研究プロジェクト

調査データ

書籍・提言

機関誌 Works

研究所について

  Home
リーダーの軌跡 Works Institute
リクルートワークス研究所
 

澤田秀雄(H.I.S.グループ 代表)

H.I.S.グループ 代表
澤田秀雄


2001 年 2月 10 日

50カ国を
旅した留学時代。
日本の標準が
世界の標準では
ないと身にしみた、
私の大きな転機でした。

 澤田秀雄氏がベンチャービジネスの雄といわれるようになってから、もうずいぶん長い時が過ぎたように思える。だが、1980年に設立した格安航空券販売の「インターナショナルツアーズ」を「エイチ・アイ・エス」に社名変更したのが90年のことだから、実はまだそれほど長い時間はたっていないのだ。人間の記憶は薄れやすい。澤田氏が登場するまで、私たちは高い航空券代を支払うのを当たり前と思っていたものだが、それさえ遠い過去のような気がするほどである。
  だが現実には、格安航空券販売を事業として成長させた澤田氏が及ぼした影響は大きい。エイチ・アイ・エスの成長に加えて、スカイマークエアラインズ、エイチ・アイ・エス協立証券の設立と、航空業界・金融業界にも風穴をあけようとする試みは、いつも注目の的だったといえる。このような澤田氏の経営姿勢とリーダーシップはどのように生まれ、育てられてきたのであろうか。

学生時代の世界旅行が
どんなときでも明るく
元気な性格を作った

 よく知られていることだが、澤田氏は西ドイツ(当時)に留学していたころ、バックパッカーとして世界中を旅行してまわった。今でも趣味はとたずねられると躊躇なく「海外旅行」と答える澤田氏は、人生の転機や、経営者としての強みも旅から得たという。
 「私の強みはめげないことでしょうね。いつでも明るく、元気でいられること。これは学生時代4
年半も世界中を旅してまわった経験から得たものだと思っています」
 「めげない」という言葉には少し解説が必要である。エイチ・アイ・エスの経営者としてはほとんど負け知らずともいえる成功続きで、高い成長を維持してきた澤田氏も、新航空会社スカイマークエアラインズやエイチ・アイ・エス協立証券のような新事業に進出してからは、さまざまな壁にぶつかることになった。たとえばスカイマークエアラインズは、保有する2機の航空機をやりくりしながら札幌や博多便という航空各社のドル箱路線に参入したものの、大手航空会社の値下げ攻勢にあい、なかなか決算上は浮揚することができなかったといわれる(今年の決算は黒字化が見込まれている)。経営の試行錯誤は、マスコミのバッシングも呼んだ。
 だが、澤田氏は「めげない」。世界中、それも好んで発展途上国を旅していたときの苦労が自分を強くしたのだと思っている。
 「文化の異なる国に行ってつらい思いをしたり、病気をしたりする。それを乗り越えた経験が私を強くしていると思います。奥地に出かけて重い病気になっても、近くにまともな病院なんかありませんからね。だいたい私が出かけるのは飛行場から陸路でさらに何日もかかるようなところが多いので、帰国することもできません。一度肝炎らしい病気にかかったことがあったのですが、誰も助けてはくれないし、これは自分で治すしかないと思って栄養豊富な食べ物を食べても治らない。ようやく病院にたどり着いたのですが、言葉が通じないので、一応薬はもらっても不安いっぱいです(笑)。どんどん体力も落ちていくといろいろ考えてしまうわけです。『もしかすると死んでしまうかもしれない。このままで人生が終わって自分はよいのだろうか。あれもしておけばよかったのではないか』と。でも、そこから立ち直ると今度は少々のことではめげなくなりますよ。
 そんなことが数回ありましたが、私は旅をやめようとはまったく考えませんでした。もともと旅行が好きだし、なんといっても旅をすれば視野が広がります。モノの見方も変わるんです。世界を見てまわれば、日本で正しいことが必ずしも海外では正しくないことを知る機会にもなる。たとえば石油ショックのとき、私は西ドイツに留学中でしたが、日本ではトイレットペーパーがなくなって買いだめに走っているのに、同じ状況のドイツでは誰も買いだめなんかしませんでした(笑)。それと同様に、20数年前、ヨーロッパでは格安航空券など当たり前だったのに、日本では航空各社が同じ路線を同じ価格でしか販売していない。早朝や深夜の便も同価格。ヨーロッパで暮らしていた私の目にはおかしいと思えることでも、ずっと日本にいる人はそれが標準で正しいことだと思い込まされているのです」
 澤田氏は、旅を通じてモノの考え方の基本を肌で学んだ。若いだけに吸収力も大きかった。世界の激変を、素直な目で予感することもできたという。
 「世界にはいろいろな国があって、その国民が漂わせている雰囲気や秩序も違います。それは当事者にはわからないけれど、あちこち旅行している私には感じられました。たとえばイスラム革命直前のイランに行ったときは、ずいぶん人々の秩序が乱れている感じがしましたね。またソ連時代のモスクワは、暗くて色がないような雰囲気がありました。『これが本当に世界の大国なのか?』と驚いたほどです。その国に出かけ、文化と国民に接するとその国がよくなっていくかどうかわかるものです。会社でもそうですね。受付から入ったときの雰囲気で、その会社に活気があるかどうか、成長しそうかということがわかるでしょう?」
 澤田氏が繰り返し語ったのは、人間はその環境にどっぷりとつかってしまうと、本来見るべきものも見えなくなるということである。日本で暮らす私たちがよい例であろう。規制があることさえ気づかずにいた時期がどれほど長いか。生活の低位安定である。環境に慣れ親しんでいくうちに、人間は「おかしい」と声をあげることさえ忘れていくものだ。その矛盾をついて立ち上げたインターナショナルツアーズは、ねらい通り順調な成長を見せた。

