才能を開花させた人たち04. 大和ハウス工業 北九州支店 北九州集合住宅営業所 所長 草場栄治氏

愚痴を言わず努力することのかっこよさを
教えてくれた先生との出会い

目標達成のために努力を惜しまない。そんな草場氏の原点は、高校時代の先生との出会いにあった。英語の藤本恵司先生は全盲というハンディがあったが、そのことをまったく感じさせず、生徒たちからの尊敬を集めていた。ある日、草場氏は先生に、「これまでの人生で一番うれしかったことってなんですか」と聞いた。先生の答えは、「大学を卒業する時、大学伝統の行事で同級生と共に池に落とされたこと」だった。その言葉に、草場氏は衝撃を受けた。先生が陰でとても努力していることを感じていただけに、苦労してできるようになったことや、人から助けられたことなどの答えを想像していたからだ。先生の答えを聞き、「特別扱いしないで同じ仲間として池に落とすという大学の仲間もいいし、それを一番うれしかったことだって言う先生って、本当にかっこいいわと。思わず同じ大学に進学しちゃいました」(草場氏)。それ以来、「健常者なのに、努力しないで愚痴ばかり言うような人間には絶対にならない」と思い、苦しい時も弱みを見せずにやりきる姿勢を持ち続けてきた。

「夢も何もない」ところからのスタート
基礎を徹底的に叩き込まれた数年間

草場氏は1995年4月、大和ハウス工業に新卒で入社し、大阪東集合住宅営業所(現・大阪中央支店)に配属された。「入社直前の1月に阪神・淡路大震災で自宅が全壊し、正直言って夢も何もないところから社会人生活を始めました」と草場氏。集合住宅の営業は、空き地を所有している地主に、土地の有効活用策としてアパート建築を勧めるのが仕事。入社してからは毎日、新規開拓のために地主の家を訪問して回った。「毎日毎日飛び込み訪問です」(草場氏)。担当エリアの地主の人数は決まっている。そこに競合も含めて多くの営業が押し寄せる。同じ家を何度も訪問し、「また来たのか」と叱責される。ほとんど断られるばかりの日々。「どうしてこんなことをしなければならないのだ」(草場氏)と思いながら、ひたすら新規開拓を続けていった。1年目の社員には売上数字の目標はなく、見込み客を探して現地調査をさせていただくことが目標として課せられていた。「この農地は将来どうするのですか」「古いアパートはこの先このままで大丈夫ですか」などと問いかけて回るが、当然すぐに見込み客にはならない。「いやでしたが、若い時の苦労は買ってでもせよ、という諺をいつも思い出していました」(草場氏)。この苦しい時期に草場氏を支え育てたのが、当時の営業所長である木口雅博氏(現・取締役)だ。木口氏は、金融機関や農協などからの紹介ルートによる営業という方策を、新人が安易に選ぶことを認めず、「エンドユーザーのなかに入っていけ」(木口氏)と指導した。部下をよく見ていて、地主を回ってニーズを掘り起こすという行動を徹底してやらせる上司だった。「あとになって、その厳しい指導で営業の基礎を身につけられたのがよかったということが、よくわかりました」(草場氏)。そのころ、同じ営業所の3歳年上の先輩である植田亮氏が、木口氏の教えを体現していた。自分よりも年上なのに手を抜かず1日80~90件もの飛び込み営業を黙々とやっていて、結果を出していた。植田氏を兄貴分のように慕い、草場氏もコツコツと努力を続けていくうちに、2年目には徐々に営業成績があがるようになっていった。この関係が17年半続き、責任者となった植田所長のもと、その経営手腕と推進力で西日本唯一のシェアNo.1となり第一回優秀営業所表彰を受けることになった。

