企業家たちに学ぶ/ゴール必達のマネジメント

vol09 新たなリーダーを創造する徹底的な権限委譲

「組織の若返り」を繰り返し、変化することこそ
 組織の成長のカギとなる

セクション1

スーパーマンのような社長がすべてを取り仕切っている組織の姿は、ベンチャー企業ではよく目にする光景である。ビジネスプランや資金調達はもちろん、採用面接から、営業活動、トラブル処理まで、あらゆる現場への社長の関与によって、組織が回っているベンチャー企業は少なくない。しかし、順調に成長することで、組織規模は拡大し、人間一人がマネージできる限界を超える。加えて、判断すべき対象も複雑性を増し市場はより速い意思決定を要請してくる。成功の見返りといえよう。

この局面を乗り越える一つの施策が、大きな権限委譲を伴う組織の若返りである。新たなリーダーを創造することだ。シリーズ最後の今回は、組織の若返りに際してのマネジメントのポイントを、Eストアーのケースを通じ見ていこう。

セクション2

石村社長が、そのことを意識し始めたのは7年前の2005年。42歳の頃だ。1999年の創業以来、着実な成長を続け、業績は順風満帆であるかのように見えた。しかし、社長の心の中には大きな問題がくすぶっていた。

 

「大きな出来事が2つありました。1つは、『こうに決まっている』と自信を持って行った施策が、結果的に連続してエラーを起こしてしまった。そしてもう1つは、結果は一緒ですけれども、会社の成長が10億円ぐらいで一旦止まってしまったのです」

 

「何故だろうと悪あがきして、いろいろやっても小さな失敗が続きました。ただし、私自身はこの業界に長いので、穴埋めも、そこそこ上手にできてしまうのです。会社の業績はへこむこともなく、微増を続けていました。とても気持ちの悪い状態でした」

 

「そのような状態の時に、『10億から抜けるためには、自分が決めてはいけない部分があるのではないか。大事なことは決めなければいけないけれども、もっと信じて多くを任せなければいけないな』と考えました。現に、それをやったら、そこから一気に売上が20億に達しました。42歳で大きなマネジメントの転換を行いました。いや、行わざるを得なかったのです」

 

創業期の成長は、だれよりも業界を熟知していた社長の才覚によるものが大きかったのだろう。しかし、熟知しているがゆえの器用さが、成長の踊り場で足踏みをいたずらに長引かせてしまったのかもしれない。Eストアーは、石村社長は、成長の壁を、大きなマネジメントの転換で乗り越えたのである。

セクション2

それまですべての意思決定を行い、各論の細部にいたるまで指示してきた石村社長だったが、一連の出来事の中で、各論への指示はおろか、重要な意思決定までをも部下に任せるようになった。大胆な権限委譲を断行したのだ。

 

「他社さんでも同じだと思いますが、『この方向に向かって、この幅で、この質と量に対して、これを目指してほしい』という明確な方向性と数字だけ要望します。そして、当たり前ですけれども、なぜそうするのか、なぜそうしたいのかという背景を話します。それだけ言ったら、細かいことは一切指示しません。あとは、それができているかどうか、そっちに向かっているかどうかだけチェックするのを仕事にしようということです」

 

“社長より適切な判断ができる任意のA氏”の存在を信じた社長は、方向性の提示とモニタリングに徹すると決めた。では、社長の判断とA氏の判断は、何がどのように異なるのだろうか。

 

「一言で言うと、全部が違います。みんな十人十色で、考え方、やり方、叱り方、ほめ方、全部違うというのが質問の答えです。逆に、見えてしまうと、すごく気持ち悪いです。『何でそういう叱り方をするかね』と。でも、人それぞれ、やり方が違うし、時間軸も違います。もはやそれは、プロトコルに近いものですから。私がすべての情報やテクノロジーに精通しているわけではないし、若くて活きのいい人がやったほうがいい部分が往々にしてあるということですね」

 

複雑性に対処するために、専門性を束にして立ち向かった結果と言える。権限を委譲すると決め実行したことで、意図せずしてそのことに気づき実現できたのだ。

photo

□□「すさまじい市場の変化は、これからの世代を知っている連中でないと見えていないので、そこはとやかく言いません。経営の不変の部分、根幹の部分については、アドバイスやジャッジはしますが、6割を信じられたら任せようと考えています」

セクション3

創業以来、初めてのマネジメントの転換は、このような社長の葛藤の末に行われた。結果的に、売上高を倍増させる引き金となり、権限委譲は成功したといえる。では、その時、任された側の当事者はそれをどう受け止め、どのように行動したのであろうか。当時の様子を振り返ってもらった。

