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研究レポート

使命感にかられ、宮城治男氏
「学生と起業家をつなぐ」アプローチを開始

「何かを変えなければいけない」。高校3年生になる頃には、そんな思いが芽生えていた。将来の進路をあれこれ考えるなか、一つ矛先を向けたのがマスメディアである。世論を形成しているマスメディアを変えることができないか。「初めて受験戦争に乗っかる意味を見いだした」宮城氏は、受験に臨み、マスコミ就職に有利な早稲田大学に進学する。

大学生になってから、マスメディアを知るためにバイトもしたんですけど、テレビの世界なんかをのぞくと、封建的で古い体質であることがよくわかったのです。その後変わってはきましたが、少なくとも当時は、自分が正面玄関から入って好きなことを言えるような場所ではなかった。マスメディアを変えるという仮説は成り立たないと。

早々に割り切ってしまった私は、自分ができる最善のアプローチを考え、子供たちを相手に塾を始めたのです。自分の思いを個人に直接伝えることで、小さなところからでも社会を変えていけるんじゃないかって。マスメディアで考えていた空中戦から、ベタな地上戦に“逆ぶれ”した感じなんですけどね。

そんな頃、「起業家になるという生き方」に出合ったのです。第2次ベンチャーブームの時代でもありました。会社って、自分で起こせるものなんだ。決められたレールをなぞるのではなく、自分の人生は自分でつくっていいんだ――それは大変なインパクトでした。

早稲田には、演劇にはまったり、海外に出たりと好き勝手やる連中が多いのに、いざ就職を考える段になると、皆足を洗って、自分をなくすようにして窮屈な就活を始める。もったいないというか、「これでいいのか」という思いは強くあったのです。もともとやんちゃな人たちが、起業家になるという別の選択肢を知れば、すごく頑張ったり伸びるんじゃないか。なのに、誰も教えていない。「知るべきヤツがいるのに、知らされていない現状」を変えるのは自分だという、ある種使命感のようなものを持つようになっていました。

宮城氏は、仲間と共に「学生アントレプレナー連絡会議」(ETIC.の前身)という団体を立ち上げる。大学生と起業家が触れ合う機会を設け、就職とは別の選択肢、生き方があることに気づいてもらうための活動に尽力するようになった。

当時から有名だったカルチュア・コンビニエンス・クラブの増田宗昭社長や、孫正義さんらも手弁当で駆けつけてくれました。起業家って、あらゆる人生の選択肢のなかから、どこにも依存せず、自分で仕事や道をつくることを選んだ人たちで、究極に能動的な生き方をしているわけです。そういう人たちの話を直接聞くと、学生たちの目が輝くんですよ。

実は学生だけでなく、話をする起業家の目も輝く。今でこそ、勉強会やセミナーはあちこちでありますが、当時は、彼らにとっても学生に人生を伝える機会などなかったですから。だから忙しくても時間を割き、熱く語ってくださった。そして、きっと本人も楽しかったのでしょう。次から次へと起業家を紹介してくれて、数珠つなぎに活動が広がり、年間50~60回の勉強会を開催していました。

持ち出しの運営でしたけど、儲かる・儲からない、仕事にする・しないという発想はありませんでした。「話したい人と聞きたい人をつなげられる自分がいる」、そんな感覚です。いきなり社会を変えられるとは思っていなかったけれど、ただ、マスメディアでの空中戦や塾で子供に教えるのとは違ったアプローチに出合い、そのツールを手にした面白みは確かに感じていました。

2015年03月27日