団塊世代になぜリーダーが少ないのか
今後に備え、育成メカニズムの整備を

この大正生まれ世代と対照的なのが、戦後すぐに生まれた団塊世代である。彼らは数が多いわりに、今回、これはと思う人物を社会リーダーとして抽出することができなかった。これは、彼らが現役となった1970年代以降が、われわれがいう調整期に当たり、時代がリーダーを必要としなかったからだろう。前に述べたように、調整期は改革期ほど、リーダーを必要としない時代なのだ。

しかも、彼らが社会人として働き始めた時期は高度成長期で、経済成長というエンジンが高らかに廻っていた。一つのシステムが完成していたから、それを潤滑に運用したり、拡大生産したりするマネジャーは必要としたが、別の可能性を考えるリーダーは必要なかったのだ。
もっとも、団塊世代にも社会リーダーの素質を持った人がいなかったわけではない。全共闘世代とも呼ばれる彼らの中には、学生時代から左翼運動に身を投じる者が多数いた。マルクス主義を奉じ、革命によって「よりよい社会の実現」を目指した人たちだ。しかも、それは世界的傾向でもあり、フランスでは学生運動が政権を追いつめ、アメリカでは若者の叛乱が公民権獲得運動にまで発展した。
がしかし、日本の場合は生産的な何かを生み出すことはなく、多くの学生は長い髪を切って就職していき(「いちご白書をもう一度」)、「運動」のやり過ぎで逮捕歴のあった筋金入りは経歴不問のマスコミ現場に入るか、塾講師などの自営業となるか、猛勉強して弁護士になるか、といった道を選んだ。

いま振り返ると、社会変革に対する彼らの意識は相当強かったものの、「資本主義は悪であり、労働者階級がそれを打ち倒すのが歴史の必然だ」というイデオロギーが邪魔し、「社会課題に気づく」うえで不可欠な、真摯に「社会を見つめる」視線も、多様な選択肢を考慮しつつ「よりよい形を思い描く」能力も、どちらも曇ってしまっていたのだ。

現在は調整期だとすると、リーダーの数が少ないのは必然ともいえる。が、調整期でもリーダーは必要だし、いつ訪れるかもしれない改革期に向けて、リーダー輩出のメカニズムを用意しておくことは重要だ。それには、社会課題を我が事としてとらえることができる“リーダーとしての器”を若いうちから磨いておくことだ。そのためには、伝記に代表される良質の自己啓発書に触れさせること、留学などの形で世界を広く体感させ、それまでとはまったく違う場に身をおかせること、若者をして「自分もこうなりたい」と思わせる魅力的な先達との接触を増やすことを怠ってはなるまい。



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