才能を開花させた人たち サントリー酒類 スピリッツ事業部ウイスキー部 奈良 匠(たくみ)氏 ハイボールブーム立役者の一人として、「サントリーウイスキー角瓶」出荷量を4年で4倍にし サントリーウイスキー復権の足掛かりを築いた男
「ウイスキー」好きが高じて入社 苦労しながら仕事の基礎を叩き込まれた、北海道支社時代 「ウイスキー」好きが高じて入社 苦労しながら仕事の基礎を叩き込まれた、北海道支社時代

学生時代、アルバイト先の先輩に連れていかれたバーで、ウイスキーの味を覚えた奈良氏は、その魅力に惚れこんでいた。好きな商品を扱いたい、という思いで2001年にサントリーに入社したが、当初の配属は北海道支社の営業担当だった。東京育ちの奈良氏は、慣れない寒さに苦労しながらスーパーを回り営業に励むが、なかなか思うように結果が出せなかった。2年半後、今度は同じ支社の営業企画担当となった。「数字もわからない、Excelも使えない、ビジネスの基礎体力がまったくなかった」(奈良氏)ため、不安に駆られながらも、そこで初めて、物がなぜ売れるのかを真剣に考えるようになった。韓国焼酎「鏡月」の企画担当となり、営業現場やメディアに働きかけ、動いてもらうことを少しずつ覚えていった。自分が考えた戦略で人が動き、売り上げにつながっていくことを通じて、徐々に自信をつけていった。なかなか結果が出せず苦しんでいた奈良氏を厳しい指導で育ててくれたのが、当時の北海道支社長、保美光宏氏である。「甘えず考え抜け、と背中を押し続けてくれました。愛のムチですが、本当に厳しかったし、ありがたかったです」。北海道支社での6年間で、マーケティングの基礎を学び、営業現場を知ったことが、後の仕事に大きくつながることとなった。

念願の「角瓶」ブランドチームへの異動 とにかく走り回って結果を出した 念願の「角瓶」ブランドチームへの異動 とにかく走り回って結果を出した

2007年に北海道を離れ、洋酒事業部(現・スピリッツ事業部)へ異動した奈良氏。翌年5月に念願かない「角瓶」のブランドマネジャーになった。当時サントリーでは、ウイスキーの低迷が続いていたが、2007年頃から「一部のお店でハイボールがよく飲まれているらしい」(奈良氏)という情報を得て、「角瓶」復権の切り札として、ハイボール戦略を仕掛けていくことになった。先輩の塚原大輔氏が中心となって戦略を練り、奈良氏は実現のために走り回るという役割分担で動いた。「マーケティングとは、お客様の頭の中にある商品の価値を高めることだ」(塚原氏)と教えられ、奈良氏にはなじみのある北海道をはじめ、全国の営業拠点をくまなく回ってお客様の声を拾っていった。消費者モニター調査も繰り返した。そうしていくうちに、ウイスキー消費の壁になっている要因は、アルコール度数が高いこと、気軽に飲める場所がないこと、若者のお酒というイメージがないことだとわかった。そこで、一軒目から若者が気軽に飲めるお酒として、ウイスキーを提案していこうと考えたとき、ハイボールがその武器になり得るのではないかと仮説を立てた。全国の営業拠点や飲食店などを回りながら得たヒントから、「ビールのように1杯目から気軽に飲めるイメージ」(奈良氏)を持ってもらうために、ハイボール用のジョッキを開発した。飲食店にとっても扱いやすいうえに、一定の品質でお客様に提供できるよう、業務用の「角ハイボール樽詰め」と、専用サーバー「角ハイボールタワー」も開発した。さまざまな仕掛けが奏功し、2009年にはハイボールブームが湧き起こった。結果として「角瓶」を取り扱う飲食店を20万軒開拓することに成功し、ウイスキー市場を大きく拡げることとなったのである。

頼れる先輩の異動で、チームリーダーに 腹をくくって自ら戦略を描いた

ハイボールブームの立役者の一人である先輩の塚原氏は、チームリーダーとはこうあるべきだ、という理想を体現してくれた。志は高く、強い信念を持ち、細かいところまで計算しつくした交渉力で周りを巻き込んでいける力の持ち主だった。奈良氏はそんな塚原氏がコントロールタワーとなって、ハイボール戦略を引っ張っていく姿から多くのことを学んだ。絶好調だった「角瓶」の売り上げの伸びが落ち着き始めた頃、塚原氏が異動となり、奈良氏がチームリーダーを引き継ぐことになった。いざ自分が任されてみると思うようにいかず、売り上げがなかなか伸ばせない。プレッシャーを感じながら2ヶ月が過ぎた頃、、自分で一から戦略設計をしていこうと腹を決めた。それから数カ月後の2012年2月、事業部長へ「角瓶再生計画」の企画書を提出し、そこからは、「角瓶」の売り上げを伸ばすため、チームリーダーとして邁進していった。

