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研究レポート

出雲充大手銀行での1年間は
学びの宝庫だった

大学卒業後は東京三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に就職。1年で退職し、2005年8月に「ユーグレナ社」を設立した。銀行に就職した大きな理由はふたつ。ひとつは、資金調達について学ぶなどの起業の準備ができると考えたから。もうひとつは、大学を卒業する時点ではミドリムシの大量培養の目処はまったく立っておらず、「いきなり起業する度胸がなかったから」だと、出雲氏は著書『僕はミドリムシで世界を救うことに決めました。』で明かしている。「官僚になるか、大企業に就職するかといったいわゆる“東大卒エリート”のコースから外れる勇気がなかった」と。

「自分にはミドリムシしかない」と口では言いながら、どこかでミドリムシのことを信じきれず、起業は先のことだと思っていました。でも、それでは何も動かないんですよね。銀行在職中は休日に全国の研究者を訪ね、ミドリムシについて教えを請いましたが、ある先生がこうおっしゃったんです。「出雲君はミドリムシについてよく研究しているけれど、銀行員だからね」と。何のリスクも取らない自分が「ミドリムシを世に出したい」と言っても、思いは伝わらないんだと気づかされ、何の目処もないまま1年で銀行を辞めました。すると、思いがけないことに、学会でリーダー的な存在の先生が、「若い人たちが、僕たちのできなかったことをやろうとしているのだから、協力してやってくれないか」と声をかけてくれて。それで研究が一気に進んだこともあって、起業したその年に大量培養に成功したんです。

1年で銀行を辞めた理由は、銀行の仕事に真剣に取り組む人たちに出会い、中途半端な気持ちで業務に臨むわけにはいかないと感じたからでもあります。職場の居心地の良さから、このまま銀行で働き続けるのもいいなと思いました。そのくらい好きな職場でしたし、1年という短い期間でしたが、学ばせてもらうことばかりでした。

学生時代の私は何も知らず、膨大なマニュアルに従って行なわれる銀行の仕事というのは、非効率な業務が多いものだと思い込んでいたんですね。だから、自分の斬新な視点で銀行のマニュアルや制度の非効率なところを指摘し、どんどん改善してやろうと入行前は意気込んでいたんです。ところが、実際に銀行で働いてみて、自分がいかに驕っていたかを思い知らされました。結論からいえば、職場の業務に無駄なものはひとつもなかったんです。「これは無駄な仕事なんじゃないか」と思っても、現場で業務に携われば携わるほど、無駄どころか、逆に無駄が削ぎ落とされた結果としてこういうマニュアルに落ち着いたんだと腑に落ちました。そこにはたくさんの人の仕事の跡があって、非常によくできたシステムだと思いました。

今のユーグレナ社がもし、ビジネスプロセスの部分で慎重にうまくいっているところがあるとしたら、それは私が銀行で学ばせてもらったことを全部移植したからにほかなりません。そうでなければ、東証一部に上場というところまでは来られなかったし、その先に社会の公器たる企業になりたいというビジョンも描けませんでした。上場のための「何でここまで」と言いたくなるような細かい条件や手続きをクリアできたのも、企業というのは社会の中でどれほど責任のある存在なのかということを銀行で体感したからだと思います。人はなかなか、見たことのないものを目指そうとはしません。だから、どこで、どんな人たちと出会うのか、環境というのは大変重要ではないでしょうか。

2015年05月15日