Column

日本IBM株式会社 執行役員 インダストリー営業統括 公共営業本部長
志済聡子氏(前編)

管理職にならなければ一人前ではない
ビジネスに真摯に向き合い成果にこだわる、そしてもう一つの大事なこと

1986年に新卒で日本IBMに入社した志済聡子氏は、結婚と出産などのライフイベントを経験しつつ、着実に自身のキャリアを積み上げてきた。志済氏は、ビジネスパーソンとして社内でマネジメントに携わることを強く望み、さまざまな環境変化に柔軟に対応しながら、成果にこだわり働いてきた。しかし、それだけで今のポジションを獲得したわけではない。志済氏の働き方を追ってみよう。

偶然の会社の方針転換が、
運命的な営業への異動を実現した

志済氏は北海道大学を卒業後、日本IBMに入社した。札幌営業所勤務だったが、1990年に結婚を機に東京の通信系事業部に営業職として異動した。その7~8ヵ月後に出産のため1年間の育児休業に入った。1992年に復帰した際には元の部署ではなく、全く経験のない官公庁システム事業部の営業を担当することになった。

「元の部署が、組織縮小となり、官公庁システム事業部に復帰する事になりました」

官公庁担当の営業は困難を伴うものだった。当時の中央省庁は歴史的に、国産のコンピューター・ベンダーが強く、加えて、それまでの民間企業との取引とは異なって、調達サイクルが長期に渡ることも困難さを増す要因になった。

「当時、先人がいくつかのお客様の大型システムを獲得していましたが、官公庁は、長い調達のサイクルがあります。幸い当時の上司からは、『あまり焦らずやってくれ』との言葉をもらい、私の官公庁営業のキャリアが始まりました」

志済氏は、最初から営業職だったのではない。

「当時、IT業界ではSEが圧倒的に不足している時代でした。私も文系出身でしたが予想通りに最初はSEとして勤務しました」

しかし、米国IBMの状況を知る副社長が、日本では営業職に女性が少ないことに問題意識を持ち、女性営業職を増やす施策が行われる事になった。当然、志済氏にも声がかかった。

「『営業をやらないか』と言われ、すぐ『はい』と返事をしました。SEの私たちが、保守やシステムデザインやOSといったテクニカルな話題で仕事を進めている隣で、営業部の仕事は、全然違う世界に見えていました。種類の異なるダイナミックさに惹かれていたのが最大の理由です」

このような経緯で志済氏はSEから営業職へと職種転換した。同じタイミングで同期入社の女性が10人ほど営業に変わったという。

地道な営業活動をあきらめずに続けられたのは志済聡子氏
見守ってくれる上司の視線のおかげだった

官公庁への営業では、その発注サイクルに苦戦した。国の予算による発注は長期的視野で行わなければならない。一つの案件が成立するまでに、2年以上要する事も稀ではない。同じ営業でも民間企業を担当している同期と比べると、なかなか成果が出ないように見えてしまう。

しかし、志済氏がそこであきらめずにその仕事に集中できたのは、本人の強い意志に加え、的確にサポートしてくれる上司の存在が大きかったという。

「隣で受注が決まったライバルが表彰されている時、私の方はまだ5合目ぐらい。私は全く仕事をしてないように見える一方で、彼は非常に貢献している。上司の事業部長が『焦るな。自分の直近のマイルストーンがちゃんと見えていれば、ゴールが先にあっても、一つずつ着実に進んでいけば到達する』と言ってくれました」

おそらく事業部長は、適切なプロセスを経て確実に業務を前に進めている志済氏の日常の活動を評価し、成果への期待をそのような言葉で表現していたのだろう。そして、志済氏自身も、その事業部長との定期的な面談で、肩の荷を下ろすことができたのと同時に、自分が目指す方向がわかるようになったという。

当時訪問していたお客様は、IBMとしては初めて志済氏が飛び込んだところで、会社にとっても新しいチャレンジだっただけに、学ぶことは多かった。

「手探りで勉強しながら、新しい市場を自分でイチから作っていくというチャンス。先輩のうしろについていては経験できない、いろいろなチャレンジがありました。5年ぐらいかけて、このお客様から大型案件を落札できたことが、私にとっては一番大きなイベントだったと思います」

1997年、大きな競争入札に成功した志済氏は、ほどなく主任に昇進した。昇進のタイミングは、同期の中では平均的と志済氏は言う。しかし、育児休業による1年間のブランクがあることを考えると、早いと言うこともできるだろう。

周囲の評価に応えることで、
チャンスはどんどん広がって、責任範囲も重くなる

2001年には、公共サービス事業開発担当の課長職となり、2003年には公共サービス事業部第二営業部長へと昇格し、本格的に部下を持つことになる。“商品”は、製品中心からサービスへと変わった。いかにシステム開発を進めるか、それまでに積み上げた顧客との関係、経験と積み上げられた知識がモノを言った。