 

「いわゆる驚きの反応はほとんどありませんでした。誰でもそうでしょうけれども、任されるので、すごくうれしそうで、生き生きとしているんですよ。本当に絵に描いたようにわかりやすかったですね」

 

「大抵のことは相談もなしに自由にできるわけです。言い方は変ですけども、いきなり偉くなってしまいます。幹部社員には当然部下がいますが、そこのレイヤーでも、いきなり任せるということが起こります。私は本当に口は出しません。そうすると、全部決まっていきます」

 

「それをやってからは、(任された)本人からすれば、うれしいし、今まで経験していないレベルのマネジメントが経験できるということで、そこから2、3年は、相当気持ちよく、しかも頑張るという状況が続きました」

 

社長の決断は、従業員をエンパワーメントし、教科書通りの効果を得ることができた。特に幹部社員のやる気の向上は、Eストアーにおいて、社長一人だけだったリーダーが、一気に複数生まれるということを意味するのである。

セクション4

改革に痛みはつきものである。残念ながらEストアーも例外ではなかった。委譲された側が、その権限を自分のものにできるかどうかが、新しいマネジメントの定着を左右した。この巧拙が、幹部社員の明暗を分けたのだ。

 

「私にとっても、私の部下にとっても、この会社における初めての異動でした。それでリーダーの人数が一気に増えたといえば確かにそうです。しかし、私からの権限委譲を受けた幹部社員の半分はやがて大失敗をし、この会社を去っていきました。それは、貴重な経験として、私自身も学びましたし、去っていった幹部連中も、残った者も学べたと思っています」

 

「今となってはですけれども、任せていいことと任されるべきことは全部ではないということを、任す側も任される側も、お互いに学んだ感じです。本当に当たり前のことですけれども…」

セクション5

かけがえのない幹部社員の退社による損失は、計り知れない。それは、社長にとって賭けでもあったのであろう。しかし、社長にはそれをやらなければいけない必然があった。

 

「49人までは、誰がどういうコンディションかが完全にわかります。『あいつは、これを悩んでいる』とか、『家で何かあったな』とか、『ちょっと具合が悪いんじゃない?』とか、『仕事がうまくいっている』ということがわかっていましたが、50人を超えてからは、本当に一気にかすみがかかってきます」

 

「ましてや、創業時のように7人でやっていた頃は、あ・うんの呼吸で、すべてわかりました。だからこそ、今は原点回帰して、そこを改めてがっちり作っています。その間の成長過程では、全部を見ようとした代わりに、幹部社員とのコミュニケーションが希薄になってしまっていました」

 

Span of Control ※注 の上限を超えていることを実感した石村社長は、それを一日も早く適正なレベルに戻す必要があった。幹部社員との意思疎通を密にするためだ。すなわちそれは、石村社長にとって創業の原点に、ワイワイガヤガヤの7人に戻るということに他ならなかった。

 

「しかし、任せていい人といけない人がわからなくなっていました。それを原点に戻して、ここの密度をより高くしていって、できる人にできることを任せました。そうすると、その人が同じことをやってくれれば、うまくいきます。そのことを2、3年かけて勉強した感じです。だから、自ら賭けたというよりも、やらざるを得ませんでした。第二の創業ですね」

 

※注:マネジャー1人が直接管理することができる部下の人数や、業務の領域を表す概念

photo

□□ 主力となっているのがネット通販の総合支援サービスである「ショップ サーブ」。12年間蓄積されたノウハウとマーケティングデータをもとに、ウェブサイト制作から運営、集客、販売促進までトータルサポートをおこなっている。

セクション6

原点回帰は関連するマネジメントにも及んだ。

 

「6年前から(その時以来)、あらゆる制度を廃止しようとしています。制度を作ると、考えなくなってしまうし、制度に依存してしまうので、事象はすべて残したままで、制度としてそれを担保することはやめました」

 

従業員がその枠の中で動いてしまうことを危惧し、様々な制度を廃した。ゼロからの再出発、新生Eストアーでは、考えることを放棄した者は便益を受けられないという、ベンチャーの原点である何もない状態に立ち戻ったのである。

 

「自分で考えて好きにしていいよという趣旨なので、今でも従業員は慎重に利用しています(笑)この決定が、今時点で自立を促している実感はまだありませんが、効果の兆しは感じています」

 

もったいない話であるが、当時全員が7、8割を消化した福利厚生の制度が、今では大幅に減っているそうである。自立を促し、判断力をつけてほしいという社長の思いは、目に見えづらい仕組みとして非常に厳しい形に変わっているが、根底にあるのは従業員の成長への願いだ。この福利厚生の消費率の数値の増加もまた、社長がモニタリングすべき一つの成長指標に生まれ変わったのである。

