Column

 

100年人生、“ギブ&テーク”ではキャリアは創れない

 

組織から個人への分配をどう考えるか

中村 私ども労働政策センターでは、個人の未来と企業の成長が好循環する仕組みとして、「100年キャリア時代の就業システム」を描いています。個人がキャリアトランジションを通じて組織に参画し、組織は多様な人材を活用することでイノベーションを生み出す。その過程で、能力開発の機会と賃金を人材に投資し、分配することが重要だと考えています。

玄田 分配はいいですね。分配にはお互いのことを思って分かち合う、フェアであるという意味が込められています。配分というと、人やカネ、資源を効率よく回していくというイメージがある。

今の時代は分配を考えないで、どうやって人より多めにもらうかとか、相手から引き出そうという陣取り合戦になっていると感じます。人生100年を考えると、組織と個人の分配をどうしていくのか考えていく必要があります。何が公正な分配なのかというのは難しいですが。

中村 ありがとうございます。組織と個人の目指すべき良き状態を循環させていくには、人材投資と分配をどうするのかというのが大きなテーマだと考えています。

一方、個人にとっては、単に能力を持っているだけではキャリア自律は実現できません。グラノベッターが提唱した「ウイークタイズ(弱い紐帯)」のように、人とのつながりがキャリアを切り拓く場面が間違いなくありますし、何かにチャレンジしようと思ったら人の支えがあったほうがいい。

 

人とのつながりがキャリアを拓く

玄田 プロフェッショナルは1人でがんばって生きていくイメージがありますが、1人で成長している人なんてほとんどいません。

昔は会社がお膳立てをしてくれて、そのなかで嫌な思いもしながら成長していくパターンがありましたが、今は会社もそんな余裕がないから1人でがんばってねと言われても、それで生きていくのは難しい。たぶんこれから先も、たった1人でプロフェッショナルになることはできないし、やはり誰かがどこかで支えてくれるとか、それを実感できる環境が必要だと思います。

先ほどの分配にも通じるけど、互いに助け合ってそういうチャンスを分かち合うようなつながりが必要です。たとえばニートにしても、本人や家族だけのがんばりだけではどうにもならないことが圧倒的に多い。しかし相性のよい人や支援者と出会うとパッと変わります。

2003年に政府が「若者自立・挑戦プラン」を打ち出したときに、僕は、国が若い人を支援することも大事だが、“若い人を支援する若い人”を支援することがもっと大事だと言いました。これは「支援者支援」と呼ばれているものです。

プロフェッショナルやニートなどあらゆる人を含めて、長い人生のどこかで寄り添い、応援することはすごく大事なことです。誰かに支援されることで、今度は誰かの支えになるという循環になっていけばいいなと思います。

中村 働くは、「ハタ(傍)をラク(楽)にする」。働くことも同じですよね。周囲や誰かに支えられているから誰かを支えようという感覚が、今の職場では希薄になっている気がします。

玄田 配分とか分担という意識があるからではないですか。成功した人というのは、途中まではお世話になりましたと言うけど、ある段階までいくと自分の力でここまできたと勘違いしている人が多い。

よくギブ・アンド・テーク(give and take)が大事と言うけれど、それぞれが5をギブして5をテークしても、必ず互いにギブが「足りない」という感覚になり、ミスマッチが起きます。

特に若い人やゼロから始める人は、ギブをたくさんもらわないと自分もギブするようになりません。だから、ギブ・アンド・ギブ・アンド・テークぐらいでないと回らないし、ギブとテークは6対4か7対3ぐらいのほうがいいんです。

もちろん余裕がない人がギブをするのは難しいでしょうが、でも現実は余裕がない人のほうがギブして、余裕がある人のほうがテークばかりを求めているような気がします。

 

目先の損が人生の得になる時代が始まる

中村 テークに貪欲な人ほど富める者になり、余裕を持つようになっていきますものね。自分だけたくさん抱え込んでギブしなくなる。そうなると、ギブ・アンド・ギブを続けている人は最終的には持たざる者になっていくのではないでしょうか。

玄田 そうです。僕の経験で言うと、学習院大学で働いていたとき、当時の学部長からよく飲み会に誘われました。すると、きまって夜の10時45分ぐらいになると毎回言われたことがある。「玄田くん、よく聞け。ケチなやつはいい学者にならないからな。絶対にケチな人間になるなよ」と。最初は何を言いたいのか意味がわからず、「割り勘で払っているじゃないですか」と言うと「君はわかっていない」と叱られた(笑)。

でも今はわかる気がします。大学院を出て大学の教員になると、やっと自分の研究で食べていけるのだから、できるだけ研究以外のことに時間を費やしたくないと思ってしまう。例えば偉い先生が大学に就職した弟子へのはなむけの言葉として「バカだと思われなさい。大学からこいつは使い物にならないと思われたら入試などの面倒な仕事を任せないから」と言ったそうですが、僕はそれはケチな人だと思うし、そうなると残った人だけが損な役回りになってしまう。そういう組織ほどお互いが良いアイデアを共有することはできないし、絶対に良い研究環境にはなりません。
「ケチになるな」とは、自分にとって何が得か損かは案外わからないぞという思いが背景にあります。

特に人生100年時代だと、目先で得だと思っても長い目で見たら損になることはたくさんあるし、その逆もあります。別の言い方をすると、「迷ったらやれ」ということです。あまり目先の損得で考えることをせずに、長丁場で考えなければいけない時代に入っていると思います。

中村 迷えるということは、選択肢があるということです。日々忙しくベルトコンベアのように仕事している人にとっては、玄田先生が言う「迷ったらやってみる」ことすらもできないのではありませんか。

