慧眼との対話 『社会リーダー』をめぐる論点野田智義氏 特定非営利活動法人 アイ・エス・エル理事長

ヨーロッパを代表するビジネススクール、インシアード経営大学院(フランス)で組織戦略論の教鞭を執っていた野田智義氏が、リーダー不在という日本の状況に危機感を抱き、2001年7月、同世代の仲間と協力して立ち上げたのが特定非営利活動法人アイ・エス・エルである。その理念は「公徳、情熱と志、創造力を兼ね備えた、(ビジネスも含む)社会全体のイノベーションを実現するリーダーを輩出する」というものであり、私たちの問題意識と大きく重なる。10数年にわたる活動を通じて見えてきたリーダー育成のポイントを語ってもらった。

日本に合わないアメリカ型マッチポンプ・エコノミー

― そもそものお話から伺います。なぜ今、日本に社会全体のイノベーションを実現するリーダーが必要なのでしょうか。

野田 大上段に構えて言えば、キリスト教文明とそれをベースにした西洋発の近代資本主義システムが曲がり角にたっているからです。ベルリンの壁崩壊以降、市場化、システム化を本質とするグローバリゼーションが急速に進行し、とりわけ先進国で、これまでの顔の見える人間関係をベースとする地域コミュニティが崩れ、様々な問題が火を噴き始めました。社会に穴が開いた状態ですが、各国ともに財政難ですから、そういう穴埋め仕事、火消し仕事を従来のように政府が全部引き受けるわけにはいきません。そこで必要になってきたのが、社会や地域の課題解決に挑み持続可能な未来を創らんとするリーダーです。社会リーダーと呼んでもいいでしょうね。日本の問題意識の高い若者の間で注目されている社会起業家やコミュニティ起業家はその典型です。

― そういう流れが最も強い国はアメリカと言っていいのでしょうか。

野田 その通りですね。アメリカでは税制もあって、個人の寄付文化が定着しており、大量の資金がNPO・NGOといった非営利組織や社会起業のスタートアップに流れています。ビジネススクールでも社会起業(ソーシャルアントレプレナーシップ)のコースがとても人気で、優秀な人材がビジネスではなくソーシャルセクターで働く。でも私から言わせるとその経済社会モデルはマッチポンプ・エコノミーであって、日本が安易に真似るべきモデルではないと思います。

―マッチポンプ・エコノミーとは何でしょう。

野田 こういうことです。世界中で、社会に穴をあけているのはグローバル資本主義なのですが、その象徴がウォール・ストリートです。昼間は社会のことなどまるで考えず、ウォール・ストリートの金融機関で、金儲けに血眼になっている人が、夜になると慈善家然として、2枚目の名刺を取り出し、社会貢献のためフィランソロフィー活動に活躍する。多額なお金が集まり、そのお金がNPOやNGOに還流する。その結果、NPO・NGOの給与も高くなるため、一流大学、大学院卒の優秀な人間が、こぞってNPO・NGOで働くようになる。一見よさそうなストーリーですが、強欲な金融資本主義が、格差を増大させ、社会に穴を空けている張本人ともいえる。世界で一番問題を創り出している人が多いのもアメリカなのですが、世界で一番課題解決に挑んでいる人が多いのもアメリカなのです。

これ、どこかおかしくありませんか。私に言わせれば、このモデルは、自分で火をつけてそれを消しているだけのマッチポンプに過ぎません。近年日本でも、こうしたアメリカ型の慈善文化、寄付文化を真似ようという動きが出てきていますが、日本には独自の経済社会の伝統と土壌がありますから、単純なアメリカ追随の風潮には賛同できません。

日本の社会リーダー、2つのタイプ

― 日本には日本なりのやり方があるということですね。詳細は後段で伺うとして、現在の日本において、社会リーダーを取り巻く状況をどう考えていますか。

野田 社会リーダーといえる人、とりわけ骨太の人は本当に少ないのが現状です。この数年、マスコミは社会起業家、コミュニティ起業家をこぞってとりあげてきましたが、課題先進国である日本の現状を打破するには、残念ながら圧倒的に数が足らず、未だ非力です。そして求められる資質を十分に兼ね備えている人が少ないのです。

