Column

マレーシア

現地では、求める人材のアンマッチが起こりだしている
マレーシアで人材紹介業を10年以上行ってきて、最近は人材ソーシングとマッチングの難易度が上がってきたと痛切に感じる。マレーシアだけでなく、ほかのアジア諸国についても同様かも知れないが、現地の求職者の希望条件と日系企業の募集条件がどうも一致しなくなってきたように思う。これは 一体なぜか。

その一因は、マレーシアに進出する日系企業の業種の変化にある。過去には、プラザ合意(1985年)による急激な円の切り上げを潮目として、電気・電子分野や自動車分野などのメーカーが生産拠点を海外に移し、部品メーカーもその後を追い、実に多くの製造業が進出した。その流れの中で、マレーシアはしばらくの時期「東南アジアの工場」としての役割を担ってきた。その結果、経営の現地化とともに製造工程の各セクションを担う有能な現地人材が確実に育った。その後も即戦力として現地の人材を雇用できるという点で、両者は共存共栄の関係にあったと言える。

しかし2000年以降、この様相に変化が見られるようになった。マレーシアは「東南アジアの優等生」として急激な経済発展期に入り、徐々に国民の所得が増えた。緩やかなインフレによって人件費も年々上昇し、以前はマレーシア人が担ってきた仕事を、外国人労働者が行うようになってきた。これを背景に、安い賃金を求めてきた日系の製造業は、よりコストの低い周辺国へシフトし始め、マレーシアへの大規模な製造業の新規進出数は激減した。その結果、長い期間をかけて育てられた製造業の各工程を担う有能な人材は、活躍する場所が狭まり、工場の撤退や他国への移転で失業するという皮肉な結果をもたらしている。

マレーシアで富裕層が増えた現在、この潤沢な市場をターゲットとして今までには見られなかった新しいタイプの業種の進出が目立ってきた。卸売・小売りや物流サービス、飲食、不動産、観光、医療美容、金融、IT通信、マルチメディアなどの業種である。現状では、マレーシアに進出する日系企業は、製造業よりも非製造業分野の方が多い。

新規分野の企業も、人材を育てる気持ちで 根気良い指導から信頼感が生まれる
ここで問題になるのが、新たな業種の日系企業は現地人材の安定した受け皿になるのだろうか?ということである。新規分野の企業ほど、即戦力となる特定の高い能力を有する人材や実務がすぐにできる人材を募集する傾向がある。このような企業は、製造業と比べて最小限の日本人駐在員で事業展開しようとしており、マレーシアの人材を育てるという発想が欠けているように感じる。日本には多数人材が見つかるような職種(例えば、システムアナリスト、ゲームデザイン開発者、富裕層向け投資コンサルタントなど)でも、当地で探す場合、このような特定の新規分野で即戦力となる人材は育っていない、もしくは存在していないと思われる。

マレーシアは現在、経済面では先進国へと秒読み段階であるが、人材の豊富さという面では決して「先進国」とは言えない。
冒頭で述べたように、重厚長大の製造業は長い年月と多くの日本人駐在員の努力をもって、それを継承できる有能なマレーシア人材を生み出し、育ててきた。その歴史事実を踏まえ、進出や設立当初から相応の期間は、日本人駐在員が持つ技術や知識を経験値の低い現地人材に対して丁寧に時間をかけて伝授し、有能な人材を育てていくことが大切なのではないか。それが新しい分野でマレーシアの市場と関わろうとする日系企業の務めでもあると思う。

鵜子 幸久(うのこ ゆきひさ)氏 鵜子幸久氏
桜リクルート社マレーシア 社長取締役
2003年、クアラルンプールにて桜リクルート社(Agensi Pekerjaan SRM.Sdn.Bhd.)を創業、同社の社長取締役を務める。「人材紹介事業」・「ビジネスコンサル事業」・「日本の学校機関誘致事業」を通じて、アジアと日本との懸け橋になるべく現在活躍中。桜コンサルタント社取締役、サイバーライト社取締役を兼任。2014年年頭のAERAで「アジアで勝つ100人」に選ばれる。1987年、株式会社リクルート入社。ホットペッパーの神戸・大阪エリアの創刊に携わり各地の初代編集長を務める。同時に兵庫エフエムラジオ放送(Kiss-FM KOBE)の番組審議委員兼務。また地元関西のテレビやラジオ番組にナビゲーターとして出演。1964年京都生まれ。京都産業大学外国語学部卒。

 

2015年02月16日