「私は早くラインマネージャー(いわゆる管理職)になりたいと思い、そのことは常々上司にも言っていました。自分としては、『もう少し早くしてくれてもよかったのに』『やっとなった』という感じでした。ビジネスの世界で生きる以上、ラインマネージャーになって一人前という価値観を持っていたのです」

「やっと昇格しましたが、1年間で異動になり、ソフトウェア部門の営業部長となりました」

2005年、公共ソフトウェア営業担当の部長職となる。当時の社長が営業チームの組織構成を変えたことに伴う異動だった。志済氏は異動前、もともと公共サービス事業部にいたという社長に「営業のフォーメーションを変えるのでソフトウェアを担当してほしい」と直接言われたという。

それは、それまで別々に動いていた顧客担当の営業と、製品サービスの営業を、一つのチームとして動かすという試みだった。そこまでに積み上げた経験と実績が、指名に至った理由に違いない。

「大型の案件を担当すると、経営層に様々な営業の状況報告や、説明をする義務と機会が増え、経営層との接点も多くなります。プレゼンや話を通じて、私の人間性やどの程度の能力かは少しずつ伝わります。そういうやり取りの中で、当時の各部門の常務や専務や社長に、“彼女だったら、やれるかもしれない”という評価をいただけたと思うのです」

ソフトウェア部門への異動は、志済氏にとって大きな試練であり、同時に開眼の機会でもあった。

「勝手が違う!」異なるカルチャーを持つ部署への異動で、
マネジメントの本質に気づく
志済聡子氏
異動後、志済氏が最初に感じたのは、そのカルチャーの違いであった。

「ソフトウェア部門へ異動して感じたのは、チームにいる人間の性格が、以前の部門とは違うことでした。ひとことで言うとちょっと変わった人たちが多かった。顧客担当の人たちなら、業務上の指示に対して『はい、わかりました』と言ってもらえることも、『なぜですか』『それがどうかしましたか』という反応が返ってくる」

志済氏はこの経験で、マネジメントの苦労を知る。異動した最初の年に行われた360度評価のサーベイが、惨憺たる結果だったのだ。10人弱いた当時の部下からの志済氏への評価は、日本IBMのソフトウェア部門の各ユニットの中で最低点だった。

「ソフトウェア部門のトップに『志済さん、どうかしたのか』と尋ねられましたが、『ちょっと考えてみます』としか返事ができませんでした。コメントを読んでいてもよくわからないため、直接みんなと『何が嫌だ』『これが嫌だ』と話をしました」

同じ会社であるにもかかわらず、商品の違いが、組織のカルチャーをも異なるものにすることを、志済氏は身をもって学んだ。これまでの自分の仕事のスタイルや、自分に対する過信や成功体験を、振りかざしていても、ソフトウェア事業のメンバーには何も響かなかったと、当時を振り返る。

「過去と同じようなやり方をしても駄目だとわかったのです。なので、徹底的にメンバーのモチベーションを高める事に注力しました。以前の部署の人たちが見たら『志済さん、どうかしたのですか』と言われるくらいに、馬鹿みたいな事もやったのです」

ソフトウェア部門が長い他のマネージャーからも学んだ。彼らの目の付け所は、それまでいた部署では考えられないものだった。例えば、公共サービス時代は直接顧客を訪問することが重要だったが、ソフトウェアでのアプローチは多様だった。ディストリビューターやパートナー、それまで競合と思っていた顧客の門も迷わず叩く。

「お客様が『ロータス※注1が欲しい』と買ってくだされば、ハードは何であっても関係ないわけです」

ハードウェアがどの会社のどんなものであろうと、IBMのソフトウェアが入っていく余地はいくらでもあるからだ。商品の売り方、根本思想がまったく違っていた。

(後編に続く)

志済聡子氏
志済聡子氏 プロフィール
日本IBM株式会社
執行役員 インダストリー営業統括 公共営業本部長

略歴:
1986    北海道大学卒業
日本IBM入社 北海道にてSEとして勤務
1988    北日本営業本部 札幌営業所 営業二課 営業部員
1990    結婚を機に通信業界担当営業に異動(箱崎)
1991    第一子出産~育休一年
1992    官公庁システム事業部
1997    官公庁システム事業部 第二営業部主任
2001    公共・公益サービス 公共サービス事業開発担当(課長職)
2003    公共サービス事業部 第二営業部長
2005    ソフトウェア事業 公共ソフトウェア営業担当(部長職)
2007    理事 ソフトウェア事業 インダストリーソフトウェア事業部担当
2007    理事 オペレーションズ ソフトウェア担当
2008    IBM Corp 出向(Director, WebSphere Worldwide Sales, Software Group)
2009    理事 公共事業担当
2009    執行役員 公共事業担当
2012    執行役員 インダストリー営業統括 公共営業本部長
2014    執行役員 インダストリー事業本部 公共・通信事業部長

※注1:現在のIBM Notes/Domino 9.0の名でIBMが開発・販売しているグループウェア用ミドルウェア。Lotus Development Corporation社が1989年に開発、リリース。1995年にIBMが買収し、2002年よりIBM Lotus Notes/Domino として販売されている。

 

2015年04月17日