― 社会リーダーに求められるのはどのような資質でしょうか。

野田 説明するために、日本で活躍する社会リーダーを、少し乱暴ですが2タイプに分類させてください。まずは、目の前の社会課題に心を痛め、「ほっとけない」「何とかしたい」と思い、自分の人生を賭けて課題解決に誠実に取り組むタイプです。目の前の課題解決への思い入れが強すぎ、人に誠実であろうとするが故に、外から見ると策謀が足らず、活動が小さくまとまってしまっているとの印象を受けることがあります。

もう一つのタイプは、「お金持ちになりたい」「有名になりたい」という欲求と同じような意味で、「社会を変えたい」と思っている人たちです。前者のタイプと比べれば、より積極的で、拡大志向が旺盛です。ビジネスモデルを構築するにも長けている傾向があり、スケーラビリティ(拡大可能性)、レプリカビリティ(再現可能性)などを重視します。個人的には私は前者のタイプのリーダーにより共感し支援したくなることが多いです。

― なぜ前者のタイプに共感されるのですか。

野田 志、情熱、人間や社会への愛情あふれるまなざしといったものを感じることが多いからです。この人たちは、多くの場合、自分がいじめを受けたり、貧しい環境で育ったり、人としての悲しみに直面したりして、他人の心のひだや傷にものすごく敏感です。こうした原体験からか心の中にセンサーを持っていて、困っている人がいたら、手を差し伸べずにはおられません。しかし、こうした心のセンサーがある故に、人を押しのけたり、人に対して強引になったり、目的のために手段を択ばないなどと戦略的、冷徹になったりできないケースが多いのです。

これに対して後者は、構想力、行動力、ネットワーク力に長けているので頼もしいですが、ときどき、社会をよくしたいというよりも、「でかいことをしたい」という野心を感じ、危うさを感じることがあります。時代が違っていれば、「社会」という言葉のつかない起業家になっていたような人たちです。今は起業家よりは社会起業家のほうがかっこよさそうだから、それを目指している人がないわけではありません。社会を「変える」ことが目的になっていて、「社会」とはそもそも何かを真剣に考えているように思えないことがあります。

どちらのタイプも、このままでは社会リーダーとして不十分です。私は、社会リーダーには、両者の良いところ、つまり志、情熱、愛情あふれるまなざしと、構想力、行動力、ネットワーク力の双方を持ってもらいたいと、心から願っています。

「たくさんの人生が走っている」ことを感じられるか

― 「社会とは何か」という問いへの理解が重要とのことですが、野田さんの考える「社会」とは何でしょうか。

野田 僕は数年前、横浜から東京まで首都高を通って車で通勤していたのですが、ベイブリッジを抜けた芝公園ランプあたりに、事故への注意を促すためでしょうか、「たくさんの人生が走っているんです」という看板があったのです。僕は、この標語こそが、「社会」をまさに定義してくれていると思っています。

テールランプをつけてベイブリッジを走る車。でも車が走っているのではなく、かけがえのない人生を懸命に生きている人たちが走っているんだ。それぞれの人には、家庭があり、安全な帰りを待ちわびている家族がいる。健やかな成長と幸せを願う故郷の両親がいる。職場で苦労をともにする先輩や同僚、悩みを共有し未来を語り合う友人、週末デートを心待ちにしている恋人もいる。そういう人間が全員一生懸命生きている。これがまさに社会なんだ、と。

人間は弱いし時に醜いけど、強くそして優しくなりたいとも願っている。社会リーダーはそういう人間の喜怒哀楽、人間が織りなす複雑なモザイクと向き合いながら、豊穣で安寧な、よりよい社会をつくっていこうという志を持った人たちです。それには、この、人と社会の「ひだ」を感じる心のセンサーが必要です。

