開成・灘卒業生にみる「社会リーダー」になるための条件 第5回 仕事で開花するリーダー、芽が摘まれてしまうリーダー

リーダーたちの芽は摘まれているのか

勉強のみならず、学校行事・課外活動、読書などにも精力的に取り組んでいた超進学校の卒業生たち。こうした活動が、リーダーとしての素質形成に結びついていることは、これまでのコラムで明らかにしてきたところである。そのうえでみてもらいたいのが、次の指摘だ。本連載コラムで取り上げている開成中学校・高等学校の現校長、柳沢幸雄氏が『「開成×灘式」思春期男子を伸ばすコツ』(柳沢幸雄+和田孫博著,中公新書ラクレ,2014年)のなかで述べているものである。

中学生、高校生にリーダーシップを身につけさせるには、これからどうしたらいいかと問われることが多いのですが、私はリーダーシップをとれる生徒はすでにたくさんいることを知っています。
むしろ、私は社会にこう問いたい。
「リーダーシップのとれる卒業生をどう処遇してくれますか」と。この問いに答えがなければ、私は生徒らに、リーダーシップ教育とともに、「日本でリーダーシップを発揮するのはしんどいことだ」と伝えなければならないのです。
『「開成×灘式」思春期男子を伸ばすコツ』62-63頁

ハーバード大学の教員として、長らくアメリカに在住していたからこその指摘であろう。閉塞的といえばいいのか、保守的といえばいいのか。日本社会には、リーダーたちの芽を摘んでしまう特性があるように見受けられる。「出る杭は打たれる」とはよく言ったものだ。

第5回目であるこのコラムでは、こうした「リーダーの働きにくさ」問題について考えることにしたい。リーダーとして成長した卒業生たちは、生き生きと働くことができているのか。自分の能力を活かすような働き方ができているのか。もしリーダーによって状況が異なるとすれば、違いをもたらしているものは何なのか。

前回のコラムでは、「他人には描けないような、大きなビジョンやプランを描きたいと思う(課題関連行動)」と「喜んで自分についてきてくれる人がいる(人間関連行動)」という2つのリーダー素質に加え、「自分(たち)の仕事は、社会に新たな価値を生み出すものである(価値創造行動)」も兼ね備えた「社会リーダー」へと議論を進めた。ただ、そこで「社会リーダー≒リーダー」という関係が見出せたこと、さらに価値創造行動をめぐる調査項目は灘卒業生調査にしか設定していないことなどを考慮し、ここからは再び「リーダー」というカテゴリーに立ち戻り、開成・灘双方の卒業生データから以上の問いについて検討を加えていきたいと思う。

「充実した仕事生活」と「抱えている葛藤」

超進学校のリーダーたちは、どのような想いを抱きながら仕事に取り組んでいるのか。調査では、(1)仕事は面白い、(2)仕事を通じて「成長している」と感じる、(3)同期の人と比べて、相対的に業績は良い、(4)自分の能力を発揮できていないと感じる、の4つの項目をたて、四択(まったくあてはまらない~非常にあてはまる)で答えてもらっている。まず、前者3つの回答分布からみてみよう。

図1は、開成・灘卒業生のうち「リーダー」に分類される者(課題関連行動と人間関連行動ともに「傾向有」の者)、その他の開成・灘卒業生、そして一般大卒のそれぞれについて、「あてはまる(やや+非常に)」と回答した者の比率を示したものである。ここからはなによりも、リーダーたちの充実した仕事生活ぶりを読み取ることができる。「あてはまる」の比率は、いずれの項目においても9割以上。一般大卒とのあいだには3割ほどの差が開いており、リーダー以外の開成・灘卒業生たちとの差も認められる。

図1 就業意識の回答分布(1)

ところがここで、4番目の項目の回答分布をみると、やや異なった状況を目にすることができる(図2)。能力発揮について尋ねた逆転項目であり、否定的な回答のほうが望ましい状態を意味するものだが、「あてはまらない(あまり+まったく)」と回答する開成・灘卒業生のリーダーは7割程度であり、言い換えれば、3割近くが能力を発揮できていないと感じているということになる。一般大卒との差も1割強しかない。