セクション7

制度にせよ、キャリアにせよ、自分ゴトになって初めて真剣になることができる。Eストアーの従業員像は「自分力」という言葉がカギになっている。社長の前職での経験から、会社に依存しないで、会社が潰れても自分の力で生きていける人であれと言われている。

 

「弊社の、新人育成プログラムは、フルOJTです。朝から晩まで365日徹底的にロールプレーイングをやっているようなものです。そこではテクニカルなノウハウではなく、理不尽、達成、目標、感謝されること、チームワークなど、人として重要なファクターをこそ身に着けてほしいと願っています」

 

Eストアーの新人教育は、スーパーバイザーが、同時に数十人を教育することができる仕組みを作り上げた。この仕組みで成長した次の世代のスーパーバイザーがまた新人を育てる。制度に拠らない育成のエコシステムを循環させている。自分の力で生きていける人材は、時としてEストアーを離れ独立していく。制度としてはやはり存在しないが、同社では、独立という選択肢を積極的に推奨している。

 

「14年で11人が、この会社を辞めて創業していますが、もっとそのケースを作っていきたいのです。この11人全員が今時点で成功しているわけではありませんが、11人のうち4人はすでに売上高10億円を超えています。弊社にいた頃よりもはるかに高い給料をもらっているのは少なくありません。立派だと思います。みんな30代です」

セクション8

コストをかけた育成の先に、独立というゴールを推奨するこの考え方は一見矛盾している。しかし、その背景にある社長の独自の事業思想においては、至極合理的であった。

 

「社員が退職して創業するときに、今の弊社のお客様をそのまま持って行ってもらいます」

 

「どういうことかというと、これは、創業する人に握手したら必ず伝える話です。『君がこういう新たなことをやってくれるのは、Eストアーからすると、部門をリスクヘッジして流動化できるから助かる。だから、Eストアーのお客様をそのまま持って行ってくれ』つまり、部門をコスト化しなくても、独立するメンバーがリスクを取ってくれるわけだから、喜んで一緒にやることができます」

 

つまり、Eストアーからの独立は離反でも競合でもなく、業務提携できる友好企業が増えると考えられているのだ。

 

「やはりEストアーで培ったマインドやテクノロジーだから、関係あることをやってしまう人は少なくありません。創業した日からお客様がいるわけだし、創業するまでの感覚は一緒だから、あ・うんの呼吸で連携できるし、助かると思います」

 

そのような独立者によるネットワークは、既に11人11社に広がっているという。

 

「たとえば、地方出身の人が、子どもが大きくなったので、単身赴任はきついから帰るというのは、地方拠点ができるようなものと考えています」

photo

□□店舗運営のサポートは、無料電話相談やオールカラーのガイドブック、オンラインマニュアルなどを提供。また、初めて開店する人を対象としたスタートセミナーや、より売上を伸ばすためのマスターセミナーなども開催している。

セクション9

将来の独立も視野に入れ、厳しい新人教育に耐えうる人材を。Eストアーではどのような基準で採用しているかを聞いてみた。

 

「これは、思いどおりには採れていません。どこもそうでしょうけれども、非常にぜいたくで、“まっとうで知恵が働くベンチャー野郎”というのが採用基準です(笑)」

 

「本当に当たり前ですけれども、そもそも人としてまっとうでなければだめです。そして、知恵がなければだめだし、挑戦者でなければだめです。この3つで探していますけれども、正直言うと、この3つ目がなかなか担保できません」

 

「特に、今の子は、ほぼみんなまっとうです。変な人はいないし、ほぼ遅刻もしません。ずる賢い人は少ないですけれど、知恵も持っている。足りないのは挑戦する気持ちなんです。そこがとても残念です」

 

社長が“残念”と言う意図は批判ではない、そこには若者に対する強烈な期待が込められているのだ。

 

「これは新卒にも言っていますけれども、『おまえらは、草食だとか、やる気がないとか言われているけど、違うよ。豊かすぎる国で、のんびり育ってしまったけど、おかげで他の国の人たちにはわからないような、微妙な感覚を持っているんだ。それをもっと信じろ。大人からいじめられて、拗ねていないで、もっと信じな。そこで戦っていけるんだから、俺たちおっさんが言っていることをうのみにするな』と思ってます」

 

若者が持つ99.91と99.92の差がわかる紙一重の力に、石村社長は強く期待しているのだ。

セクション10

若返り施策後工程で、経営者が優しい校長先生化しないことが重要であると石村社長は言う。校長先生化しないとはどのような意味であろうか。

 