― そういうセンサーは、後からつくることはできるんでしょうか。

野田 無からつくることはかなり難しいと思います。でもセンサーの「種」がある人は多いのではないでしょうか。毎日の生活のなかで、種が殻をかぶったり、休眠してしまった人であれば発芽を促すことは十分に可能だと思います。

― センサーの種とは何でしょう。

野田 たとえば、私は50代ですが、われわれが子どもの時代はちょうど高度成長期で、貧しさの中、親たちが毎日死に物狂いで働く姿を目にしていました。本当にわずかですが、戦争の爪痕も残っていて、幼いころ神社のそばを通ると、戦争で足をなくした傷痍軍人の姿を見かけました。地域の支え合いも濃く、近所のこわいけれどおせっかいなおばさんが、夕方になると鍋を持って作りすぎたおかずを持ってきてくれました。生きることは時に苦しく、矛盾と苦難に満ちているけど、人間には明日を夢見る力があるということをすくなからず実感して育ったと思います。そうしたもの、いまは豊かになり便利になって忘れているけど、人間と人間関係の本来の在り方への感度が種です。

これに対して、最近、一流大学のエリート学生と話すと、こうした人間社会の凸凹を感じずに育ってきたように思われる若者と出会います。生まれたときから物質的なものは何でもそろっている。人工的な郊外型のニュータウンで生まれ、平和という幻想のなかで育ち、親たちが夜なべしたり内職したりする姿も目にしない、小さいころから夏休みはハワイで、なんて恵まれた環境で生きてきた。私は、こうした他人の心や傷を推し量るセンサーを心の中にもたない若者を、失礼ながら「つるんつるん君」と呼んでいます。人間という存在についての問題意識や、自分自身の存在感を揺るがすような葛藤や矛盾を経験したことがない、無菌状態の純粋培養で育った子どもたちです。

リーダーに不可欠な「支えられている」という認識

― そういう若者をつるんつるんでなくすにはどうしたらいいのでしょうか。

野田 かなり難しいのですが、僕は、アジア最貧国のバングラディッシュ、多様性のカオスの国インドなどに半年でも住んでもらうのがいいと真剣に思っています。急速な経済発展、車の渋滞や大気汚染、信じられないぐらいの格差、ストリートチルドレンや恵まれない女性や老人の現実、圧倒的な街の喧騒と人の欲望のうごめき、それでも今日よりよい明日を夢見て懸命に生きる人々。農村で貧しいながらも純朴に生きる子どもたち。こうした人と社会のひだを否応なく直視するしかない環境での強烈な体験であれば、後天的であってもセンサーは埋め込まれる可能性はあると思います。もちろん3.11後の復旧、復興に挑む被災地や、いまでも多くの苦しみを抱えた福島での現地体験でもいいと思います。蛇足ですが、3.11は悲惨な出来事ではありましたが、マイナスだけではなく、今後の日本に多くの社会リーダーを育てる環境を提供していると信じています。

― アイ・エス・エルでは教育を通じて、センサーの種を発芽させることを行っていると。

野田 それだけをやっているわけではありませんが、重要な側面の一つではあります。社会リーダーのみならず、ビジネスリーダーや経営者にとっても社会性と人間性を備えることがリーダーシップの不可欠な要素です。収益が重要視されるビジネスの世界においても、自分のことばかり考える人と、他人や社会のことを考える人であれば、前者より後者についてゆきたいと思うのが私たち人間ですから。

アイ・エス・エルでは、リベラルアーツ教育に焦点を当てていますが、それは単なる教養ではなく、人と社会のひだを理解するために不可欠な教育だからです。社会人経験もへて人生も人間社会の現実も体験してきた社会人だからこそのリベラルアーツ教育です。また、その人が忘れていたことを呼び覚ますことにも焦点を当てています。具体的には、生まれてこの方の来し方を丁寧に振り返るプロセスを、リーダー育成プログラムに織り込んでいます。プラスの面ばかりではなく、孤独だったり、いじめられたようなマイナス面の経験、時には忘れたくて心の奥底にしまいこんできたトラウマも含めてです。自分という人間の存在を、他者、社会のなかで振り返り、葛藤や矛盾を見つめ直してもらうことで、眠ったり殻をかぶっている心の中のセンサーの感度を上げてもらうのです。その上で、どんな人生を生きたいのか、他者や社会にどんな価値を残したいのか、それは何故かを問い、未来を展望してもらうのです。私たちは、不治の病を宣告されたりしないと、そういう振り返りを日頃自分ではしないものですが、それを意識的にやってもらいます。

