都内在住の秋元有紀さんは、7年間のブランクを経て、1日わずか2時間という働き方で社会復帰をしました。これを皮切りに、試行錯誤を繰り返し、現在は、新規プロジェクトを進行する中核メンバーとして活躍しています。彼女はどのようにしてキャリアのブランクを乗り越えて、自らの働き方を実現してきたのでしょうか。

遠距離通勤や体調不良が離職のひきがねに

—–仕事を辞めたきっかけはどのようなものでしたか

大学在学中に簿記2級を取得して、新卒で入社した会社では経理を担当していました。自分で希望したことでしたが、数年担当するうちに、当初のようなやりがいを感じられなくなりました。そんな時、期間限定で部署横断型のプロジェクトのチームリーダーに抜擢されて、もう一度やる気を取り戻したのですが、プライベートでは結婚があり、夫の転勤で東京から熊谷市に引っ越していたため、新幹線で通勤することになりました。プロジェクトが終わり元の仕事に戻ったことや長距離通勤の負担に加えて、ヘルニアを発症し、仕事を辞めることにしました。

ヘルニアの回復後に少しだけ派遣社員として働きましたが、2007年に妊娠し、夫の転勤で再び東京に戻ることになったので、派遣の仕事も辞めました。ブランクはここがスタートです。ここから7年間、主婦という肩書だけで生きてきました。実は1度、第一子が2歳の頃に再就職を考えたこともありました。35歳までに再就職しないと就職先が見つからなくなるという噂を聞いていたので、自分もその年になるなと。だから、最初の子供の幼稚園を選ぶ時には、預かり保育が充実した園を探すなど入念に調べ、社会復帰の準備を進めていました。でも、結局、第二子を授かり、この時は復帰を諦めました。

人とのつながりを通じて、働くことへの固定観念を崩した

—–家事・育児に専念している間はどのように過ごしましたか

第二子が幼稚園に入園する1年前くらいに、市の広報誌で女性の生き方を考える託児付きの講座を見つけて、応募しました。講座は半年間、毎週通うもので、私のような子育て中の主婦や、育休中の人などが参加していました。内容は女性が結婚や出産などのライフイベントがあるなかで、いかに生きていくかを考えるもので、大学の先生から授業を受けたり、課題があったりと、すごく充実していました。講座自体の中身も素晴らしかったのですが、授業以外にも、いろいろな気づきがありました。

—–講座の内容以外に得た気づきとは、どのようなことですか

私の中では、出産後も仕事を辞めずに働く女性は「バリバリ働けるすごい人」という思い込みがありました。自分のように、ほどほどの社会復帰をと考えている者とは別人種のような、特別な人たちという隔たり感です。でも、講座に来ている育児休業中の人たちはまったくそんなことはなくて、本当に普通のお母さんでした。専業主婦である私たちと同じように、子育てに悩み、育児休業からの復帰についても不安を感じていました。社会復帰は「清水の舞台から飛び降りるくらいの感じ」だと思っていたのが、講座を通して育児休業中の人たちと話すうちに、迷いや不安を抱えながらでも、働いていいのだと、復帰に対するハードルが下げられたのも良かったことです。

—–自分の中にあった固定概念が良い意味で崩れたということですね

それともう1つ、子どもを預けることへの抵抗感も和らぎました。3歳までは親の手でという3歳神話的なものにとらわれていたのかもしれませんし、保育園に対しての固定概念もありました。保育園はバリバリ働く人が預けるところで、私の中でそのような母親って、少し“怖い人”というイメージがあり、その輪に自分が入っていける気がしませんでした。働きたい気持ちはありましたが、バリバリ働いていない私は、保育園なんて申請してはいけないと思っていたので、子どもを保育園に入れて就職活動するという発想もありませんでした。でも、講座で知り合った働くお母さんたちと触れ合ってみたら、怖い人ではなかったですし、フルタイムでなくても保育園の申請ができることも知りました。保育園に通われている方から、保育園でも子どもは健やかに育つという話も聞けて、自分の中の縛りから解放された思いがしました。

