成功の本質第83回 日本環境設計

消費者参加で「ゴミ」を資源化
「石油を使わない社会」を目指す

2015年10月21日、東京・お台場で開催されたイベントの様子。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に登場した車型のタイムマシン「デロリアン」が古着からつくられたバイオ燃料でみごと動いた。
Photo=日本環境設計提供

映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(1985年公開)のラストシーン。過去から現在に戻った主人公のマーティーの前に、未来からタイムマシンのデロリアンに乗ってドクが現れる。そのデロリアンがゴミを燃料にして動くよう改良されているのを見て、観客は「そんなことが可能なのか」と目を見張った。
パート2では30年後の2015年10月21日にタイムトラベルした。昨年、その日が近づくと、映画で描かれた未来がどれほど実現されたか、何かと話題になった。さすがに空中高速道路は難しかったが、10月21日当日、東京・お台場には、ゴミになるはずの古着からつくられたバイオ燃料を使って動くデロリアンの姿があった。英BBCや米CNNも世界中に配信。多くのファンが映像に胸躍らせたことだろう。
デロリアンを登場させたのは、1人の男の情熱だ。日本環境設計社長の岩元美智彦は大学時代に映画のラストシーンを見て、衝撃を受けた。それから22年、不要となった衣類やプラスチック製品をリサイクルし、「地下資源(石油)に代わる地上資源にすること」を夢見て起業。この日走ったデロリアンは、米ユニバーサル・スタジオ本社に直接電話をかけて協力を求め、借りたものだ。その口説き方がいかにも岩元流だ。
「先方に話したのは、デロリアンが未来に行った10月21日を、"捨てない社会"を未来に約束する資源循環デーにしたいと。世界で起きる戦争や紛争の多くは、地下資源をめぐる争いです。ぼくらが理想とする循環型社会は、従来捨てられていた有機物のゴミをリサイクルしてプラスチックや燃料に再生し、地上資源だけを使って"石油を1滴も使わない社会"です。それは"戦争のない社会"にもなるはずだから、力を貸してほしい。突然の申し出にもかかわらず、理解と賛同を示してくれました」
岩元の描く未来に向け、既に動きは始まっている。環境省と連携し、「PLA-PLUSプロジェクト」と題した、プラスチック製品の回収・リサイクルの5回目の実験が、2016年2月から3月にかけて行われた。回収拠点としてセブン&アイグループ、イオンの二大流通企業を筆頭に家電量販店、ホームセンター、コーヒーショップやファストフードのチェーンなど54企業・団体が参加。技術面でも新日鐵住金や三菱マテリアルなど日本を代表するメーカーや東大発ベンチャーなどと提携。協力企業は150社に及び、回収参加者も延べ500万人に達した。
岩元が「地球環境防衛軍」と表現する産官学、そして消費者を巻き込んだ一大プロジェクト。それは、1枚のTシャツをめぐる「神のいたずら」から始まる。
岩元は鹿児島出身。繊維商社に就職し、福岡で制服を販売する仕事に従事した。1995年、容器包装リサイクル法が成立。ペットボトルやプラスチック製容器などを自治体が回収し、リサイクルすることを定めた。ペットボトルとポリエステル繊維は同じ素材。再生繊維でつくった制服を販売する課題を任された岩元は、地域の自治会や取引先を回っては、分別回収や再生繊維を使う意義を説き続けた。

Tシャツからバイオ燃料

岩元美智彦
日本環境設計 代表取締役社長
Photo=勝尾 仁

東京勤務になり、同じ仕事を続けていた2006年、新聞記事でトウモロコシからバイオ燃料のエタノールをつくる動きが米国で広まっているのを知った。木綿の繊維も同じ炭水化物が成分だ。国内で廃棄される繊維製品は8割が埋めるか焼却されていた。「服からもバイオエタノールができないか」。飲み仲間だった東京大学大学院生の_尾正樹(現・日本環境設計専務)がその話に賛同し、研究を開始。Tシャツを使った実験で綿の繊維を酵素で糖に分解することに成功する。後は発酵させればいい。
「後でわかったことですが、もし、綿そのものを使っていたら、細胞壁があって失敗していました。Tシャツは染色用に細胞壁の除去処理がされていたため酵素がうまく作用した。お金も知識もないため、Tシャツを使ったことが幸いしたのです。神様のいたずらでした」(岩元)
翌2007年、起業。愛媛県今治市のタオル加工業者の協力を得てプラントづくりも進めた。続いて、ポリエステルを分解して樹脂にし、それから新たにポリエステルの糸をつくり出す技術開発にも着手。ポリエステルは衣料用化学繊維の大半を占め、循環リサイクルが実現すれば、石油を新たに使わず、服から服をつくることができる。 課題はいかに服を回収するかだ。岩元は「技術」開発に続き、「仕組み」づくりに移る。その特徴は消費者参加型にこだわったことだ。
「ぼくらの目的は世の中を変えることです。消費者が動けば、社会が変わる。消費者を動かすには、全国各地の店頭に回収箱を置き、生活動線のなかに回収を組み込む必要がありました」(岩元)