もう一つ、これは疑似体験に過ぎないのですが、横浜寿町のドヤ街に泊まってもらったり、福島で放射能汚染に苦しむ農家に民宿したりして、私たちが見ないふりをしてきた不都合な社会の現実に目を向け、そこで生きる人たちの思い、葛藤に思いを馳せてもらう。先ほど申し上げたバングラディッシュやインドにも連れていきます。農村で女性と対話したり、スラムを訪問したり、ストリートチルドレンとともに資本主義の光と影を議論したりもします。心のセンサーを覆っているかさぶたを意図して取ってもらうのです。

― 人生や社会のマイナス面だけ見ると落ち込んで終わってしまうと思うんですが...。

野田 むしろ逆だと考えます。例え弱みやトラウマを持った自分だったとしても、多くの人たちに支えられながらここまで立派に生きてこられた、これからも十分に生きていけるはずだ、という一回り大きな自己効力感につなげていくのです。ここで一番重要なのは、自分の人生は他者の支えがあって初めて成立しているんだ、という認識と感覚を持ってもらうことだと考えています。人間は社会的動物で、社会の中で、社会の一員としてしか生きていけないことを、自分の人生のポジティブな要素として認識してもらえればと思うのです。

また、恵まれない立場にいる人たちと比べて自分をあらためて客観視することで、自分がいかに恵まれた立場にいるかを自覚することも重要だと思うのです。当たり前だと日々思っていることが、そうではなく、実はギフトとして与えられているんだ、そうした感覚を持つことが心のセンサーの感度をあげ、自分がどう他者とそして社会と向き合うかを、あらためて見つめ直すことになるのです。

リーダーを志す人はとかく、俺が俺がとなりやすい。あれは自分がやった、これも自分がやった、となるわけですが、よく振り返ってみると、いろんな人たちの支えがあったからできたんだ、自分にはもらったギフトがあるんだと。素直に他人に感謝できる謙虚な気持ちになれることが一番重要だと思います。

「おかげさま」と思えるか

― それを持てるかどうか、というのは、本人が持っている資質によるのでしょうか。

野田 資質というより生まれ育った環境の影響が強いのではないでしょうか。勝手な推測ですが、自立、競争、自己責任を重んじる新自由(ネオリベ)主義者(ラリスト)的な志向の強い人たちは、自分自身で道を切り開かないといけない環境で育ってきた人が多いように思いますし、逆に相互扶助、包摂を重んじるソーシャル志向が強い人は人と人の絆が強い家庭や環境で育ってきたのではないかと。もしそうであれば、この部分を後天的な教育で何とかするのは限界があるかもしれません。

いずれにしても、人に支えられている自覚とそれに感謝する気持ちがないと、真の社会リーダーにはなれないと確信しています。そうした認識とマインドセットこそが、本当の意味での社会、つまり「たくさんの人生が走っている」という社会に向き合おうという真摯さ、誠実さを生みます。世の中はでこぼこで、いろんな人間が生きている、そのでこぼこが全部あわさって社会なんだ、という感覚を持つことがソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)ですから。

人に感謝する気持ちを表す美しい日本語が「おかげさま」です。戦後の焼け野原から日本の再生を導いた日本のリーダーには、ビジネスの領域でも、この気持ちを持ち合わせている人が多かったのではないでしょうか。ビジネス=社会リーダーだったと思います。

