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研究レポート

南壮一郎夢、そして大義名分を持つ大切さ。
学び得た本質をDNA に起業

南氏が楽天イーグルスの創業メンバーに加わったのは2004年9月。プロ野球再編問題が勃発した直後だ。新たなプロ野球チームの設立に興味を持った南氏は、さまざまな縁を辿り、最終的には、楽天の三木谷社長に「新球団を創りたい」と直談判したのである。それから3年間、チーム運営やスタジオ事業の立ち上げなどに奔走。ここで得た成功体験、そして学び得た“事業の本質”は、南氏にとってかけがえのない財産となった。

新規参入が11月に決まってからは、もう目の前のことに必死で。当時球団の創業に関わっていたメンバーは10名ほど。ドラフト会議資料や選手の契約書作成、キャンプ地の選定、シーズンの日程調整、2軍の立ち上げ、スタジアムや試合運営マニュアル作成など、いくつものプロジェクトが同時進行していましたから。一人ひとりの主体性にすべてがかかっていました。あの時の緊張感はたまらなかったですね。自分たちがやらなければ、誰がやるのか。3月末の開幕という期限も決まっているわけで、選手もいない、スタジアムもない、人もいないとしても、弱音を吐く時間すらない状況でした。しかし、次第に、みんなの中で自然と「自分たちがプロ野球の新しい歴史を創るんだ」という想いが育ち始めました。開幕に向けて準備が進むにつれ少しずつですが、東北中の方々から支持を得ているのを実感できるようになった。例えば、町中を歩いている幼稚園児が、楽天イーグルスの赤い帽子を被っているのを見た時なんかは、嬉しくて涙が出そうになりましたし、僕たちに見えない勇気を与えてくれました。そして、不眠不休の5カ月間の結果、僕たちは無事プロ野球のシーズン開幕を迎えることができました。あの時見た、真っ赤に燃えるスタジアムの残像は、僕の一生の宝物です。

プロ野球球団の創業経験から得たものはいくつもありますが、事業創りに対する真摯な姿勢を体感したことは僕のその後のキャリアを大きく変えました。三木谷社長は当初から強いチーム、健全経営、地域密着、この3つを柱に新球団を創ることを掲げ、東北地方を、ひいてはプロ野球界を元気にし、野球を通じて人々に感動を与えたいという大義名分を堂々と発信していました。ただ僕は、愚直に数字やお金だけを追いかける金融の世界で純粋培養されてきた人間でした。ですので、最初にこのような崇高な理念やビジョンを聞いた時、正直、どこか綺麗ごとのように感じていましたし、夢物語を堂々と語ることに対して違和感、いや恥ずかしさを感じていました。

でも僕は目の前で見てしまったのです。まさに三木谷社長が描いた夢が少しずつ実現していく様を。見るだけではない、身をもって、肌で感じ取ってしまったのです、世の中が本当に変わっていく様子を。三木谷さんには何度も「事業というのは、ただ儲けるだけじゃだめなんだ。社会をどのように変えたいのか、どのようにインパクトを与えたいのか。事業創りを通じて歴史を創ってみろ」と言われました。そして、夢物語に思えるようなことでも、志をともにした最高の仲間と力を合わせれば、不可能はないことも体感しました。「最高の仲間と歴史を創ろう」。この考えが今、ビズリーチのDNA にもなっているんです。

さらに、南氏は楽天イーグルス時代に、次なる事業の着想も無意識に得ていた。インターネットだ。球団が打ってきたさまざまな新施策の中でも、ITを活用したものが事業を大きく改善させるのを目の当たりにし、「僕たちの時代の産業革命であるインターネットと一度向き合ってみたい」と考えるようになったのである。それを起点にビズリーチを創業したのは、南氏が32歳の時だった。

次の仕事を選ぶ過程において、僕は2つの大きな軸を持ち始めました。「インターネットの力を活用すること」、そして「世の中の意義ある課題を解決すること」。せっかくインターネットというある種の産業革命が自分たちの時代のど真ん中で起こっているならば、その本質を理解してみたいと感じていましたし、本当に知りたいならば事業として活用してみればいい。ですので、最初から日本の新しい働き方を創り出してみたいという観点ではなく、インターネットの力で世の中をどう変えられるか――それを探究するために会社を創ろうと思っただけなのです。

そんな中、2009年4月に、プロフェッショナル人材に特化した転職サイトを立ち上げた背景には、僕自身が感じた猛烈な“不便”がありました。楽天を退職してから起業を決断するまでは、僕自身、次の仕事探しのため、普通に転職活動をしていたのですが、あまりにも仕事探しのプロセスが非効率、かつ不透明だったんですよ。ビジネスプロフェッショナル向けの求人情報は、どこにあるのかわからない、そういう人材が市場に何人いるのかもわからない。ヘッドハンターやたまたま相談した知人など、人を介してしか情報が得られなかった。人生でもっとも大事な決断をしようとしているのに、この時代にこんなアナログで、こんな不便なことがあってもいいのか。それが僕の率直な感想でした。

自分に適した選択肢や可能性がもっとあるはずなのに。同時に、僕のような人材を求めているがお互いに接点を持っていないだけという会社はもっとあるはずなのに。日本の仕事の市場はまったく可視化されていない。それって個人、企業、ひいては社会にとっても機会損失じゃないですか。誰にとっても「もったいない」。であれば、誰しもが得をするプラットフォームを自分でつくればいいのではないか。個人は自己の市場価値や選択肢を明確に把握した上で、自身のキャリアを主体的に決めていけるような場。企業はより多くの候補者の中から自分たちが求めている人材を効率的に選び出せる場。つまりそれは、「我々の時代の新しい働き方」を支えるプラットフォームの提案でした。そう考えた時に、この事業をやる大義名分はあると腑に落ちたのです。

2015年05月29日