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スイス Vol.01世界一高い最低賃金「時給2500円」をめぐる国民投票の結果と背景

憲法改正や一般の国政上の問題も国民投票で決まるスイス。時給2500円の最低賃金の導入、外国人労働者の制限を求めた「大量移民反対イニシアチブ」、これらの提案にスイス国民はどんな判断を下したのか。

時給2500円、月給45万7000円にNO

2014年5月18日、スイスでは最低賃金の金額を問う国民投票が行われた。これまでスイスには最低賃金の制度がなく、労使交渉によって金額が設定されていた。今回の国民投票で、スイス労働組合(SGB)が提起した最低時給額は22スイスフラン(約2500円)。最低月給額は約4000スイスフラン(約45万7000円)である(2014年5月時点)。それに対するスイス国民の答えは、「賛成」23.7%、「反対」76.3%と、圧倒的多数で否決された。

日本の求職サイトで時給2500円以上の仕事を検索してみると、家庭教師、看護師、通訳、翻訳、エンジニアなどの職種が検索結果に表れた。現在、飲食業や小売業などでは、人手不足によってアルバイトの時給額が高騰しているが、2500円には程遠い。東京都の最低賃金は時給869円(2013年10月時点)である。スイスの1人当たりGDPは約8万1000ドルと日本の約2倍の水準であるが、この時給額は東京都の2.9倍、沖縄県の3.8倍に相当する。

最低賃金の引き上げは、アジア、欧米を中心として世界でも大きな流れとなっているが、スイスで提示された金額は妥当な額だったのだろうか。

CNNによると労組の主張は、「小売店や飲食店の若い従業員ら33万人が最低限の生活を維持するため」だという。確かにスイスは物価が高い。2012年、筆者がレマン湖畔にあるスイス西部の中心都市ローザンヌで食べたマクドナルドのハンバーガーのセットは約1100円。500ml入りのミネラルウォーターは約300円。出張予算内に収まる宿泊料のビジネスホテルを探すのにも苦労した。経済力や自国に対するその国の為替相場の妥当値を示す指標であるビッグマック指数(Big Mac Index)の2014年の数値を見ると、スイスは+54.46%、商品価格は6.50スイスフランと、世界第3位である。近年は多少下降傾向にはあるものの、物価は高水準を維持したままだ。旅行者は笑い話で済むだろうが、生活者にとってはかなり厳しい状況にあることは間違いない。

今回の最低賃金の引き上げの提案は、労働者の約10%を対象に賃金を平均15%引き上げるもので、その総額は約16億スイスフラン(約1818億円)と、雇用する企業にとっては収益を圧迫する大きな問題で、中小企業を中心に、採用抑制や失業率の増加につながりかねない。さらに、近隣諸国の労働コストとの差から、企業の国外移転を促すことになるだろう。

既にスイスの労働者の9割以上が、時給22スイスフラン以上を稼ぎ、平均月収は提示された約4000スイスフランを超えている。また、同案をめぐる議論は各所に拡大し、多くの企業が最低賃金を約4000スイスフラン以上に引き上げる措置をとるという現象も起こっている。

しかし、国民投票の結果では、妥当な金額という判断は下されなかったようだ。

フランスからの日帰り移民の大量増加

一方、スイスでは、最低賃金が高いことによって、フランスの労働者を中心に、スイスで稼ぎ、生活費の安い自国で暮らすというスタイルの越境労働者、日帰り移民(Migrants au quotidien: les frontaliers)が大量増加している。このような働き方は、ジュネーブ周辺などで古くからあるが、2002年に発効したスイスと欧州連合(EU)の間の「移住の自由に関する協定」によって、2007年6月より越境労働が完全に自由化された。特定の国境地域では居住義務がなくなったことから越境労働者は徐々に増加し、毎日約7万人の労働者がフランスからジュネーブへ通勤する規模となった。越境労働者の団体権利を保護するための労働者連盟も存在するほどに定着している。2014年4月の失業率は3.2%であるから、スイスの労働者の働く場が失われるというほどではないが、越境労働者による賃金ダンピングが起きるという予測や、隣国のドイツ、イタリア以外のEU諸国から流入する労働者の増加が懸念されており、当局は監視を強化している。

移民政策については、1999年にEUと「2者間協定」を結んで以来、在スイス企業と雇用契約を締結したEU出身の労働者や、自営業者、資産家などはスイスで居住することを認めていた。しかし、EU圏からの移民が急増し、スイス司法省によると、2012年から1年間にスイスに移住した外国人は約15万人となった。その後、社会保障の負担増、不動産価格の上昇や交通渋滞(鉄道利用者の大幅増加)など暮らしへの悪影響、犯罪率の増加、主要産業における外国人労働者の比率の拡大などの問題が指摘され、押し寄せる大量の移民のコントロールと、スイス人の雇用を優先的に行うことが必要とされた。

こうした流れのなかで2014年2月9日には、外国人労働者の制限を求めた「大量移民反対イニシアチブ」に対して、国民投票が行われた。スイス国民党(SVP)はこれまでの移民政策を転換し「移民の受け入れを制限する」という提起を行い、これに対して国民の答えは「賛成」50.3%「反対」49.7%と僅差で可決、承認された。この結果を受けて、「大量移民反対イニシアチブ」では1年間に発給する労働および居住許可の数に上限を設けることとなる。

反対者の多くは、これによってEUとの友好な関係性が崩れることや、これまでスイスの労働市場に組み込まれていたEU出身者の外国人もこの対象になることで、各所に影響がでることを懸念している。スイスには国際的な拠点を置く機関や企業も多く、スイスの人口の約800万人のうち、外国人は約4分の1と、外国人がスイス経済を支えていることも確かだ。

投票結果を受け、政府は3年以内に、EUから外国人労働者の流入に関する措置や2者間協定を見直す必要があるが、EU側は反発しており、外国人労働者は混乱している。

 

グローバルセンター長 村田弘美