図2 就業意識の回答分布(2)

急いで断っておけば、自分の能力を十分に発揮できているとする開成・灘卒業生のリーダーも多い。「まったくあてはまらない」とするリーダーの比率は3割であり、リーダー以外の開成・灘卒業生や一般大卒を大きく凌ぐ値となっている。ただ、繰り返せば、能力を発揮できていないという者も、同じように3割いるのである。仕事は面白く、成長実感もあり、相対的な業績も良い。けれども、持っている能力が発揮できているとは思えない。議論の余地はあろうが、一部リーダーの芽が摘まれている実態をここにみることができるように思う。

以下では、以上の議論を踏まえ、能力発揮項目への回答に注目しながら、リーダーの誰が葛藤を抱えているのか。逆に、誰が自分の能力を十分に発揮していると思えるような働き方ができているのか。こうした問いに踏み込むことにしたい。分析にあたって設定したのは、「リーダーの所属組織の問題なのか、携わっている仕事の問題なのか、リーダー自身の特性の問題なのか」という視点である。いま少し詳しく説明しよう。

組織の特性か、仕事の特性か、リーダー自身の特性か

本卒業生調査の親プロジェクト『「社会リーダー」の創造』では、社会リーダーの実像をよく知る慧眼の士へのインタビューを通じて、「社会リーダー」をめぐる論点を浮き彫りにしようとする企画も進められている。その企画で意見を求められた灘中学校・高等学校の現校長、和田孫博氏は、リーダーという側面に引きつけたときの卒業生の現状を次のように語ってくれた。

和田:冒頭でお話ししたように、組織に任命されたリーダーが、パフォーマンスを上げていくということがもう難しい時代ですから。まぁもともと、うちのような学校の出身者には、大企業や権力の中枢でリーダーシップをとっている人が少ないんですけどね。組織に収まらないケースが多い。得意分野での力や個性を発揮すれば取り上げてくれるという、わりに緩い組織でのほうが生き生きとしているようです。

聞き手:そういった人材に共通する資質、灘校のカラーというのは、どのようなものでしょう。

和田:自由な発想力はかなりあると思いますし、それを認める環境がある。(中略)...だから、管理教育をしていないから、そのぶん管理色が強い社会では収まりきらないのでしょう。そういう人材がリーダーになっていくのか、異端児になっていくのか、それはわかりませんが。

処遇や職業威信の面では有利とされることが多い大企業や官公庁ではあるが、和田氏がいうように、その管理色の強さから、あるいは官僚的な性格などから、折角の能力が発揮できないということは十分にあり得よう。また、大病院も含め、大規模組織や官公庁では縦割り分業体制がとられていることが多く、仕事の幅が限定されやすいという点も能力発揮問題に関係しているかもしれない。リーダー素質を持った卒業生がどのような組織に所属しているか。さらにどのような就職活動で辿り着いた組織で仕事生活を始めており、医師や研究職といった専門職として働いているのか、違うのか。これら組織や仕事に関わることは、能力発揮の程度を左右する重要な要因として想定される。

一方で、リーダー自身のなかに要因を見出すことも可能だろう。リーダーたちには「他人には描けないような、大きなビジョンやプランを描きたいと思う」と「喜んで自分についてきてくれる人がいる」という2つの素質は備わっている。しかしながら彼らが持っている力が発揮されるためには、プラスアルファとしてさらに別の素質が必要だということがあるかもしれない。たとえば、体力。あるいは、フォロワー以外のメンバーとも問題なく関係を築けるような力や学習の継続。こうした第三の要因が能力発揮の鍵を握っている蓋然性は高い。