「これは、自分がジャッジすべきものとジャッジしてはいけないものの区別における最近のバリエーションです。最近、反省しているのは、自分が優しい校長先生化していることです。マネジャーたちがせっかく厳格に育てている新卒に対して、『いいじゃん。おまえ、イケてるよ』と、つい言ってしまうのです。一方で、彼らにより接している20代の上司は、『これぐらいでできたと思うなよ』と言っているのです。もちろん、そのほうが真実だし、愛情ですよね。だから、私が余計なことを言って攪乱させてはいけません」

 

この校長先生化は健全なヒエラルキーの維持にも悪影響であるという。

 

「今までは、オープンドアで各論に関する相談でも聞いていました。しかし、それはいい意味でのヒエラルキーが崩れてしまいます。ようやく生まれたリーダーたちの意味がありません。だから、極端な話ですが、メンバーと飲みに行くこともやめました」

 

方向性のみの提示や、事業部長クラスとしか接触しないという演出で、ヒエラルキーの適度な緊張感を醸成し続けるためには、マネジメントラインが一気通貫した価値判断を提示せねばならない。優しさのつもりでかけた一声が、現場の当惑や、新人の成長を妨げる不用意な一声になる可能性がある以上、社長は黙って見守るしかあるまい。

 

「そうありたいと思っています。これをやってしまったら、もうだめです。おじいちゃんが孫をかわいがるのと一緒で、『何でも買ってやるよ』になってしまいます」

セクション10

Eストアーは、幸いにも、若返りによる第二の創業を経て、新たなリーダーの獲得に成功した。一連の変革を総括して成功の秘訣を聞くとともに、若返った組織における自身の役割について、最後に尋ねた。

 

「違う考え方を受け入れることや、人に任せることは、怖いです。どんな世界でも経験者がいれば80点、100点取れるのは当たり前ですけど、新しいリーダーなのだから60点取れたことをまずほめなければいけない。最初の頃は『なんで70点取れないんだよ』と思ってしまうのですが、僕一人で100点取るよりも、3人のリーダーがそれぞれ60点を取れれば180点なんですよ。及第点は60点であることを、まず受け入れることが重要です」

 

「60点の及第点は通過点ですから、そこから成長が始まり、やがて70点、80点に増え、いずれ100点を取れるようになるはずです。成長の分岐点は、やはり仕事のとらえ方で、事象で考えるのか、目的で考えるのかで成果に差が出ます。『仕事何やってるの?』と言う質問に、行為で答えるのではなく、それが何をもたらすのかとか、メンバーの誰をどういう状態にするのかといった目的ベースの答えが返ってくると、変わることを受け入れた成果であると実感でき、うれしいものです」

 

権限委譲のゴールを、数字の業績ではなく、“共通目的”の主体化におくことで成功を得たと言えよう。さらに、権限委譲を成功させるには何が必要なのだろうか。

 

「秘訣はシンプルだと思っています。権限や責任と言う観点ではなく、一人一人に任されている範囲が狭い状態だと、責任を取りたくても取る責任がないし、イメージしたくてもできない。任せる幅をキープし続けて、少しでも大きくできるような仕事の設計が、どの階層にも必要です」

 

「ウチもおかげさまで成長に伴い人も増えていますが、垂直に人が増えることのないよう、水平に増やさなければいけない。そのために、(幅を満たせる)パーツをたくさん作ることが、経営者の役割だと思っています。放っておけば、仕事が小分けになるだけですから」

 

自身の役割を、“パーツをたくさん作ること”と独特の表現で石村社長は定義した。しかし、筆者には新たな事業を創ると言っているようにも聞こえる。主力事業は若手幹部に任せた。石村社長は日々新たなパーツを作ることに励むことができる。それは、再び創業者としてコトに挑む姿ではなかろうか。

photo

□□ 1962年東京生まれ。1986年、日本大学理工学部建築学科を中退し、株式会社アスキーに入社。その後 1990 年にアスキーエクスプレス取締役企画部長、1991 年にアスキーエアーネットワーク代表取締役、1994 年にアスキーネット取締役、1996 年にアスキーのインターネットサービスカンパニー副事業部長を歴任。1998 年にはセコムに入社し、ネットワークセキュリティ事業部スーパーバイザーを務めた後、1999 年にEストアーを設立し、代表取締役に就任。

インタビュー一覧へ
取材日:2012年7月10日、11月2日  文:白石久喜 写真:刑部友康
↑ページtopへ

vol09リンク

vol08リンク

vol07リンク

vol06リンク

vol05リンク

vol04リンク

vol03リンク

vol02リンク

vol01リンク