良品計画との運命的出会い

しかし、企業や官庁を回っても、容易に理解は得られなかった。そんなとき、良品計画の金井政明社長(当時。現・会長)と出会う。金井は「売るだけの時代は終わった。使い終えたものを集めるところまでやって初めて支持される」と賛同。
金井の紹介で、経済産業省の外郭団体が管轄する「繊維製品リサイクル調査事業」に応募。2009年夏から翌年冬にかけて、2回にわたり行われた衣類回収とリサイクルの実験では良品計画のほか、イオンリテール、丸井、ワールドなどの店舗に回収箱を設置。延べ約3000人が参加し、約1万7000枚が回収された。期間中、集客と売り上げのいずれにもプラスの効果があり、回収に参加することが来店動機になり、購買意欲を喚起することが検証された。
「消費者も服を捨てるのは罪悪感があり、リサイクルをしたがっていると実感しました」(岩元)
2010年6月、事業化を開始。名称は「FUKU-FUKUプロジェクト」。「あなたの服を地球の福に」の意味を込めた。良品計画の関係者の協力で「ハチのマーク」のロゴも考案。蜜を見つけると巣に戻る循環を象徴化したものだ。
同時に岩元は毎年、膨大な量の携帯電話が廃棄されていることにも着目した。熱分解という1970年代に開発された技術を使い、携帯電話のプラスチック部分から再生油を、金属部分から金・銀・銅やレアメタルを取り出すことに成功。NTTドコモに1年かけて交渉し、全国2400のドコモショップで回収される年間400万台のリサイクルを手がけるにようになった。この取り組みから派生したのが、店頭でプラスチック製品を回収し、リサイクルを行う「PLA-PLUSプロジェクト」だった。ペットボトルや食品トレイなどは法律で回収が義務づけられたが、一般的なプラスチック製品については、回収する仕組みがなかったのだ。
2012年から回収実験を順次開始。2013年の第2回の実験で、セブン&アイグループとイオンが足並みを揃えてからは、参加企業・業界の幅がどんどん拡大し、一大プロジェクトへと発展していった。
リサイクルに使える技術を持つ企業にも広く協力を求めた。製鉄会社は環境対策が急務で、製鉄工程にはプラスチックのリサイクルに応用できる技術があり、プロジェクトに設備を提供することで、CO2削減に寄与できる。岩元はリサイクルに活用でき、相手にもメリットがあるような技術を探しては、訪問して回った。
「どの組織にも共感して協力してくれる"サムライ"がいます。飛び込みで1人に断られても何人、何十人と会う。確率に賭けサムライに会えるまで続けました」(岩元)w135_seikou_004.jpgPhoto=日本環境設計提供

「エンタメ」で人を動かす

リサイクルの「技術」、回収する「仕組み」に続き、岩元がもう1つ注力したのが人を集めるための「エンターテインメント」だった。デロリアンを走らせたのはその典型だ。その後も、ショッピングモールなどでデロリアンを持ち込んだイベントを開催。参加者は不要になった衣類やプラスチックのおもちゃ、文具などを持参するのが条件。デロリアンとの記念撮影やスタンプラリーなど、子連れで楽しめる企画を用意した。そこには2つの理由があるという。
「人間の理解と行動は別です。地球が危ないと説けば、頭では理解できますが、多くの人に行動してもらうには別の動機が必要で、それがエンタメです。楽しいから人は動き、集まる。みんなでデロリアンを動かそうと呼びかけたら、それまで1年かかった回収量が1カ月で集まりました。もう1つ、イベントなら企業のなかでも予算の多い販促部門と一緒に取り組めます。先方も集客につながり、われわれも事業として成り立ちます」(岩元)
こうして消費者参加の仕組みをつくると1つの循環のループが浮かび上がる。起点は消費者だ。次は回収拠点となる流通業の店頭。次いで回収された服やプラスチック製品が企業の工場で再生素材になる。それを使ってメーカーが商品をつくり、消費者が買い、不要になったら回収に回す。消費者が参加することで「ものづくりの"動脈"とリサイクルの"静脈"がつながる」と岩元は話す。
「1回転すれば、原料に石油を使わない製品が生まれ、回転していくにつれて参加者や協力企業が増え、量が増加すれば、価格的にも石油由来の製品と負けなくなる。価格が同じなら、石油を1滴も使っていないことが付加価値となり、ブランド化します。2016年4月には1回転目の商品がハチマーク付きで有名メーカーから発売されます」

