2014年度研究プロジェクト

発見から導かれる示唆
では、これら3つの発見をベースに、学校ならびに企業や団体、組織、そして日本社会に対する示唆を提示するとなれば、どのようになるだろうか。

まず、企業などへの示唆から述べれば、リーダーとして育っている人材を十分に活用しているか、一度自問すべきだというものを提出することができだろう。1990年代前半にバブル経済が崩壊してから二十数年。閉塞感が漂う混迷状態からなかなか脱却することができないなか、リーダー待望論が説かれるようになっている。しかし、分析結果を踏まえる限り、リーダーは生まれていないのではなく、すでに生まれているリーダーが、とりわけ規模が大きい組織で埋もれてしまっているとも解釈されるのである。リーダーたちの大きなビジョンを描きたいという意欲を無駄にするような体制をとってはいないか。もし、そうだとすれば、そのような体制をとり続けなければならない積極的理由があるのか。リーダー育成について要望を出す前に、一度冷静に自分たちのあり方を見直した方がいいという組織も少なくないように思われる。

そして、冷静に見直すべきという観点でいえば、日本社会全体に対しても同じような視角からの示唆を提示することができるだろう。「人間関係が不得手」や「頭でっかち」「打たれ弱い」といった超進学校に対する否定的なイメージは、いわば誤解に近いものがある。誤解が誤解だけで終わるのであれば大きな問題は生まれないのかもしれないが、こうした誤解が日常的に語られているからこそ、高学歴者のリーダー素質を見直そうという動きが一向に高まらないとみることもできるのではないか。第一、妥当な評価がされていないということそれ自体、決して望ましい状況ではない。まっさらな目で、そしてキャリア全体を見通したときに、超進学校の卒業生はどのように評価されるのか。これからの社会で希求される人材ではないのか。理解を再構築する必要があると考えられる。

他方で超進学校の側に対する示唆としては、学校で提供する様々な機会の意義と影響の限界を適切に理解し、逞しく学校生活を送ることの重要性を生徒に伝えていくことが肝要だというものが導き出せようか。もともと意欲旺盛な超進学校の生徒たちなのだろうが、自分たちの取り組みがどのような意味を持っているのか、証左とともに頭に入れておくことは重要だろう。なかでも、成績をとることだけに躍起になることへの問題点についてはとくに強調した方がいいかもしれない。成績だけでは、「こんなはずではなかった」という思いに駆られるようなキャリアを辿ってしまうことになりかねない。勉強も大事だが、学校行事など、時間的制約があるなかで多様な集団を調整しながら1つのものを作り上げる活動に積極的に関わること。歴史小説など、多くの本を手に取ること。そして部活動などで体力をつけておくことが、働いてからの活躍を大きく支えてくれるのである。

2015年05月19日