Column

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この先、日本企業の人事が、自社で働く人々に何を提供することを約束するのか、逆に人々からはどのように貢献してもらいたいかをデザインするにあたって、働く人々の「学び」の構造をも変えていく必要がある。
日本における成人の学習時間は、国際的に見て非常に少ないと言われる。たとえば経済協力開発機構(OECD)が2012年に実施した「国際成人力調査(PIACC2012)」によれば、「現在、何らかの学位または卒業資格取得のために学習しているか」という質問では、25~34歳でも35~44歳でも「はい」の回答が5%以下であり、韓国と並んで、調査回答22カ国中最低水準である。

もちろん、このことがただちに「日本の大人は学習していない」ことを意味するわけではない。実際には、日本の大人、特に就労者の学習は、企業内部で行われる職業訓練(OJTを含む)が中心になっているのだと考えられる。日本型雇用システムは、特別な専門的スキルを持たない新規学卒者を企業に迎え入れ、その人たちに能力開発投資をほどこし、その職業能力を高めることを内包してきた。またこれは、職業能力に関しては、企業外で学べることが少ないと考えられているために、大人が企業の外で何らかの学位や資格を取得する意義を感じていないということでもある。

企業による能力開発投資を受けられる人が減っている
しかし、こうした「企業による能力開発投資」が、これからの時代を生きる大人の学びとして十分とは言いがたい。ひとつには、こうした企業による能力開発投資を受けられる人の数が年々少なくなっているからだ。日本では、年々非正規労働者が増えている。長きにわたって自社のために働くわけではない非正規労働者のために、能力開発投資をしても見合わないと企業が考えるのは、いたって合理的だ。
だが、このままでは、新卒時点で正規雇用を勝ち得た人と、それが叶わなかった人の間に、圧倒的な能力開発機会の差が生まれることになる。この現実は、人々を今以上に「正社員」至上主義に向かわせる可能性がある。
新卒で正社員にならないと、十分な職業能力開発ができない。年齢を重ねても職業能力が正社員ほどに高まっていないと判断されるから、後に転職や就労をしようとしても、正社員であった人に比べて見劣りする。また、正社員でないが故に、学習に自己投資できる金銭的な余裕を持てるほど稼げないことも十分に想像され、その場合には自己学習もままならない。こうして、初職で正社員にならないと、途中からは挽回しづらいという負のループが生まれ、そこに生じる格差が固定されやすくなるのである。

OJTの機能不全により、企業による能力開発投資の質も劣化
企業による能力開発投資が、大人の学びとして不十分なもうひとつの理由は、その企業による育成そのもののクオリティが劣化している可能性があるからだ。仕事に関わる学びの多くは、実際の仕事経験(OJT)を通じて得られるというのは日本企業の信条であるし、筆者もそれに反対するわけではないが、OJTが十分に機能するためにはいくつかの条件がある。それはたとえば、経験を積んだ先輩と業務経験の浅い後輩といった関係性が職場内で豊かに展開していること、若手の成長を見守り、成長のために必要な仕事経験をデザインして任せてみる、職場における「余裕」があること、などである。
だが現時点で、日本の多くの企業では、景気が低迷した時代の遺産であるいびつな年齢構造や人員構成が改善されておらず、また業務の細分化と個別化などが進んだ。「後輩の仕事を先輩が教える」というOJTの基本構造が機能しづらくなっているのだ。

大人の職業能力開発を支援するための4つの提案
かくして、日本における「大人の学び」の現状は明るくない。学習機会の不平等をなくし、必要な学びを、誰もがそのステータスにかかわらず実践できるようになるためには、企業の外に学びのプラットフォームを構築する必要がある。今の日本の、特に職業能力に関わる「学び」のあり方を以下のように変えることを提案したい。
(1)    大学・大学院などが「職業能力」に直結する学びを提供できるようになる
(2)    大学・大学院などの高等教育の無償化と短期化
(3)    企業から大学への「知の還流」の仕組みの構築
(4)    就労者が、キャリアの途中で「学びに行く」ことを可能にする人事制度や労働契約の仕組みの構築

以下はその詳細だ。
(1)大学・大学院などが「職業能力」に直結する学びを提供できるようになる
日本では、職業に関する能力は「企業で」身につけるという慣行があまりに普遍的すぎるため、個人も企業も、大学や大学院での学びが職業に結びつくという感覚が弱い。だが、企業の外でも、職業能力を高める機会が豊富に準備されていることが、人々のキャリアに関する選択肢を広げることは明らかだ。大学や大学院で提供する教育に、職業に直結する知識や技術・スキルを習得できるようなプログラムが、もっと増える必要がある。
すでに文部科学省などでも検討されている通り、大学を、最先端のことを研究する研究大学(リサーチユニバーシティ)と、職業に結びついた実践的な知識や技術を身につける高度プロフェッショナル教育を実施する大学(このような教育機関は、たとえばオランダでは応用科学大学と総称されている)に分ければよい。プロフェッショナル教育機関で、誰もが、いつでも、学び始めたり、学び直したりすることが可能な社会を構築する必要がある。
日本でも専門職大学・専門職短期大学という職業能力に直結する大学を設置する法案が提出されている。これらの新しいタイプの大学が、真に職業に直結する学びを提供できるようになるための、設置基準づくり、カリキュラムのあり方、教員の資格などについて、これから議論が深まっていくことを期待している。