― たとえば、どなたでしょうか。

野田 僕は京都出身ですから、ワコールの創業者の塚本幸一さんや稲盛和夫さんなどが、すぐ頭に浮かびます。また、ソニーの創業者、井深大さんと盛田昭夫さんもそうでしょう。盛田さんから直接の薫陶を受けた元副社長の方からお聞きしたのですが、東京通信工業という社名だった創業当初、最初につくった商品がまるで売れず、資金がどんどん枯渇していく状態だったそうです。その様子を見るに見かねて、ある取引先の方が「若い2人が日本の将来を担う気概を持って会社を立ちあげたのだから」と言って、商品を発注してくれたそうです。喜んだ井深さん、盛田さんは徹夜で発注に応じ、大八車に商品を山積みにして納品に行ったと。その時、大八車を二人押しながら、自分たちは人に支えられて生きているんだ、という認識を強くされたそうです。

ところが、いまのグローバル競争のなかで、このおかげさまへの認識の転換が起こりにくくなっていると危惧しています。日本で功成り名を遂げても、グローバルに目を向けると、まだまだ追いつくべきでっかい強敵がいる。うかうかすると熾烈な競争のなかで、いつ足元をすくわれるかもわからない。おかげさまがなかなか実感できなくなり、さらにビッグになること、あるいは生き残ることばかりを考えている視野の狭いリーダーが増えてしまうのではないかと心配しています。また、創業期をへて組織が多くなり、サラリーパーソン経営者が何代も続くと、このおかげさまの感覚の承継が難しくなるのです。

このおかげさまの気持ちが健全に働いている社会を私は「ギフトの循環」社会と呼んでいます。たとえば、ある人が功成り名を遂げるまでの軌跡の中で、「俺も偉くなったと思っていたら、違っていた。偉いのは俺じゃない。皆に支えられていたからこそ、俺の成功もあったんだ、自分は恵まれていたな」との認識の転換が起こる。そこから、その人の社会と次世代への自己顕示のためやかっこだけでない本心からの恩返しが始まる。これが、ギフトが循環する社会です。

日本では企業は社会のために存在する

― 冒頭のお話に戻ります。マッチポンプ・エコノミーにはならない、日本型の社会問題解決パターンはどうあるべきだとお考えでしょうか。

野田 NPO・NGOといった市民セクターや社会起業家・コミュニティ起業家の活躍はもっともっと必要ながら、同時に、ビジネスの主役である企業がより深く社会問題に関与してほしいと思いますし、日本社会の健全な発展には必要であると考えます。できればCSRではなく本業の一環、あるいは一部として。そして、社会リーダー側の文脈でいえば、社会リーダーには、ビジネスセクターの中の思いのある人と手をたずさえて、セクターの垣根を超えたアライアンスを構築して欲しいと思います。それが何より日本らしい、世界に誇れるモデルになると思うのです。

― どういうことでしょうか。

野田 私はこの20年間、世界中で企業経営者や経営幹部と対話を重ねてきたのですが、対話のなかで、「企業は何のために存在するか」とよく問いかけます。この問いに9割が「社会のため」と答える国があるのです。日本です。そんな国は私の知る限り日本しかありません。株主資本主義の本家アメリカでは到底考えられません。日本が最も成功した社会主義国であると揶揄されるゆえんですが、私はこれはこれで、誇りうる事実だと思うのです。
このように日本では企業の存在意義が異なるため、私は社会の深化のための原動力の一部分を企業が担いうると信じています。それは社会的存在である企業のミッションに資するのみならず、経営を進化させ、従業員にも働く喜びと誇りを与えるからです。また、日本では企業、とりわけ大企業の存在が大きく、起業家・ベンチャーが、ビジネス・ソーシャルに限らず活躍しにくいですね。その上、NPO・NGOといった市民セクターは、もともとお上頼みの意識が強い日本ではいまだ貧弱です。グローバリゼーションのなかで社会課題が深刻化するなか、消去法からしても、日本では企業がメインアクターの一つにならざるを得ないのが現実です。

日本に必要なのは両性具有人材

― 企業が社会課題解決の一翼を担うためには、何が必要となるのでしょうか。

野田 事業を行うにあたっての発想の転換が必要です。社会問題とは、政府に余力がなく、市場でも解決できないからこそ、放置されているのです。政府が取り組むことができたら、あるいは企業が市場取引で解決できたら、社会リーダーなんて不必要ですね。