マネタイズを常に意識する

古着はこんな具合に回収される。2015年1月、都内の商業施設での一コマ。
Photo=日本環境設計提供

岩元はこのループを「みんなでつくる○○」という意味の「みんなシリーズ」と名づけ、参加をオープンに呼びかけている。ある学校の理事長は「自分たちで制服をつくろう」と、地域に回収箱を置いて卒業生の制服や不要な衣類をリサイクルする案を提案してきた。岩元自身が構想するのは「みんなでつくる東京オリンピック」だ。携帯電話から金銀銅メダルを、古着から聖火トーチの燃料や選手の制服をつくる。「みんなシリーズ」では、「みんながワクワクドキドキできる企画がつくれる」と岩元は言う。
ループの回転でもう1つ注目すべきは、それが日本環境設計のビジネスモデルになっていることだ。製造したエタノールなどの販売だけでなく、回収段階では回収ボックスの企業への販売料金、消費者向けの商品販売ではハチマークのブランド料といった具合に、各プロセスの間に介在して収益を得る。いわば、メーカー機能も持った商社的なモデルだ。
「リサイクルを事業として成立させるために常に意識するのはマネタイズ(収益化)です。どのプロセスでも必ず価値を生み出し、収益に結びつける。社員たちにも必ずそれを考えさせます」(岩元)
岩元が独立前に行っていたリサイクル事業を引き継いだこともあり、日本環境設計は創業以来100カ月以上、連続増収増益を続けているという。
「技術」「仕組み」に加え、「エンタメ」も取り込んで消費者参加を加速させ、ブランド化して、収益を確実に得ながらプロジェクトをスパイラルに拡大していく。日本企業はとかく「技術力が優れていれば」の技術信奉から抜け出せないが、消費者参加型で社会を変えようと目指すこの取り組みは、新たな事業開発モデルを示している。(本文敬称略)

Text=勝見明

「一人称の世界」から始まる知的機動戦
成功を左右するのはマーチャンダイジング力

野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授
岩元氏が手がけるプロジェクトは、「自分は何をやりたいのか」という主観的な「一人称の世界」から生まれた。繊維商社時代、使用済みの服が大量に廃棄される現実を「自分の目」でとらえ、強い問題意識が芽生えた。そこから、綿を分解して原子レベルにまで還元し、バイオエタノールに変換する技術を開発、「石油を1滴も使わない社会」という大義を抱くに至った。モノを開発できるリサイクル技術を持ったことにより、マーチャンダイジング力が備わり、大義をビジネスモデルに結びつける展開が可能になったのだ。
地下資源をめぐる競争はパワーゲームの消耗戦の世界であり、戦力の大きいものが制する。一方、ゴミでもある地上資源の活用は、適時適応の意思決定と戦力の移動・集中によって戦いの主導権を握る知的機動戦そのものだ。岩元氏は、大企業も巻き込んだ消費者参加の仕組みをつくり、地上資源の活用を社会運動化しようとした。
それは「消費者→回収→リサイクル技術→商品化→消費者」というループを形成し、これが回転するたびに運動は拡大。さらに高速回転が実現できれば、競合関係にある地下資源(石油)に対し、
ブランド力により常に優位性を発揮できる。岩元氏の機動戦は一人称の世界から始まり、それは「共感してくれるサムライ」との対話を通じて二人称の世界へと発展した。
さらに「デロリアンを走らせる」「みんなでつくる東京オリンピック」等々、魅力的な「戦略的物語り」を生み出し、それは社会システムのイノベーションにまで結びついた。物語りは次々連鎖を生んで生態系を広げ、オープンエンドで終わりがない。
さらに重要な点は理想を追求する一方、マネタイズも重視していることだ。価値はモノの向こうにあるコトから生まれる。顧客は店頭に並ぶ再生繊維でできた服を見て、モノとしては石油由来の繊維でできた服と同じでも、「石油を1滴も使わずつくられた」コトに価値を感じ購入する。
日本環境設計は、自ら技術を持つと同時に協力企業の技術も取り込み、モノを通してコトを生み出すマーチャンダイジング力に優れている。ネット時代には新業態が次々登場するが、最後はマーチャンダイジング力を持つところが知的機動戦を制することを予感させる。
野中郁次郎氏
一橋大学名誉教授
Nonaka Ikujiro 1935年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院博士課程修了。知識創造理論の提唱者でありナレッジマネジメントの世界的権威。2008年米経済紙による「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」にアジアから唯一選出された。『失敗の本質』『知識創造企業』など著書多数。