(2)大学・大学院などの高等教育の無償化と短期化
プロフェッショナル教育機関ができたとして、それが高いお金を払わねば入学できなかったり、あるいは2年や3年といった長い時間を投入しなければ学べなかったりすれば、その恩恵にあずかれる人は、やはり限定的になってしまう。資源のない日本において、人材こそが競争力の源泉だというのであれば、その人材の価値を高めるために、もっと国や社会が投資をすべきである。高等教育機関の無償化の議論は、社会としても緒に就いたばかりだ。財源の問題も小さくはない。だが、誰もが、いつでも、必要な学びを享受できるためには、無償化が必須条件であることは間違いない。
また、プロフェッショナル教育については、「短期で学べる」ことが非常に重要であると考える。現実には、2年や3年を学びだけに費やすことができる恵まれた人はそう多くない。プロフェッショナルとしての仕事に必要な学びが、もしも2カ月などの短い期間で提供されるのであれば、学べる人の数は圧倒的に増えると思われる。
「短い期間での本格的な学び」を実現する画期的なアイデアには、国や自治体からの予算をもっとつけてもいい。テクノロジーの力を利用すれば、こうした学びは夢ではないはずだ。

(3)企業から大学への「知の還流」の仕組みの構築
大学や大学院で職業に直結した学びを、と言ったところで、現時点では多くの人が「大学に、ビジネスの最先端で起きていることをカバーできるだけの実践的な学びを提供する力はあるのか」と疑問に思うだろう。これを克服するためには、大学と企業がこれまで以上に協働する必要がある。理系の分野では、大学や大学院での研究と企業の基礎研究所などが密接に結びついていることは今も珍しくはないが、いわゆる文系学部でも、企業での経験の長いビジネスプロフェッショナルが大学に、その持てる知識を還元する仕組みが必要だ。
ひとつには客員教授や特任教授などの形で、期間限定でビジネスプロフェッショナルを大学に迎え入れることが考えられる。また、大学の教員が企業や企業内プロフェッショナルと連携して、学生に企業の現場を体験させたり、企業の抱える現実的な問題に直面したりできるようなプログラムを開発することも可能だろう。いずれにしても、大学と企業の「距離」を縮めることが、職業に直結する能力を開発する学びには不可欠だ。

(4)就労者が、キャリアの途中で「学びに行く」ことを可能にする人事制度や労働契約の仕組みの構築
企業に勤めている人にも、企業内教育に閉じずに、外部での学びを自らの意思で実行できるように、現在の人事制度や働き方、労働契約を変えていくことも重要だ。まずは、平日の夜や土日といった時間を、個人がもっと自由に使えるようになるような、働き方改革の推進が求められる。平日に20時や21時といった時間まで働くことが常態化していては、その後に学ぶことはもちろん、土日は休養で精いっぱいで学びに費やせる精神的・肉体的な余力は持てない。さらには、一定期間働いた人に対して、数カ月など、職場を離れて外部に学びに行く「サバティカル」を認めるような人事制度も考えられる。
働く人の学びを支援するだけでは十分ではない。今の日本企業では、企業外部の学びの評価が低すぎて、学びへの投資が、ビジネスパーソンには「見合わない」と感じられている。学んだことが就職や転職の際に、きちんと職業能力として評価されること、あるいは、学んだことによって、給与が増えたり、ポジションが上がるなど、学びの「効果」を実感できるように人事制度を変えていく必要がある。

以上のような社会と企業の改革をもって、日本を「大人が学び続ける社会」にしていくことが重要だ。科学が進化し、健康寿命が延びるなか、ひとりの職業的キャリアがひとつの企業の内部で終了することが、これからは稀になってくる。「大人が学び続ける社会」は、企業の内と外を、個人が移動し続け、その職業的キャリアを自律的に構築することができるようになるための、前提条件なのだ。

 


プロフィール
石原直子
慶應義塾大学法学部卒業後、銀行、コンサルティング会社を経て2001年よりリクルートワークス研究所に参画。以来、人材マネジメント領域の研究に従事。2015年から2年間、機関誌Worksの編集長を務めた。2017年4月から現職。タレントマネジメント、リーダーシップ開発、女性リーダー育成、働き方改革等を専門とする。主な著作に『女性が活躍する会社』(大久保幸夫との共著、日経ビジネス文庫)がある。

 

2017年05月13日