ビジネスにおいては、サービスの受益者(消費する人)と負担者(支払いする人)が一致しているケースがほとんどですが、社会課題の解決においては、受益者と負担者が異なりえます。受益者は時にサービスの対価が支払えない社会的弱者であり、負担者はボランティアや寄付者です。従来のビジネスモデルを進化させる必要があります。

また、企業には、私たちの豊かで快適で効率的な生活を支えるというミッションもありますから、企業がすべての活動を社会課題解決に向けることは決して現実的ではありません。したがって、求められるのは企業と社会リーダーのセクターの垣根を超えた協働と連携です。僕はこれをソーシャル・アライアンスと呼びます。社会リーダーは強い志は持っていても、時に徒手空拳で苦闘しています。プロフェッショナルとしての能力も十分ではない。企業は、社会課題解決への志と情熱こそ明確ではありませんが、リソースとネットワークに優れ、市場原理を駆使してシステマティクに活動を展開する能力を持っている。きわめて補完的です。アメリカ型のマッチポンプ・モデルではなく、「企業は社会の公器である」と認識する日本の企業人が社会リーダーと方向性を同じくし、社会を良くする挑戦の一翼を担うことが日本型資本主義の本領発揮であり、岐路に立つグローバル資本主義を超えた新たな資本主義のかたちを具現化する先駆けでもあるのです。

― その時の企業側の人材にはどんな能力が求められるのでしょうか。

野田 マルチリンガルの両性具有人材です。ビジネス、NPO・NGO、さらには行政といった既存のセクターの垣根を超えた協働・連携が必要となるのですが、企業人、社会リーダーは時に価値観も違えば、行動基準、発想も違います。異なる言語を話すといってもいい。互いの発想や考え方を理解できるバイリンガル、マルチリンガルになれることが重要です。

もう一つが共感力。先ほど申し上げたように、社会課題の解決にあたっては、受益者と負担者が異なることが通常であり、活動や事業への負担者の共感を生み出し維持する必要があります。しかしこの点、契約や損得勘定ではなく、人々の共感をベースにして協働を生み出すことに企業人が長けているかといえば自明ではありません。
したがい、ビジネスセンスがあって、構想力に優れ、効率と規律を重視する企業組織できちんと実績を上げながらも、社会の課題に対するセンサーを持ち続けている人が必要です。その上で、肩書やポジションに頼ることなく、対等に人と向き合い、志と情熱を語り、共感と信頼で人を動かし、協働と共創を誘発できる人が理想です。

そして僕は、そういった人は、社会リーダーとの連携において求められるだけでなく、一般のビジネスにおいても強く求められているのだと信じています。強調してもしすぎることがないぐらい、社会性と人間性こそが、すべてのリーダーに求められる最も重要な資質ですから。

― 企業経営の今後にとっても、そういうリーダー人材の育成が必要だということですね。

TEXT=荻野進介 PHOTO=鈴木慶子

プロフィール

野田智義
特定非営利活動法人 アイ・エス・エル理事長
1959年京都生まれ。東京大学法学部卒業。日本興業銀行入行。マサチューセッツ工科大学(MIT)よりMBA、ハーバード大学より経営博士号(経営政策)取得。ハーバード大学ジョン・F・ケネディ行政大学院特別生、ロンドン大学ビジネススクール助教授、インシアード経営大学院(フランス、シンガポール)助教授を経て、全人格リーダーシップ教育・社会啓発を目的とした特定非営利活動法人アイ・エス・エル(Institute for Strategic Leadership, ISL)を創設。独自の全人格経営者リーダー育成プログラムを実践し、過去15年間に800名以上の経営者・経営幹部を送り出す。その他、社会リーダー育成支援の全国プラットフォーム・社会イノベーター公志園の統括運営責任者、公益社団法人経済同友会 東北未来創造イニシアティブ協働PT委員長。稲盛財団イナモリ・フェロー。
特定非営利活動法人 アイ・エス・エル
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