Macro Scope海を渡ったホモ・サピエンス。その3万年前の冒険とは。

人類進化学者 海部陽介氏
KaifuYosuke 東京大学理学部卒業、東京大学大学院理学系研究科博士課程を就職のため中退。1995年より国立科学博物館に勤務し、2015年より人類史研究グループ長。東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻准教授(兼任)。2012年、日本学術振興会賞受賞。化石などを通して約200万年にわたるアジアの人類史を研究し、ジャワ原人、フローレス原人などの研究で業績をあげる。著書・監修書に『人類がたどってきた道』(NHK出版)、『日本人はどこから来たのか?』(文藝春秋、古代歴史文化賞)、『我々はなぜ我々だけなのか』(講談社、科学ジャーナリスト賞・講談社科学出版賞)がある。

アジアを中心とする各地の遺跡から発掘された人類の骨や遺物をもとに、私たちの祖先が辿った道を解明してきた海部陽介氏。現在、海部氏は、ホモ・サピエンスがどのように日本列島にやってきたのかを明らかにするための、壮大な航海実験に取り組んでいる。なぜ実験をするのか。実験のなかで露わになったものは何か。その答えのなかに、"事実"というものに向き合う1つの方法論が見えてくる。

― 私たち日本人の祖先は、いつ、どのように日本に辿り着いたのでしょうか。まずはそこから伺いたいと思います。

日本に人類の遺跡が登場するのは、約3万8000年前。日本列島では原人、旧人の存在は確認されておらず、日本列島に初めてやってきた人類は、ホモ・サピエンスだと考えられています。
アジアには原人が約185万年前に住みつき、その後、約30万年前には旧人も出現しました。しかし、ホモ・サピエンスは、北京原人やジャワ原人、旧人であるネアンデルタール人などの子孫ではないというのは既に定説となっています。ホモ・サピエンスは約30万~20万年前にアフリカで誕生し、5万年前以降にアフリカを出て、ヨーロッパ、アジア、シベリア、オセアニア、そして米国へと大拡散していったのです。それ以前に世界各地にいた原人や旧人と、ホモ・サピエンスが生きていた時期は重なりますが、ホモ・サピエンスだけが生き残り、原人、旧人は滅びていきます。では、日本にどのようにホモ・サピエンスが移入してきたのか。サハリンから北海道に至る"北海道ルート"、台湾から琉球列島を北上する"沖縄ルート"、朝鮮半島から対馬を経て北部九州へ至る"対馬ルート"という3つのルートがあったと考えられます。彼らが移入した4万~3万年前は氷期で海抜が今より80メートルほど低く、サハリンと北海道は大陸と地続きでしたから、北海道ルートは陸路になります。ところが、ほかの2つのルートは海路以外考えられません。つまり、航海技術が必要でした。

― 3万年以上前に、数十キロ以上の航海をする技術があったというのは、本当に驚きです。

興味深いのは、ホモ・サピエンスが世界を席巻していくなかで、各地域で多様な文化と技術が生まれていったことです。ヨーロッパに渡った人々はクロマニヨン人と呼ばれていますが、すばらしい芸術文化を発展させました。ラスコー洞窟の壁画や驚くほど繊細な彫刻などに、それが表れています。もっと北の、シベリアに到達したグループは、寒さに適応するために、機能的な住居を建て、縫い針で縫った毛皮の衣服を身につけていました。そして、ユーラシアの東へ進み、アジアの海に到達したグループは、航海技術を発展させたのです。ホモ・サピエンスは初めて本格的に舟を使って航海をした人類なのです。彼らが世界中、あますところなく拡散したのは、航海技術あってこそだといえるでしょう。

学際的なプロジェクトで3万年前の航海を再現

― すると、やはり知りたくなるのは、3万年以上前にどうやって海を渡ったのかです。

それを明らかにしようとするのが、2016年に正式に始まった「3万年前の航海徹底再現プロジェクト」です。先に説明した沖縄ルートは、島が小さく遠いうえに、世界最大の海流である黒潮が横たわっています。そこに舟を漕ぎ出すのは、困難な挑戦であったに違いありません。私たちの実験は、草束舟、竹筏舟、丸木舟という3種類の舟で、実際に海上を航行するというものです。後の縄文時代に使われていた丸木舟を超える性能の舟は存在しなかったはずですし、現地にある素材を使うことなどを前提にすると、必然的にこの3種類に絞り込まれたのです。草束舟、竹筏舟の実験は、既に"失敗"に終わっています。「うまくいかないことがわかった」という成果があったともいえます。現在は、本丸の丸木舟で台湾から与那国島に渡る実験に向けて準備しています。

― 丸木舟も、当時の技術を使ってつくっているのですよね。

そうです。僕の知識だけではどうにもならず、多様な分野の専門家の力を借りています。たとえば、当時も使われていたであろう石の斧で舟をつくるために、石斧の研究者に協力してもらっています。また、丸木舟は100年前まで普通に使われていたため、それを研究している専門家もいる。彼らのほぼ全員に参加してもらい、勉強会を開いたりします。
もちろん道具だけでなく、海を取り巻く環境の知識も欠かせません。台湾と与那国島の間に横たわる黒潮をどのように渡ったのかは大きな疑問の1つであり、解明するには当時の黒潮の姿を知る必要があります。海洋学者に、スーパーコンピューターを使って、3万年前の海流の再現を依頼しています。おもしろいことに、このプロジェクトでは、協力を依頼して断られたことがありません。多くの一流の研究者たちが、専門知識を惜しげもなく提供してくれています。研究者は、金銭ではなくやりがいで集まるものなのですね。