「営業のルートを増やせ」
先輩の言葉をきっかけに進化した

多くの競合がひしめくなかで、地主にとって信頼できるかどうかの判断は、実際にアパートを建てた経験者の口コミの力が大きい。草場氏も、最初に手がけた1棟が建つと、そこから紹介の話が来て、受注につながり始めた。地主が紹介したいと思うタイミングを逃さないためにも、「ある程度長い期間あきらめずに訪問し続けることに意味があります」(草場氏)。このようにして順調に成績を伸ばしていた草場氏が、4年目を迎えてスランプに陥った。行動はまったく変えていないのに、結果が伸びない。新規開拓営業だけでは、安定した業績が上がらなくなってきたのだ。その時、草場氏の2歳年上の先輩にあたる中田和弥氏が「違うルートもある。紹介ルートをやれ」と教えてくれた。これまでひたすら続けてきたやり方に加えて、新人の頃上司にあえて封印されていた「外部協力組織などからの紹介ルート」を当たることを教えてくれた。所有している土地の規模の大きな地主には、金融機関や税理士などのアドバイザーが付いていることが多く、これまでのやり方ではそこにうまくアプローチできていなかったのだ。営業の基礎がきちんと身についている草場氏だからこそ、紹介ルートからの営業をうまく結果に結びつけることができ、成績を伸ばすことにつながった。しかも草場氏は、このあとも、新規開拓営業をやめることはなかった。普通、紹介ルートという確実な方法を覚えると、効率の悪い新規開拓をおろそかにしてしまいがちだ。しかし草場氏は、木口氏から教わった営業の基本を守り、両方をやり続けた。「飛び込みでとにかく見込み客を増やす方法と、紹介ルートから攻める方法の二刀流が、この時期に身につけられたのは本当に大きいんです。中田さんも頭の上がらないもう一人の兄貴分です」(草場氏)。攻める武器を増やしてスランプを脱し、草場氏はさらに営業成績を上げていった。

父の背中を見て、幼い頃に学んだ
時間をとことん大切にする、という感覚

集合住宅の営業は、成約して終わりではない。アパート完成までの間に、さまざまなフォローが必要となる。商談を開始してから実際にアパートが建つまで、1年以上の時間がかかることもある。フォローにばかり時間をとられていると、次の営業活動ができない。そんな状況でありながら、草場氏は9期もの間ずっと表彰を受けた。しかも、最初に表彰されたのは、金融機関や税理士などとも対等に話せるようにと、ファイナンシャルプランナー1級の試験勉強に没頭していた時期だった。試験勉強と新規開拓、顧客フォローを並立させ、さらに人一倍の業績をたたき出す草場氏。そこには、父親から影響を受けた、時間に対する意識の高さが生きていた。鉄筋工だった父親は、草場氏が幼い頃から、たとえ無理な注文が来ても納期を守り、時間を工面して仕事を仕上げる姿を見せていた。そんな父の背中を見て育っていたからか、「だらだら仕事するのが大嫌い」(草場氏)だった。また、大和ハウス工業では、創業者の石橋信夫氏が残した「時間を値切る」という考え方が定着している。同じことをするにも、時間を効率よく使うことが評価されているので、草場氏にとって、計画を立てて仕事を着実に進めやすかった。「営業は意外と無駄な時間が多いのです。その気になれば、時間はいくらでも創り出せます」。試験勉強との両立のために営業の移動時間も活用し、トイレでも常にテキストを開いていた。営業場面では漫然と訪問するのではなく、たとえば「今日は測量まで進める」などと意識していた。行動の一つひとつを効率化していった結果、試験が終わったあとは一層新規顧客や紹介ルートの開拓、フォローの時間をうまく管理できるようになった。

基本に忠実に行動し、戦略的に学ぶ
両輪を回し続けて結果を出す

2012年4月、草場氏は、好業績が認められ、北九州支店集合住宅営業所長に昇進した。そこに至るまでの17年間も新規開拓営業を続け、毎期、新たな紹介ルートの開拓もしていた。そのうえでさらに戦略的にファイナンシャルプランナーの資格を取り、マネジメントを学ぶために本を読み、知識も身につけている。今、人を育てる立場になり、新たな課題に直面している草場氏だが、ここからも時間を効率よく使えるという強みを活かし、行動と勉強との両輪を回しながら、さらなる高みへと成長していくことだろう。

(TEXT/柴田 朋子)