2014年度研究プロジェクト

非大都市圏は衆愚政治を免れ
リーダーの質も高い
野田一夫氏
― さきほど先生が言われた「古代ギリシャの昔から、一般市民の投票による政治家選出=デモクラシーの向かう先は衆愚政治だ」というお話が改めて思い起こされます。

野田 18世紀末のフランス革命のスローガンをほぼ共通の精神的基盤とし、やや遅れて進行した英国発の産業革命による工業化の成果を経済的基盤として実現した先進欧米諸国の近代デモクラシーは、その実態も確立された時期も国々によりそれぞれ異なってはいていながらも、少なくとも、古代ギリシャのデモクラシーはもとより、太平洋戦争敗北後の日本の民主主義よりははるかに安定感があるように、僕には思われます。工業化後進国の民主主義は総じて、工業化の成功に伴う「(物的に)豊かな社会」の進展につれ、欧米の工業化諸国に比して何故か早々と衆愚政治化して行ってしまうような気がしてなりません。これが、ここ数十年の日本の、とくに「都市化の進んだ地域」での選挙の情況に接するたびに、僕が抱く実感です。

― 「都市化の進んだ地域」とおっしゃったのは・・・?

野田 個人的体験から、強くそう主張したいのです。父親の仕事の関係で、僕は名古屋の都市部で生まれ、中学生の頃からは戦争中をはさんで今まで東京の都市部に住み続けてきましたが、1997年から4年間だけ、県立大学の学長として仙台に単身赴任していました。その間に仕事の関係で宮城県だけでなく東北各県の小さな町や村を訪れる機会が何回もあったのですが、その際お会いした町長や村長の方々には、何とほぼ例外なく、その態度と物腰には敬愛の念を、そしてお話の内容には深い感銘を受けた経験が忘れられません。
それらの地域の選挙民の多くの方々は、自らが選ぼうとした首長の単なる形式的履歴だけでなく、その生い立ちから社会人としての生きざまや実績、人柄や人間関係まで全てを、直接的にとは言えないまでも十二分に知った上で進んで投票されたに違いないと僕は感じました。結果として、それら地域での政治は「少なくとも衆愚政治に堕してはいない。だから、選挙にはそれだけの意味がある」と、僕は確信できたのです。

これに対して都市、とくに大都市と言われるような地域では、各選挙区で実施される選挙の実感は、国会議員選挙はもちろんのこと、都・道・府・県議員から市・区議会選挙にいたるまで、僕を含め大部分の選挙民は立候補者については、形式的履歴とか、ポスター上の顔つきとか、誰かに頼まれたからとか・・・といった判断基準での投票が普通になっています。この事実こそ、政治の衆愚化の根源でしょう。これを改めるためには、現在の選挙制度を根本的改革せねばなりませんが、現在の国会議員の大半はそれに賛成するはずはありませんから、国政という国家の“要”からして、日本国の将来はすでに不安ですね。

2015年02月05日