祖先と同じ立場に立つということの難しさ

― 海部先生がこのプロジェクトを通じて目指すことは何でしょうか。

僕は、祖先の本当の姿を知りたい。アジアの端に到達したホモ・サピエンスが海を渡って日本列島やフィリピンに来たことはわかっています。ただし、どうやってそれが実現したのか、祖先がどうやってここに来たのかがわからない。だからこそ彼らと同じ技術、同じ道具だけでどうやって海を渡れるのかを実験しています。
ただ、3万年以上前に生きていた彼らと同じ立場に立って、同じ目でモノを見ることは、想像以上に難しい。たとえば、私たちは地図というものを知っています。地図を思い浮かべて「このルートで行けば渡れるだろう」と考える。しかし、3万年前には地図などなく、彼らにとっては自分の目でとらえられるものが世界のすべてでした。台湾から与那国島が目視できなければ、彼らは海を渡ろうと思わなかったでしょう。ところが台湾では、台湾から与那国島は見えないといわれています。僕らはどこかから、条件が揃えば見えるはずだと考え、「与那国島が見える場所を探している」という広告を台湾で出してもらったのです。すると、やはりありました。1000メートルほどの山の上から見えたといいます。僕も実際に行き、4日間山ごもりして本当に見えることを確認しました。そこから、与那国島に渡る1つのシナリオが見えてきたのです。山の上からは確かに海の向こうに島が見える。だが、舟を使って沖に出ると、海流で北のほうに流されていく。何度かそんな経験を積んで、まっすぐ島の方向を目指しても着かないということがわかってくる。だから、少し南の地点から出発しただろうと。黒潮は最大幅100キロにおよび、人の早歩きに相当する秒速1.5メートルにもなる流れです。その流れを計算して、見えていない島に渡ろうというのだから、ちょっとしたギャンブルですよね。移住して子孫を増やしていったわけですから、単独行ではなくある程度の船団だった可能性が高いでしょう。男性だけによる冒険ではなく、女性とともに渡った移住であるということも大事なポイントです。

「なぜ」を繰り返すだけでは事実に辿り着かない

― 彼らは、そんなリスクを冒してまで、なぜ海を渡ろうと思ったのでしょうか。

「彼らがなぜ渡ったのか」という問いには、誰も答えられない。彼らに聞いてみないとわからないのです。人はどうしても「なぜ」から入る。なぜから入ってもいいが、なぜ・なぜ・なぜと繰り返すだけでは事実には到達できません。「どのように行ったのか」というエビデンスを積み上げることで、その先にある「なぜ」の解明ができるかもしれません。

― 私たちの祖先は、私たちよりもずっとすごい人たちだった可能性がありますね。

確かに現時点では、僕らのプロジェクトは彼らを超えられていません。ただし、過大評価も過小評価もしない。調査や実験によって明らかになったことを正しく見る。それが科学者の態度です。海を渡ることができたから、日本人の祖先がほかの地域に渡ったホモ・サピエンスより優れているということでもありません。お話ししたように、ほかの地域には、芸術や建築技術を発展させた人々もいたのです。そこに島がたくさんあってこそ、日本や西太平洋で人々は航海技術を磨いたのでしょう。
この研究をやっていると、人間というものを見る目が変わってきます。遺伝子的には、当時の人々と私たちも、そしてもちろん現世人類のアフリカ人や欧州人といった集団間もほとんど変わりません。遺伝子が同じであっても、学習や経験によって人が変わり得るということに、いつも驚かされているのです。

Text=入倉由理子 Photo=刑部友康 Illustration=内田文武

After Interview

「なぜ」だけを繰り返していても本当のことはわからない。今回、最も意外かつ心に残ったのはこの言葉だ。私たちは常に「論理的に考えろ」と言われ続けている。“So What?”と“Why So?”を繰り返しながら、ものごとを明確にし、意思決定の精度を高めるのは、私たちの習い性ですらある。だが海部氏は、祖先のことを知りたいなら、祖先が海を渡った理由を考えるより、彼らが具体的にどうやって海を越えたのか、その“リアル”を明らかにするほうが、よほど多くのことを教えてくれるはずだ、と言う。
「ユーラシア大陸の東端に到達したホモ・サピエンスは、海を越え日本列島に渡った」という記述を目にしたとき、ふむふむそうかとあっさり納得するのではなく、「いやいや、そんなこと本当にできるか?」と最初の疑問を持てるか。そして、それを実際に確かめる“実験”にとりかかれるか。いわば、“超現実的な行動者”たれということだ。ビジネスパーソンにも、絶対に必要な行動様式だろう。

聞き手=石原直子(本誌編集長)