2014年度研究プロジェクト

南壮一郎

南壮一郎氏
株式会社ビズリーチ 代表取締役社長

管理職、グローバル人材に特化した会員制転職サイト「ビズリーチ」は、それまで「見つけにくかった」エグゼクティブの求人情報を可視化することで、業界に風穴を開けた。求職者課金型というビジネスモデルも日本初である。創設者・南壮一郎氏は、金融業界、スポーツ業界を歩んできた異色の経歴の持ち主で、ITや人材ビジネスの経験がないなか、新たな価値を生み出した。南氏は足場にこだわらない。常に「価値ある事業創出」「面白いこと」にチャレンジする生き方を信条とする。若き南氏にとって、ビズリーチもまた一つの通過点。視線の先にあるのは「世の中に大きな影響を与える存在になること」だ。

6歳から海外暮らしをしたことで、
早くに備わった多様性を受容する力と主体性

大学を卒業するまで、南氏が過ごした「日本の学校生活」はわずか5年間ほど。父親の海外転勤に伴い、幼少期より中学生になるまでカナダのトロントで暮らし、早くから、海を越えたさまざまな価値観に触れてきた。人それぞれの差異を許容する力、主体性を持つことの大切さを十分に知る南氏のバックボーンは、そんな育った環境にある。

当時、父はヤマハ発動機に勤めていて、海外の新規市場をゼロから開拓する仕事をしていたんです。常に視線がグローバルな父親は、ことあるごとに「壮一郎、世界は広いぞ」というのが口グセ(笑)。移住したトロントの下町には日本人が全然いなかったため、通い始めた現地小学校のクラスでは、唯一のアジア人で、大半が白人という環境にいきなり身を置かされました。子どもながらに周囲と自分との“違い”を肌では感じていましたが、まだ小学生でしたので差別という感覚のものではありませんでした。ただ小さい頃からさまざまな人種や価値観が渦巻く環境の中で生活するうちに、主体性や意志を持ち、自分らしく存在感を出していけば、どんな場所でも生きていけるという見えない自信や精神的タフさを自然と体得させてもらえたと思います。

加えて両親の教育方針も、間違いなく僕の人格形成に大きな影響を与えました。そもそも世の中には多様な価値観や考え方が存在することに気づかせてくれた上で、自分自身の意志を持ち、それを人に伝えることを求めてきました。父も母も、話を聞きながら最後は「自分のことは自分で決めなさい」「やりたいのならやってみなさい」なんですよ。毎年、元日になると、家族全員が食卓に集められ、父親から1枚の紙が渡されて、「今年は何をやるの? どういうふうに実現するの? いつまでに達成するの?」と聞かれ、目標設定をさせられるような家庭環境ですから(笑)。

両親のおかげで、僕は、どんなことに対してでも躊躇せず、自然に挑戦できるようになったのだと思います。挑戦好きというか、逆風が吹くなか事を成し遂げていく路を辿ること自体に燃えるんです。社会人になってからも、商売の本質は課題発見と課題解決にあると思っているんですが、幼い時分から、課題や目標に対して真っ直ぐ突き進む素直な突破力を養えたことは、僕の財産になっていますね。

帰国したのは中学1年生の夏休みで、以降、高校を卒業するまで地元の静岡県で過ごす。当時、「田舎に帰国子女などほとんどいなかった」から、南氏を取り巻く環境は一変。見るもの聞くものすべてにギャップがあった。日本そのものに順応するまで、一定の時間を要したという。

帰国直後は、まるで映画『スター・ウォーズ』のワンシーンを見ているようで、まったく「知らない星に来た」感覚でした。日本の学校の仕組みを知らないから、驚くことばかり。制服はそろいの学ラン、髪型は丸刈り、靴は真っ白と決められ……意味がわかりませんでした。最たるものは体操着で、名前やクラス番号を記したゼッケンが誰の胸にも縫い付けられている。「何だこれは。囚人か」と(笑)。学校では、しばらく僕は“客寄せパンダ”状態で、休み時間ともなると学校中の人が集まってきて、誰かが代表して「南くん、何か英語の言葉をしゃべってみて」などと恥ずかしそうに言うわけです。

最初はそんな人気ぶりに僕も気分をよくしていた部分もありましたが、そんなバラ色の毎日は長くは続きませんでした。当たり前だとは思いますが、新入りが目立つことに対して、いい顔をしない人たちが出てくるわけで、そんな先輩たちに、校舎裏などに呼び出され、えらく可愛がってもらったことも何度かありました。今思い返すと、集団でボコボコにされても、廊下で蹴りを入れられても歯を食いしばりながら、めげずに学校へ行き続けたことで、いつの間にか周囲に認められるようになっていったんです。その過程で学ぶことは多かったし、改めて価値観というものは多様であること、そして、変化に柔軟に対応するアジリティの大切さを知ることができました。

そんな中でも、僕の心の大きな支えとなったのは、カナダ時代から続けていたサッカーでした。スポーツはやるのも見るのも、何でも好きですが、結局、日本での中学、高校、そしてアメリカの大学時代まで体育会のサッカー部に所属し、無我夢中にグラウンドを駆け回っていました。「スポーツに国境なし」とはよくいわれることですが、本当にそうで、言葉や価値観の違いを超えた男同士の勝負の世界を通じてできた仲間たち、そして彼らとの友情が、環境が変化するなかでの自分の一番の支えとなりました。スポーツって、やっぱりいいですよね。

2015年05月29日