2014年度研究プロジェクト

宮城治男氏宮城治男氏
NPO法人ETIC. 代表理事

ETIC.(エティック)という法人名は、Entrepreneurial Training for Innovative Communities の頭文字を取ったものだ。意味どおり、次代を担う起業家型リーダーを育成し、社会の変革に貢献することを活動理念とする。宮城治男氏がこの活動をスタートさせたのは1993年、大学2年生の時だった。以来20年間、若い世代に様々なプログラムを提供し続け、アントレプレナーシップにあふれる人材を多く輩出してきた。この領域の先駆者として広く知られる宮城氏の根源にあるものは何か。その軌跡をひもとく。

社会の既成価値に、
違和感を持ち続けた少年時代

1972年生まれの宮城氏は、ドンピシャの団塊ジュニアだ。世代人口が多く、あらゆる場面において競争の激しい環境下で育ってきた。その最たるものが受験だが、聞けば、宮城氏は早くから「勉強して受験に勝つこと」「その先にある既成価値」に疑問を抱いていたという。中・高時代を通じて、宮城氏の胸にずっとあったのは“大きな違和感”である。

高校受験が視野に入ってきた中2の頃でしょうか。受験戦争で頑張らなきゃいけないという、当たり前的な空気に違和感を覚え始めたのです。そもそも何のために勉強しているのか。受験に勝っていずれ就職し、お金を稼ぐとか出世するとか、そこにある意味は何なのか。疑問に感じるばかりで、どうにも腑に落ちない。自分にとって、そして私たちの世代にとって、そういう未来が幸せにつながるとは思えなかったんですよ。

私が「世代」を意識するようになったのは、家庭環境によるものでしょう。幼い頃は4世代が同居していたので、ロングスパンで世代を見ることができた。つまり、「何に対して価値を感じるか」の違いが身近にあったのです。明治生まれの祖父母、戦後の復興を知る両親、それぞれに世代の価値観というものがある。一つ卑近な例を挙げると、父なんかにしてみれば「おなかいっぱい食べること」がこの上ない価値であると。でも、私たち以降の世代は、そこに対しての価値をそんなに感じていないわけです。

団塊ジュニアというのは日本が高度成長を成し遂げた時代に生まれており、物質的な貧しさをほとんど知らずに育った最初の世代です。だからモノやお金、社会的地位などに対してのモチベーションがそう高くない。もちろん嫌いなわけじゃないけれど、じゃあすべてを投げ打ってでもそれらが欲しいかといえば、相対的にかなり違う気がするのです。

育った家庭環境は、別の角度からも宮城氏に影響を及ぼしている。徳島県にある実家はスーパーを営んでおり、子供の頃から手伝いに駆り出されていた宮城氏は、今でいうコミュニティビジネスに触れていた。社会寄与的なマインドで経営にあたる父親の姿は、「振り返れば、私の一つの素地になっている」。

惣菜などもつくって売っていたので、近所の主婦やおばあちゃんたちがやって来て、いつも忙しく働いていました。そんな日常にあると、働くということがすごく身近で、かつ当たり前の感覚になる。そこにはヒエラルキーも関係ありません。父は、地域への貢献意識が高かったようで、人それぞれの幸せを大切にする仕事の仕方をしていました。だから、スタッフに怒ったりする場面は一度も見たことがないし、むしろ「働いてくれてありがとう」という感じ。こういう現場を見て育ち、学んだことは、振り返ればなんですが、影響が大きかったように思います。

そんな世界観もあったから、なおのこと、「受験戦争を越えて成功しなければならない」という社会構造に違和感があったのです。それが幸せにつながるのだろうか? 起きて然るべき価値観の変化に、世の中が対応していない――そう感じる苦悩のようなものが常にありました。

脱却の糸口が見つからないまま、結局、原付の免許取得がOKだからという単純な理由だけで、高校を選んだのです。それが進学校で、周囲は勉強熱心な学生ばかり。当然、環境はまったくフィットしません。友人は全然いなかったし、より孤独な状況が訪れて、高校時代はずっとたそがれていましたねぇ。でも、今思えばよかったのかもしれない。この時期に自分と向き合わざるを得なかったから、多くを考え、のちの原動力を培うことができた。負のエネルギーを吸い取ってくれた時間だったような気がします。

2015年03月27日