働くことへの希望を徐々に開花させた「再就業後」

—–実際に復帰に向けて動いたタイミングやきっかけはどのようなものでしたか

第一子が幼稚園を卒園する時に、私としてはものすごく衝撃的なできごとがあったんです。その園では、卒園生が将来の夢を英語で発表する機会があるのですが、私の子どもの夢は「I want to be housewife」。どうやら「お母さんみたいになりたい」と言いたくて、先生に相談した結果、こうなったようです。確かに私はこの時、専業主婦でしたし、それが悪いとも思っていなかった。でも、なんだか心にひっかかりを覚えたのです。私のやりたいことは「housewife」だけだったの?と。講座に出て、いろいろな刺激も受けていましたから、やっぱり何か動かなくちゃいけないと、強く思うようになりました。そんな時、NHKの番組で、あるベンチャー企業が週3日勤務や在宅勤務など、柔軟な働き方ができる仕事を紹介するサービスを始めたことを話題にしていて、すぐにその会社に連絡をとりました。そうしたら第二子が幼稚園に入ったタイミングでご連絡をいただき、この会社自体が月30時間ほどで経理のできる人を探していると聞きました。だいたい1日2時間くらいですから、子どもが幼稚園に通う間にできそうだなと、引き受けることにしました。

—–その後、働き方を変えていかれますが、その過程にはどのようなことがありましたか

一気にジャンプしたのではなく、フェーズとして4段階あったように思います。働けるだけで楽しいという第1フェーズ、せっかく仕事をするのだから、自分の能力を発揮していきたいと思う第2フェーズ、コアスキルをさらに上げ、キャリアの幅を広げたいと思った第3フェーズ、コアスキルの殻を破って、新しいチャレンジをしてみようと動いた第4フェーズです。

第1フェーズは、1日2時間という働き方で社会復帰を始めた頃です。働けることへの喜びだけで十分満足していて、確実にこなせる量のお仕事だけをもらい、自分のコンフォートゾーンの中で働くことが心地よかったのです。でも、子どもが学校や園に慣れ、自分に少しゆとりがきると、そこから1歩でてみようかなという気持ちに心が動き出します。これが第2フェーズの入り口だったと思います。

第2フェーズでは、自分のコアスキルを少し超えてみたいという気持ちが湧いてきました。1日2時間という小さな成功体験を積み重ねることで、自分に対する自信が回復し、チャレンジしてみようという気持ちが芽生えたのだと思います。そこで取り掛かったのが自分へのインプットです。7年というブランクを埋めるため、自分のコアスキルの部分を軸に、スキルの範囲を広げる本を読んだり、大学で開講されているセミナーに参加したりと、積極的に学びを積み重ねました。すると、今度はインプットしたことを仕事に活かしたいという気持ちが生まれました。

そんな折、社内でチャンスを見つけました。会社も規模が大きくなり始め、業務フローやシステム開発などが必要になっていました。これまでの学びを活かせるかもしれないと、積極的にそれらの仕事に手を挙げてみると、上司は快く受け入れてくれました。今思えば、上司は常に「限界はココじゃないでしょ」と、自分の思う少し先にボールを出して、キャリアを考えるきっかけを与えてくれていた気がします。そして、この頃から時短勤務の正社員として働くようになりました。ここが、私にとっての第3フェーズだと思っています。

働く自信を取り戻し、新しいチャレンジに手を挙げた

—–その後、秋元さんはどのような思いで、次のフェーズに行かれたのでしょうか

その次が第4フェーズで、今はここです。それまで、経理のスキルがあるから役立てていると思っていましたが、子どもの手もだいぶ離れて、本当の意味で自信が取り戻せたことで、コアスキルからさらに仕事の範囲を広げて、新しいチャレンジをしたいと思い始めていました。そんな頃、今度は会社で新規事業が立ち上がることになりました。それは、社内業務を中心にしてきた私には大きなチャレンジとなる社外へのアプローチも必要な仕事でしたが、どうしてもやってみたいと思える事業でした。そこで、「やりたいです!」とすぐに手を挙げました。

それまで、ずっと営業には行きたくないと言っていたのですが、その新規事業を進めるためには、お客様のところにも行くし、イベントにも登壇しなければなりません。やるたびに、「うまく伝えられなかった」とか、「汗だけかいて終わっちゃったな」と凹んでばかりなのですが、不思議と辞めたいとは思わない。チャレンジしていきたいという思いが強いのです。だから、今は、自分の不得意な部分も見つめ直しながら、このまま歩き続けていきたいです。

プロフィール
秋元有紀氏
1978年生まれ。2001年凸版印刷株式会社入社、エレクトロニクス事業本部経理部に配属。決算チームにて各種経理業務、子会社管理などに従事。入社4年目には部署横断の事業部統合プロジェクトのリーダーに。夫の転勤の都合で埼玉県に転居。新幹線通勤で仕事を続けるも、ヘルニアになり退職。7年のブランクを経て社会復帰。現在、株式会社Waris にてプロジェクトマネジャーを務める。

2019年03月28日