自分たちの仮説が間違っていた お客様の声に向き合うと、新たな戦略が生まれてきた 自分たちの仮説が間違っていた お客様の声に向き合うと、新たな戦略が生まれてきた

当初の戦略は、外で「角ハイボール」を飲む人が増えれば「角瓶」のファンが増え、自ずと家でも「角瓶」や「角ハイボール缶」を買って飲む人が増えるだろう、という仮説に基づいていた。ところが飲食店での需要は増えたにもかかわらず、「家飲み」需要が思うように増えていかない。悩みを別の部署の先輩、竹内淳氏に聞いてもらううちに、自分の中で何が足りないのか、どうするべきなのかが整理されていった。竹内氏は「こだわりが強く、伝える能力が高い突破力の塊のような人」(奈良氏)で、まず考えつつ動くことと、そのうえでどんどん修正していくことが大切だと教えてくれていた。まさにサントリーのDNA「やってみなはれ」を体現しているような先輩なのだ。竹内氏に話を聞いてもらっているうちに、もう一度お客様の声にきちんと向き合う必要性に気がついた。すると、サントリー社内で思っているほどお客様は外へ飲みに行っておらず、むしろ最初から「家飲み」志向の人も多いのだということがわかった。それならば、家飲み志向の強いファミリー層にどう訴えるか、それがハイボール戦略のもう一つの柱となる。飲食店でエントリーユーザーの獲得や「角瓶」ファンを増やす活動だけでなく、家飲みでのハイボール訴求活動をもう一つの軸とする戦略を組むことになった。そこから、「角ハイボール缶」の強化に始まり、「父の日」キャンペーンや、ジョッキやソーダ一式をそろえた「角ハイボールセット」が生まれた。その結果、家飲み需要を喚起することができ、再び売り上げが伸び始めたのだ。

新たな挑戦「プレミアム角瓶」の開発 これからの夢に向かって

「角瓶」の売り上げが再び上向き始めた2012年春、社内でミドルクラスのウイスキーをテコ入れしたい、という話が持ち上がった。「角瓶」はハイボールブームにより復活し、「山崎」「白州」などプレミアムクラスのウイスキーは需要の芽が出てきたので、次は「オールド」、「リザーブ」をはじめとするミドルクラスのウイスキーを活性化したい、ということだった。そのための新商品開発を奈良氏が中心となり進めていくことになった。奈良氏は、新しいウイスキーの開発にあたり、「人気が出ている角瓶のプレミアム版といえば、お客様に分かりやすい」と考えた。しかし、戦略を誤った場合に、76年の歴史を持つ「角瓶」のイメージを毀損したり、あるいは「角瓶」の価値が崩れてしまう可能性も懸念された。その、「会社人生で一番考え抜いた」(奈良氏)企画が、2013年5年に新発売された「サントリーウイスキー プレミアム角瓶」だ。プレミアム角瓶は、発売後、想定以上の評価を得られている。サントリーウイスキーの中でも一番長い歴史を持つ「角瓶」ブランドを引っ張っていくという役割を、34歳の若さで担う奈良氏には、大切にしている言葉がある。それは、ハイボール戦略を当初から担当してくれている外部のクリエイティブディレクター・大島征夫氏が教えてくれた、「あせらず、おごらず、気持ちよく働く」という言葉だ。仕事にはいい時も、そうでない時もあるが、日々の売り上げに一喜一憂して大切なことを見失わないよう、常に短期と長期の視点を持って仕事に臨みたいと考えている奈良氏には、日本人の繊細な味覚に育まれたサントリーウイスキーを、海外でもっと広く展開したいという夢がある。その夢を実現するため、これからも企画力に一層の磨きをかけていくことだろう。

(TEXT/柴田 朋子)
奈良氏の開花を支えた人と環境
↑ページtopへ
アメリカ企業が達成できずにいた6リットルの節水便器を実現 TOTOアメリカ進出の武器を作った男
「象印の炊飯ジャー」に再び光をあてた 起死回生プロジェクトのリーダー
「B to B to C」への視点を武器に持ち、 ネットワーク力に支えられて活躍する帝人の「立ち上げ屋」
凡事徹底、「時間を値切って」成果を出し続け 9期連続して3億円超売った男  凡事徹底、「時間を値切って」成果を出し続け 9期連続して3億円超売った男
一流のフイルム開発者から、サプリメント開発者へ 社内転職1年目で主力商品を生み出し、商品開発をリードし続ける男
ハイボールブーム立役者の一人として、サントリーウイスキー「角瓶」出荷量を4年で2倍にし ウイスキー市場復権の足掛かりを築いた男  ハイボールブーム立役者の一人として、サントリーウイスキー「角瓶」出荷量を4年で2倍にし ウイスキー市場復権の足掛かりを築いた男
新しい霞が関を創るために、省の壁を越えて「司令塔の設置」や「公務員制度改革」に取り組み、 新しい日本を創るために、官僚の道から経営者へと踏み出した男 新しい霞が関を創るために、省の壁を越えて「司令塔の設置」や「公務員制度改革」に取り組み、 新しい日本を創るために、官僚の道から経営者へと踏み出した男
学生時代に抱いた教育への信念を、 冷静な思考と熱い思いで実現へと導いた男
大好きな女子サッカーのため、チームのため、 一日一日全力で翔け続ける