玄田 そこはやはり、勇気を持って立ち止まるしかありません。なぜ有給休暇を取得しなければいけないかというと、家族のために時間を使うことも必要ですが、一度立ち止まって自分の人生を考えてみるといいからです。

棚卸しという言葉があるように、今までやってきたことを節目節目で振り返り、次の自分のビジョンを描いてみることが大事です。

1990年代末から2000年代に多くの中高年が希望退職で会社を辞めました。彼らは再就職の面接で、どんな仕事をしてきたんですか、と聞かれても「履歴書に書いてある通りです」としか答えられなかった。それはある意味当然で、まだ先があると思っていたし、第三者に自分がどんな仕事をしてきたかを語ることを考えもしなかったのですから。

でも今の時代であれば、自分の仕事についてささやかな誇りみたいなものを語れることが、とても大切なんだと思います。今までの自分の仕事を振り返り、自分のことを知らない第三者にちゃんと誇りを持って言えるだろうかと考えてみてほしい。そのためには立ち止まる時間を確保しなければいけないし、今の社会では必要なトレーニングかもしれません。

中村 棚卸しってそれほど簡単ではないといわれることがあります。普通に働いてきた人が立ち止まって棚卸しをするには何が必要でしょうか。

玄田 100年キャリア時代を生きるうえで一番必要なものは3つの「カン」で、それを育てないと働けないと考えています。

1つは楽しいとか悔しいとかを感じる「感」を発達させる。2つ目が勘所の「勘」。これをやったら危ないぞというような修練と鍛錬に裏打ちされた勘を養い、そのうえで初めて「観」、ビジョンや人生観を身につける。

3番目を急ぎすぎるとだめなんです。子育てと同じで、感動の感を磨いてから、その後に痛い失敗をして勘所を学び、人生観を持つというプロセスが必要です。
昔はもっと早いうちに人生観を身につけたものですが、社会が熟成してくると人間の熟成は反比例して遅くなります。今はゆっくり生きることができるので熟成に時間がかかる。ニートが立ち直るのにいきなり人生観、職業観を持つのは無理ですが、3つの「カン」を順に育てていけば一歩一歩踏み出すことができます。

これからは職場もいきなり人材を「育成」するのではなく、こうした「熟成」を担うことになります。ある程度、人材を熟成させていかないと育成はできません。会社の人材育成の方法も3つの「カン」を見据えたものになっていくでしょうね。

 

労働政策に必要なのは「事実の発見」

中村 「感」を発達させ、「勘」所を磨くために修練の機会を与える分配が大事であり、そのうえで初めてキャリア「観」が身に付くということ。さらに中高年に限らず、一度立ち止まって人生や仕事の棚卸しをする機会が必要ということですね。それを政策に結びつけていくときに重要なポイントは何でしょう。

玄田 人を育てることに関しては1社のなかの閉じた育て方ではなくて、地域や業界ぐるみでもいいのでもう少し広げて、みんなの社員をみんなで育てることをやっていいのではないですか。

そのためには今のOJTに対する考え方を変えていくことも必要でしょう。難しいでしょうが、信頼できる横のつながりや分かち合いのなかで人を育てることにチャレンジする価値はあると思います。

政策に関しては僕の経験で言えば、官庁や政治家が研究者に求めているのは「事実の発見」です。今まで日の目を見ていないけれども、霞が関や永田町が見落としている大事な問題は沢山あります。

ニートや若年雇用問題はミスマッチが原因だとよくいうけれど、実際はスキルや年齢のミスマッチではなくて、やりたい仕事、希望する仕事が見つからないというのが圧倒的に多い。であれば、希望とは何なのかという問題に真剣に向き合わないとミスマッチは減らない。だから僕たちは、「希望学」という希望の研究をしてきたわけです。

もう一つ、こういう問題をやると、必ず既得権という存在が炙り出されます。既得権というのは、それが既得権だと認識されない限り既得権であり続けるものです。実はラクをしながら儲かっている人たちがいるという実態を白日の下にさらすと既得権は早晩消えます。事実の発見とはそういう仕事でもあるんです。

中村 まだ明らかになっていない大事な問題に光をあてる。それが研究者の役目ですね。

 


玄田 有史(げんだ ゆうじ)
東京大学社会科学研究所教授
1964年島根県生まれ。ハーバード大学、オックスフォード大学各客員研究員、学習院大学教授等を経て、2002年より東京大学社会科学研究所助教授。2007年より現職。専門は労働経済学。『ニート―フリーターでもなく失業者でもなく』『希望学』『雇用は契約: 雰囲気に負けない働き方』など著書多数。ニートやSNEP(孤立無業者)といった大きな課題を抱える存在を掴み、いちはやく警鐘を鳴らしてきたことでも知られる。

 

これからの労働政策

先生の著書をあらためて読み直すと、『仕事の中の曖昧な不安』などの頃から、「人とのつながり」や「遊び」の大切さを強調されていました。インタビューでも、「テークよりギブ」や「支援者支援」といった、一見回り道に見えることの重要性について言及されています。これらは、働き方やキャリアづくりの問題は、少しひいてほかのピースと組み合わせることで答えがみつかることがあるということかもしれません。
答えをみつけるためには、まずは見落としている問題に気づき、事実をつまびらかにする調査研究に取り組んでいく必要があります。

労働政策センター長 中村天江

執筆/溝上 憲文  撮影/刑部 友康

 

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次回 法政大学 キャリアデザイン学部 教授 武石 恵美子氏   3/23公開予定

2018年03月16日