研究所員の鳥瞰虫瞰 Vol.2賃金に対する美徳と分配 中村天江

「お金にガツガツしているのははしたない」。日本には、お金に対してつつましやかであることを美徳とする風土がある。
実際、リクルートワークス研究所が行った国際調査でも、「仕事をする上で大切だと思うもの」について、諸外国は軒並み第1位に「高い賃金・充実した福利厚生」が来ているのに対し、日本では「高い賃金・充実した福利厚生」は「良好な職場の人間関係」「自分の希望する仕事内容」「適切な勤務時間・休日」に次ぐ4位に留まっている。

仕事をする上で大切だと思うもの(上位3つ)

出所:リクルートワークス研究所「Global Career Survey」

日本でこのような価値観が形成されてきた背景には、戦後の右肩上がりの経済成長のもと、9割以上の国民が「生活の程度」が「中」と答える一億総中流社会が形成され(内閣府「国民の生活に関する世論調査」)、所得格差や失職リスクが小さかったことがある。定年までの雇用と年功で上がる賃金を保証された正社員にとっては、賃金よりも、働き方の質が重要だっただろう。

しかし、1985年から2016年にかけて、正社員は3343万人から3325万人とほとんど変わっていないが、非正社員は655万人から2007万人となり、家計補助ではなく生計を支える非正社員が増えた(総務省「労働力調査」)。相対的貧困率は16.0%に達し、OECD加盟国34ヶ国中5番目の高さとなっている(OECD 2014 Family Database "Child Poverty")。いまや労働者の4割を占める非正社員の待遇は重要な政策課題だ。

このような事態を受け、政府は2016年6月非正社員の待遇改善を掲げ、「ニッポン一億総活躍プラン」で、最低賃金の引き上げや同一労働同一賃金の実現を目指すと表明した。

賃金決定のメカニズム

そもそも、賃金はどのようにして決まっているのだろうか。賃金決定の仕組みを下図にまとめた。基本的に賃金は、企業内の報酬制度によって決定される。職能や職務、役割など、何を軸に賃金を決定するかは企業次第であり、人事考課を通じて、本人の貢献度が賃金に反映される。ここは各国共通だが、それに付随する賃金決定メカニズムは、労働市場の特性によって違いがある。

賃金決定の仕組みの特徴

まず日本では、企業内労働組合による団体交渉を通じて昇給がはかられる。組合の組織率の低下とあいまって、終身雇用の正社員にとっては有効だったこの仕組みが、有期契約で働く非正社員の待遇を改善するには不十分なことが指摘されている(※1)。非正社員の62.5%が「労働者の利益を交渉する組織・手段が確保されていなかった」との調査結果もある(※2)。

一方、米国では、労働市場の需給バランスによって賃金が決まる。外部労働市場が発達しており、"Voice or Exit"(要望する、納得できなければ辞める)なので、企業は優秀な人材の獲得や引き留めに、高い報酬を用意しなければならない(※3)。そのため個人の交渉力によって賃金に差がつき、所得格差は大きい。

フランスやドイツでは、企業それぞれではなく、産業別に労働者団体と使用者団体が交渉し、賃金水準を決定する。この協約賃金により職種別賃金相場が形成され、雇用契約が違っても同一の仕事であれば同じような水準の賃金が支払われる(※4)。

いずれの国でも、企業独自の賃金制度と補完的な、労働者と使用者の交渉の仕組みがあり、それによって分配額が決まる。日本では企業内労使交渉、米国では個人と企業の「1:1」の個別交渉、大陸欧州では産業別労使交渉が、賃金決定に重要な役割を果たしている。

賃金交渉を行うのは誰か?

近年、欧州では、賃金の透明性の観点から情報開示を求める動きがある(※5)。日本でも、これまでの非正社員の待遇改善のための法整備では、労働者の入社時や要望があった時に、賃金などの労働条件について企業が説明する義務が追加された(パートタイム労働法第14条、派遣法第31条)。現在の同一労働同一賃金の検討においても、企業の説明責任のあり方はひとつの論点だ。今後は大きな流れとして、ブラックボックスとなっている賃金決定を透明にし、労働者の納得性を高めていく方向に進んでいくだろう。これはいわば、企業と個人の「1:1」の個別的労使関係の整備だ。

この方向に進むのであれば、賃金に対する個人の価値観は極めて重要だ。なぜなら、賃上げを求めている労働者に対し、その要求を受ける側が「賃金について要求するなんて」という価値観をもっていると、交渉以前に煙たがられて終わってしまうからだ。職場で浮いてしまう可能性さえある。賃金に対する美徳は、時に賃上げを求める他者を排除する。
個人と企業の「1:1」の個別的労使関係によって賃上げをはかるには、このような価値観と抗えるだけの策を講じる必要がある。それとも、「1:1」の個別的労使関係での賃上げには限界があるとみなし、集団的労使関係を再整備していくのか。

非正社員の賃上げに向けては、分配と交渉の仕組みに立ち返った議論が必要となっている。

※1 労働政策研究研修機構「様々な雇用形態にある者を含む労働者全体の意見集約のための集団的労使関係法制に関する研究会報告書」
※2 リクルートワークス研究所「全国就業実態調査」
ディーセントワークに関する課題

※3 ハーシュマン「離脱・発言・忠誠」ミネルヴァ書房
※4 労働政策研究研修機構「雇用形態による均等処遇についての研究会報告書」
※5 国立国会図書館「欧州における同一労働同一賃金」

中村天江

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