研究所員の鳥瞰虫瞰 Vol.2「希望職種は大学職員」が意味するもの 豊田義博

若手社会人の人気職種は、大学職員なのだという。
転職エージェントのキャリアアドバイザー数名と、昨今の第二新卒市場の状況について会話していた時のこと。若年の求人は増えてきてはいるが、マッチングがなかなか進んでいない。背景はいろいろあるのだが、その最たるものは、彼ら若手が希望するような仕事がないからだという。その希望とは、と問うてみると、返ってきた答えは「定時に帰れて、雇用が安定していること」。その代名詞が、大学職員なのだ。
ネットで調べてみると、確かに人気であることが見て取れる。大学職員志望者たちへのガイドや、大学職員への就職、転職を果たした人々のコメントが溢れている。内容に目を通すと、「少子化が進む中で、大学運営の在り方を考える」「企業が求める人物像を把握する」といった、現代の大学職員に求められる視点、問題意識などが書かれているが、ベースにあるのは、この職業を「安定したもの」として捉える姿勢だ。個人のブログ、掲示板サイトなどの本音ベースのコメントに目を転じると、その志望動機は、
●雇用の安定
●高給
●仕事が楽、残業がない
●休暇がとれる
という身も蓋もない項目に集約される。「大学職員は、究極の勝ち組」というコメントも見受けられた。若手は、みなそういう仕事を望んでいる、という認識が、少なくともネット内からは顕著に窺える。

大学職員をめぐる環境は、大きく変わっている

さて、ここまでをお読みになって、あなたは何を想うだろうか。
「最近の若手は、何を考えているんだ…」「これだから『ゆとり』は…」といった、今どきの若手社員の実情を憂う想いだろうか。
それとも、「私も同感だ」「そのような仕事に就きたいと思う気持ちは、十分に理解できる」「仕事とはその程度のものだろう」といった、若手社会人の意向に同調するものだろうか。

私は、そのいずれでもない。「大学職員」が、楽な仕事だとは全く思っていないし、「希望職種は大学職員」という若手の意向の中には、そのような表層的な動機とは一線を画すものがあると思っているからだ。
仕事柄、長きにわたって、大学職員の方々と接してきた。今も、いくつかの大学とは、客員教授などの立場でコミットしており、キャリアセンターの職員の方々との交流もある。そして、ここ10年ほどの間に、大学職員の方々の在り様に変化が生まれていると感じている。ひとことでいえば、意欲の高い方が増えている。20年前とは様変わりだ。

大変失礼な申し上げようになってしまうが、20年前までは、大学職員の多くは、「上層部や教員からの指示に従って仕事をする」「受け身で、意欲が低い」方々であったと認識している。あるベテランの職員の方は、「私たちが就職したころは、『職員は、言われたことだけをやっていればよい』という認識が学内に明確にあった」とおっしゃっていた。大学は公共財であり安定した存在、潰れることなんてありえない、という社会通念が支配していたころの話だ。

しかし、1991年から実施された大学設置基準の大綱化≒規制緩和を契機としたさまざまな大学、学部学科の新設ラッシュ、少子化に起因する多くの大学の定員割れ≒経営危機、文科省が次々と繰り出す大学改革施策…といった劇的な環境変化を経て、今はどの大学も安閑となどしていられなくなっている。大学職員に求められる能力・資質も大きく変わった。来年度からSD(Staff Development=職員の能力開発)が義務化されることも、そうした状況を踏まえてのものだ。

大学という公共性の高い教育機関が、社会からの要請を受けて、いま大きな変容を求められている。明確な社会課題がそこにはある。大学職員は、大学教員同様、いやそれ以上に、社会課題に向き合い、課題解決することを要求される。こうした状況を理解し、仕事に対する姿勢を変容させている大学職員は増えている。ならば、こうしたことを理解せず、待遇のよさのみを志望動機としていては、新たに大学職員の職に就くことなどできないだろう。

社会とのつながりを取り戻すために

「希望職種は大学職員」という意向を持つ若手たちの多くは、安定、高収入という表層に惹かれているのかもしれない。しかし、私は、大学職員の道を目指す人の中に、そのような表層ではなく、その仕事の持つ公共性、社会課題への対峙という深層に共感している人が、少なからず存在すると思っている。昨今同様に高まっている公務員志望の高さにも、相通ずるものがあると思っている。公共性、社会課題への対峙を欲している、ということだ。

裏を返すと、彼らは、民間企業の大半の仕事に、公共性や、社会課題とのつながりを感じられずにいるのだと思っている。今の会社での仕事に社会とのつながりを感じられずに、意義・価値を見出せられないのだ。そして、転職を考えたときに、視界に飛び込んでくるのが、大学職員という、社会とのつながりが約束されていると思しき職業。仕事環境、待遇としても恵まれているとなれば、志望したくもなるというものだ。
しかし、世の仕事は、すべて「社会とつながっている」。仕事とは、すべからく、困っていたり、求めていたりする誰かのために、何かをすることである。にもかかわらず、多くの人が、そのつながりを意識できなくなってしまっている。仕事の意義、価値、そして手応えを得られていない。大学職員人気は、この「とんでもない状況」を映し出す社会現象なのだ。

世界から我が国に訪れる人々の多くは、日本の街のきれいさや人の親切さなど、さまざまな側面を高く評価するが、その一方で、この国の停滞ぶりを痛烈に指摘してもくれる。

「どうしたんだいこの国は。人々の眼が、まるで死人のようじゃないか」
しかし、すべての日本人の瞳が生気を失っているわけではない。輝きを持っている人も、少なからず存在する。そして、くすんだ瞳の奥で、輝かせたいという想いを持っている人はたくさんいる。一人ひとりが、社会とのつながりを実感できれば、きっとその瞳は輝きを取り戻すはずだ。
何を青臭い話を、と感じる方もいるだろう。その通りである。しかし、今ほど、青臭い話が必要な時代はない。私は、そう思っている。

豊田義博

[関連するコンテンツ]