた部分もある

15歳で会社を始めた時は、車いす生活だった。17歳では業績が低迷し、従業員を全員解雇するなど、経営危機も何度かくぐり抜けてきている。それでも常に前進を続ける家本氏だが、その「へこたれなさ」は、いったい何が支えているのだろうか。「もともと持っているものと後から与えられたもの、両方がある」と、家本氏は説明する。

頭のネジが何本か足りないだけかもしれませんが(笑)。もともと持っているものと、後から与えられたもの、両方あると思います。もともと持っているものはそんなに複雑なものではなくて、新しいことが好きで、学ぶことが純粋に好きだということです。新しい知識に対して常に欲求がある。新しい知識を学ぶことを「面白いな」と思える感覚があります。

もう一つは、やはりコミュニティに育ててもらっている部分があると思っています。同じ世代で刺激を受ける人たちが周りにいると、そこから得られるものはたくさんある。たとえば、病児保育のNPO法人フローレンスの駒崎弘樹さん。大学で1学年上にいて、昔、一緒に中国へバックパックを背負って旅行もしました。同じ世代でいえば、発展途上国でアパレル製品や雑貨の企画・製造し、先進国で販売しているマザーハウスの山口絵理子さんもいます。

ただ、刺激を受けられそうな環境を見つけて自ら飛び込めるかどうか、というのはあります。「刺激を受けたい」と思っていなければ、そういう場所に行かないですから。刺激のありそうなところに突っ込んでいくのは、それなりにしんどいですよ。みんな大人しくはありませんし、いろいろなものがあちこちからたくさん飛んできますから。でも、それを楽しめる部分が自分にはあります。

小学生時代の家紋、大学生時代の朝鮮舞踊。「ハマったものはとことんまで調べる」姿勢は、子ども時代も経営者になってからも変わらない。「何も答えが見えていないなかで、それを探求することを怖いとは思わない」という家本氏。「答えを見つけてやるぞ」という意欲も、ひと一倍大きいという。

新しいことや学ぶことが純粋に好きだと話しましたが、小学校6年生の時には、家紋にハマっていました。面白くてしようがなくて、とことんまでやり切ろうと思っていました。大学時代は北朝鮮側の朝鮮舞踊の歴史です。当時住んでいたアパートの半分以上のスペースは北朝鮮の歴史や音楽の本で占められていました。音階など、どのように音楽が設計されているのか、ひたすら調べることだけやっていた年もありました。

戦後に日本から北朝鮮に帰国した方などを通じて、朝鮮舞踊は日本のモダンバレエの影響を受けています。当時の様子を聞くため、自由が丘のバレエ教室へ聞き取り調査にも行きました。生き証人の方々のお話を聞けるのは、もう最後のタイミングかもしれないという時期でした。「今しかない」と勝手に一人で盛り上がり、ひたすら図書館に行って、昔の新聞広告をフィルムで見て、ある特定の舞踊家が1930年代後半から40年代に、どんな演目を踊っていたのかを調べるといったことが、もう楽しくてしようがなかったです。

歴史学のように、過去を論理的に組み立てたものに対して惹かれるところがあります。歴史は構成される要素を調べていけば、答えは必ずそこに見えてくるという部分に、ハマりました。本を読んだり、ひたすら調べたりというのは、まったく苦になりません。何かにハマったら、あとはひたすらその時取りうる手段で、やれることはやり切るという部分は、昔からあります。まだ何も答えが見えていないなかで、それを探求することを怖いとは思いません。そして答えを見つけてやるぞという意欲は大きいほうだと思います。

学び好きな姿勢は、仕事でも一緒です。たとえば中国での事業を進める上で、私自身、中国の法律の研究はかなり深めました。法律用語はもともと嫌いではありませんし、日本の法律も中国の法令もかなり勉強して、「お客さまにアドバイスできるレベルまでやってみよう」というくり返しで、ずっと来ています。

ただ、プロフェッショナルの経営者がやるべきことは、ひょっとしたら「こうじゃないかもしれない」とは感じています。自分で何でも勉強するのではなく、専門家を採用するべきなのかもしれません。「徹底的に調べる」は誰かに任せたほうがいいのか、経営者の役割と両方兼ね備えられるように、うまくバランスを取れるのかは、まだ今の私にはよく分かりません。今のところは、両立できるように頑張ってみようと思っています。

売上や利益の大きさよりも、「アジアのインターネット環境に関しては、一番私たちが知っている」という評価を、顧客からもらいたいという家本氏。アジアに根差した会社になるため、まだまだやるべきことはたくさんあると意気込む。

アジアでナンバー1の、インターネットサービスプラットフォームカンパニーになりたいと思っています。売上や利益の大きさというよりは、実行力×スピードでお客さまから信頼されることを目指しています。「アジアのインターネット環境に関しては、一番私たちが知っている」ということを、お客さまに評価されるようになりたい。一つひとつの国がインターネットに対する姿勢も違えば、宗教も言葉も民族も違うというのがアジアです。ですが、アジアのインターネットユーザーは、世界の45%を占めるようになっており、これからもますます増加していきます。このようなアジアに身を置く企業として、カバーする範囲をもっと広げていきたいと考えています。

日本や韓国にいると、インターネットはそこそこ普及していて、便利なツールだと感じます。先日、当社のビジョンの説明文に「アジアではすでにネットが普及している」といった趣旨のことが書いてあり、「東京だからそう書けるが、ミャンマーやカンボジアに行くと、同じことはまったく感じられない」と議論になりました。私たちはアジアに根差した会社になりたいので、まだまだここから先、やるべきことはたくさんあると思っています。

日本から出ていく日本企業だけを支援するのではなく、アジア内のある国から別の国へ、アジアの外からアジアに進出する企業のお手伝いもしていきたい。これだけ民族や歴史背景が国によって違う地域なので、私たちのような多国籍チームだからこそ実現できる価値があるのです。

家本賢太郎
株式会社クララオンライン 代表取締役社長CEO

プロフィール
1981年名古屋市生まれ。2001年9月慶應義塾大学環境情報学部に入学、2006年3月同中退。2007年3月早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修了。
11歳で株式市場・経済に興味を持ち、13歳のころからはパソコンやIPネットワークに関心を持つ。14歳のころ、脳腫瘍の摘出後に車いす生活になる。1997年5月20日、15歳でクララオンライン設立。1999年に入り、生涯車いすと宣告されていたにもかかわらず奇跡的に両足の運動神経が回復。車いすなしでの生活が可能になった。2001年には身体障害者手帳も返納。
1999年、米Newsweek誌にて「21世紀のリーダー100人」、2000年、新潮社Foresight誌にて「次の10年を動かす注目の80人」、2012年、世界経済フォーラム主催「Young Global Leaders 2012」に選ばれている。
現在、内閣府 男女共同参画会議議員、一般社団法人日本インターネットプロバイダー協会理事、公益財団法人日本ユースリーダー協会理事なども務める。

TEXT=五嶋正風 PHOTO=刑部友康

2015年05月22日