大正生まれ世代をリーダーにした資質と経験、そして場
この歌に、大正生まれがリーダーとして活躍した要因が説明されている。
当時は大正デモクラシーという運動が象徴するように、軍国主義一辺倒の時代ではなかった。第一次世界大戦に連合国の一員として参加し、勝利した日本は国際連盟の常任理事国の一つとなり、国際的地位も上がっていた。明治期に、それこそ森がつくり上げた教育制度が機能し始め、福沢の著作で学び、幅広い視野を身に付けた優秀な人材が社会に輩出されるようになっていた。こわい明治の親父に鍛えられたのだ。

昭和に入ると、日本は対中・対米戦争という大きな修羅場に直面する。明治憲法下では徴兵制があったから、男子は全員満20歳で徴兵検査を受けさせられ、甲種合格者は2年間、戦場に送られた。兵役義務の年齢は17 歳から40歳であり、多くの大正生まれが該当した。敗色が濃くなった1943(昭和18)年からは、在学徴集猶予制度が廃止され、学徒出陣も始まる。さらに多くの大正生まれが戦場に赴かざるを得なくなったのだ。
が、奮闘空しく、全世界で死者6600万人という未曽有の大戦争が終わりを告げた。日本は310万人という同朋の犠牲を払い、戦争に敗れた。

終戦時1945(昭和20)年時点で、大正元年生まれは数えで33歳、大正15年生まれは19歳である。それより上の世代は戦死したり、GHQ(連合国総司令部)により公職追放を余儀なくされたりした。まさに大正生まれが新生日本の土台をつくる社会リーダーとなったのは当然のことであった。
彼らには自分は運よく生き残ったという自覚があった。戦場で常に死と隣り合わせだったことが個としての人間を強くした。目の前には政治、経済、教育と、さまざまな課題が山積みだった。

まとめると、大正生まれ世代には、①若い頃の充実した教育環境、②戦争という修羅場体験(戦死した仲間を通じて国や社会に対する思いを培い、過酷な戦場を体験したことによって精神的ならびに肉体的強靭さを獲得した)、③戦後、彼らの目の前に広がったリーダーとして活躍できる原初的“原っぱ”のような場、の3つがそろっていた。資質と経験と場と。彼らは新生日本の社会リーダーになるべく、運命づけられていた世代だったのだ。



[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] 次のページへ