そしてリーダー自身の特性については、いわば超進学校ならではのストーリーを描くこともできよう。すなわち、「認知能力が高ければ高いほど、周りのメンバーとのギャップが大きくなるがゆえに、ともに仕事を進めることが難しくなる」というものだ。頭の良すぎる上司は、部下がどこでつまずいているのかがわからないため、導くことが不得手だという話も聞く。また上司からすれば、自分よりも賢い部下は敬遠してしまうといったこともあるようだ。いわば「能力の損失」が起きているという可能性であり、就業意識を超えた社会の問題という観点からも、確かめておくべきひとつの柱であるように思われる。

以上で示した要因ならびに分析に用いる具体的な変数を一覧としてまとめたものが、図3になる。では、これらのうち、能力の発揮を実際に左右しているものはどれなのか。影響のありようを、どのように描くことができるのか。「多項ロジスティック回帰分析」という手法を用いて検証していくことにしよう。

図3 能力発揮観を左右すると考えられる要因

リーダーの能力発揮を「後押しするもの」と「阻むもの」

多項ロジスティック回帰分析とは、あるグループに属する者を基準としたうえで、グループ間の差異が何によって生じているのかを特定化し、影響を与える要因については、その要因が加わることが各グループに属する確率をどれぐらい高めるのかを明らかにする手法である。今回、基準としたグループは、質問項目「自分の能力を発揮できていないと感じる」に「あまりあてはまらない」と回答したリーダー。つまり、「ある程度は発揮できている」と判断しているグループであり、そこを基準として、どのような特性を持つリーダーが「まったくあてはまらない」=「十分に発揮できている」と回答し、どのような特性を持つリーダーが「あてはまる(やや+非常に)」=「発揮できていない」と回答しているのかを分析した。

図4は、その結果を簡単に図式化したものである。まず、効果があると予想しながらも、実際には確認されなかったという項目がある。「仕事の特性(専門職かどうか)」「対人関係能力」「自己学習への取り組み」の3つである。リーダーの素質を有するまでに成長した者の能力発揮問題において、これらはもはや大きな要因ではないということなのだろう。

図4 能力発揮観に影響を与えていた要因

そのうえで他の要因の影響について言及すれば、能力発揮を後押しする唯一の要因になっているのが「体力」である。同じリーダー素質を持っていたとしても、疲れやすい体質かどうか。どれほどの馬力があるのか。こうしたことが能力発揮観を大きく左右する。体力に自信があるといっている者は、そうでない者に比べて1.99倍ほど「十分に発揮できている」という状態になりやすい。単純な発見ではあるが、管見する限り、体力問題に踏み込んだリーダー論は、これまでほとんどなかったように見受けられる。中高時代や大学時代にどれだけ体を鍛えたかが、ひいてはリーダーとしての働きぶりに関係してくる。在学時代の取り組みにも示唆を投げかける重要な結果だといえる。

そして「大規模組織勤務」と「官公庁勤務」の2つは、やはり能力発揮を阻む要因になっていた。これら2つの勤務である場合は、そうでない場合と比較して、「十分に発揮できている」グループへのなりやすさが0.3~0.4倍程度になる。ただ、その効果はあくまで「十分に発揮できている」状況になりにくくするというものであり、「発揮できていない」と感じさせるようなものではないことには注意すべきだろう。大規模組織や官公庁に勤めれば、心が震えるほどの達成感にはつながりにくいかもしれないが、それなりに能力を発揮する場面に出合うことはできるということだ。

それに対して、「能力が発揮できていない」と感じさせる要因として指摘されるのが、「不本意な就職」と「中高時代の高成績」の2つである。

リーダー素質を有する開成・灘卒業生のなかで、「第一志望に就職できず、別の道(就職先)を選んだ」という者は2割弱ほどいる。看過できない比率であるが、いったんこうした就職プロセスを経ることは、自らの能力を活かす場面と出合いにくくするようだ。大きな苦労をせずに、第一志望に就職した者と比較すると、「能力が発揮できていない」グループへのなりやすさが1.82倍程度に上昇する。

加えて、それとは異なる悩ましさが確認されたのが、「中高時代の高成績」の部分である。開成・灘卒業生といった超進学校のなかでも相対的に認知能力が高かった者、成績が中~上位だった者ほど、社会に出てから能力を十分に使うことができずに、一種のくすぶりを感じている。

