学びの場としての従軍体験
ここで先のChart3をもう一度ご覧いただきたい。
8人をリーダーたらしめた項目のうち、異色といえるのが、中内・佐橋が経験した従軍体験である。特に、ひどい飢えとも戦いながら、戦死率73パーセントという文字通りの生き地獄から生還した中内にとって、従軍体験は後半生において極めて大きな意味を持っていた。中学時代の友人が「中内君は凡庸でまったく目立たない生徒だったから、世に出た時はびっくりした。過酷な戦争体験が彼を生んだのでしょう」と述懐しているほどだ。

従軍体験がなぜ大きな学びとなるのか。
軍隊は社会の縮図である。中に入ると、出自、学歴を超えた、いろいろな人たちと混ざり合う生活を送る。年上や位の高い者には絶対服従だ。いい意味でも悪い意味でも、「社会を知り、見つめる」絶好の機会になったはずだ。
軍隊は過酷だ。生死は常に隣り合わせである。佐橋は遺書を日々書き足しては肌身離さず持っていた。中内の場合、飢えに苦しめられた。それはまことに理不尽なものであった。中内はのちに、戦争の根本原因を流通網の不備に見た。不備があったから、限られた資源を取り合う国家同士の凄惨な争いが起こったと考えた。中内自身がのちに語っているように、そういった社会矛盾、すなわち社会課題を身を以て体験したことが、「よりよい形を思い描」かせ、中内自身による、のちの流通革命の推進につながったのである。

日本の軍隊は異質なものを許さず、同質化を強いる組織だったから、「社会課題を『我が事』ととらえる」のに必須の「人と違うことを恐れない」力を培ったとは言い難いが、戦闘に生き残り祖国の土を無事に踏んだ両名は、運悪く死んでしまった仲間に対する「申し訳ない」という気持ちの裏返しで、「(生き残った)自己を肯定する」気持ちを持っていたに違いない。

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