リーダー素質を持っている有能な者の能力が活かされていない可能性がある。しかしながらこの成績の影響については、結論を出す前に、図5をみておくべきだろう。これは、成績中~上位者のリーダーを取り出し、調査に含めた質問項目「中高時代、勉強面で"この人には、かなわない"と思える人が周りにいましたか」に対する回答の別に、その分布と能力発揮観の実態を整理したものである。「いなかった」という者は、トップクラスを悠々と走っていた【余裕型】、逆に「かなりいた」という者は【非余裕型】とみなせるが、グラフからは「発揮できていない」という者が【非余裕型】に多いこと、そして高成績の過半数が【非余裕型】に属していることがわかる。すなわち、中高時代の成績にみられたマイナス効果は、【非余裕型】の状況に引っ張られて出てきた結果だということであり、いわゆる「天賦の才」を持つ者の事情は異なっているということである。さらにいえば、「十分に発揮できている」という【余裕型】の比率は、リーダー全体から算出された3割(図2参照)を超える「4割強」という値をみせる。頭が良すぎるから活躍できないという危惧したようなことが起きているわけでもなさそうだ。

図5 勉強面の相対的位置と能力発揮観の関係(成績中~上位リーダーのみ)

ただ、だとすれば、問題は「なぜ、【非余裕型】成績中~上位者のリーダーは、低い能力発揮観を感じやすくなるのか」ということになろう。中高時代、成績をとることに価値を感じ、追いかけられるように勉強したまではよかったが、その後は新たな活躍の場を見出せずにいるのか。それとも、成績のようにはっきりと差がつかない仕事生活に、空しさのようなものを感じているのか。ただ、いずれにしても、見方を変えれば、「努力をすることができた」リーダーたちが充足感を得ていない状況は、個人にとっても、企業をはじめとする組織にとっても、望ましい状況とは言い難い。これもひとつの「損失」ではないか。この結果が示唆するところを、改めて考える必要があるように思われる。

転職による状況の改善

なお、当然ながら、リーダーたちがそのまま状況に甘んじているわけでもない。たとえば、大規模組織では能力を十分に発揮しにくいと指摘したが、大規模組織から中堅規模組織へと転職し、能力の発揮に成功している者もいる。最後にその点について触れておきたい。

そもそも開成・灘卒業生にとっても、転職はそれほど珍しいことではない。卒業生全体の転職比率は41.6%。リーダー素質を備えている者に限定しても43.8%。およそ5人に2人が転職を経験しているということであり、これは一般大卒の転職比率44.8%とほとんど変わらない値になっている。そして企業規模という観点から転職を整理したとき、転職経験リーダーの分布と能力発揮観は図6に示すようになり、(1)転職タイプとしては、大規模組織から中堅規模組織へと移る者が42%ともっとも多い、(2)「能力を十分に発揮できている」という者の比率は、この「大規模組織→中堅規模組織」という転職を経たグループでもっとも高い、といったことがみえてくる。調査では、能力発揮観の変化まで尋ねていないため、転職と能力発揮観との関係を直接確かめることはできないが、それでも、世間に広がる安定志向とは逆行する流れにのって開花している姿は注目されよう。模索しながらも、望ましい状況に辿り着こうとするリーダーたちの逞しさのようなものがあらわれているように思う。

図6 開成・灘リーダーの転職タイプと能力発揮観(転職経験者のみ)

さて、本連載コラムもすでに後半戦に入っている。最終的には、第1回からの議論を踏まえたリーダー論という形にまとめていきたいが、次回ではその前に、これまで合わせる形で用いてきた「開成卒業生調査」と「灘卒業生調査」のデータを切り離し、両校卒業生のリーダー比較を行うことにしたい。同じ中高一貫校の男子校でもあり、基本的に共通するところも多い両校ではあるものの、データからは違いというものも見出せる。共通点は何であり、相違点は何なのか。在学時代の過ごし方や就業後のキャリア、そして周りからの評価にどのような特徴を見出せるのか、みていくことにしよう。