人間の多様性と
適材適所の大切さを
学んだ創業期の体験

 澤田氏の次の転機は、インターナショナルツアーズを設立し、社員が順調に増えて30人を超えたころに訪れた。ベンチャービジネスの例に漏れず、最初のうちは親しい友人たちが集まったファミリー企業である。意思疎通も簡単で、ワイワイ走っていればよかった。しかし人数が増え、それなりに「組織」を形成することになるとマネジメントが必要になる。最初のうち、澤田氏はそれに気づかなかった。
 「旅をしているときは、自分一人で考え、決定すればよいわけです。人に気を遣う必要もない。あるホテルが気に入らなければ、翌日引き払って別のホテルに移ることも簡単です。ところが会社の経営になるとそうはいきません(笑)。叱ると落ち込む人、やさしくするとつけあがる人と、社員の個性もさまざまです。最初のうちはそこがわからず苦労しましたね。そのうち『人間ってこんなに違うんだ!』ということに思い当たりましたが。そういう人々を動かして、お客様の旅をアレンジしていかなければならないのですから大変でした。
 私は、自分が100メートルを15秒で走れるとすれば、それができない人間がいることが長い間わからなかったんです。社員の中には泳がせたら速いけれど走るのは苦手、というタイプもいたのですが。自分のできることは人もできると思っていた(笑)。最初のうちは強要したこともありました。それで人がまとまってやめてしまったり。最初のうちはショックでしたよ。なぜやめるのかが私にはわからないんですから。
 そのうちマネジメントの必要性を学んだのです。チームを率いるには適材適所が大事です。一度優秀な人ばかりをある支店に集めたら、最初はぐっと成績が伸びたけれど、そのあとでパチッとはじけてしまったことがあります。組織には企画に向いている人、接客が得意な人、経理をしっかりやれる人など、さまざまな人を配置することが大切なんですね。
 社員によってそれぞれ優先事項も違います。仕事が第一の人、家族がいちばんの人、彼氏が大事な人、お金を優先する人……。目標も能力も違う人間を理解して、それぞれの力をうまく発揮させることがポイントです。足の大きな人に小さな靴をあてがうような経営トップのもとでは、会社は発展できないでしょうね」
 この認識を澤田氏は、さまざまな失敗を通じて身につけた。人に話を聞くより、本を読むより、痛みを伴う経験が成長の糧である。合わない靴を履かせようとしていたファミリー企業の青年社長は、やがて大規模な組織を運営する力を身につけたのだった。

既存の業界に挑んだ
航空会社と証券会社の
設立がもたらしたもの

 次の大きな転機は、やはり国内4番目の航空会社スカイマークエアラインズを立ち上げたときだったという。それまで澤田氏が関わってきた旅行業界は比較的規制の少ない業種だった。せいぜい大手旅行代理店から航空券の仕入れを止められるぐらいが壁らしきものであった。しかし、それなりに覚悟していたとはいえ、監督官庁が強力で、しかも先行する3社がスクラムを組む航空業界の壁には悩まされつづけている。
 「最初驚いたのは、会社設立を発表したときの反響の大きさでした。NHKのトップニュースになったり、新聞の一面に載ったりすることだとは思っていなかった(笑)。それだけにプレッシャーも大きかったですが、いったん手を挙げておいて引き下がるわけにもいきません。ところがこの業界は、予想以上に規制でがんじがらめになっていました。ルールがうるさい上に、パイロットや整備士、運航管理者などの超スペシャリストが必要です。こういうスペシャリストは何年もかけて養成されるため、採用もむずかしい。日本の航空会社では数千万円も稼いでいる人たちですから。かといって海外の人材を採ろうにも、しばらくは規制があってできませんでした。また、ほかの航空会社を長く経験してきた人を採用すると、前の会社の分野と体系にすっかり染まっていますからマネジメントがむずかしいんです。皆さんプライドが高いですし。正直なところ、エイチ・アイ・エスのマネジメントより数段むずかしいですね(笑)。
 私をはじめ、経営に関わった何人かは、みな40代の働き盛りでした。そのメンバーが力を合わせてもふらついたほど、この業界はエネルギーを吸い取っていきます。そのわりにはすべてがロングタームです。今日航空機を買いたいといっても納入されるのは1年後とか。今度チャーターの国際便を飛ばしますが、それだって許可が下りるまでには長い時間がかかります。
 安全第一の業界ですから、もちろん必要なルールもあるんです。しかし、いかにも古くなってしまったルールまではずすのに長い時間がかかるのは困りますね。さすがに、私も始めて1年ぐらいのときにやめたいと思いました。でもそんなことをしたらマスコミに書きたてられます。もう、やめるにやめられないというところでしょうか(笑)。やっと自社養成のパイロットや整備士が巣立ってきますので、それが楽しみ。これからは夏休みやお正月など旅行者が集中する時期にチャーター便を海外に飛ばして、その時期の旅行価格をもっと安くしたいと思っているところです。正直なところ、スカイマークの影響力は保有している航空機2機ぶんでしかないと思っていますが、それでもまだまだ役割はあるはずです」
 澤田氏は多くを語らないが、スカイマークエアラインズでも、エイチ・アイ・エス協立証券でも既存勢力の反攻がどれほど激しいものだったかは想像がつく。
 だが、札幌や博多へ飛ぶ便がこれほど安くなったり、早朝・深夜便が安くなってきた背景には、確実にスカイマークなど新規航空会社の参入があるはずだ。サービスの見直しも進んでいる。体力を消耗しながらの低価格合戦とはいえ、無条件で高い運賃を要求してきた航空3社に一矢報いたことは特筆すべきことである。
 これほど大変な事業を始めるにあたって澤田氏の頭に浮かんだのは、航空会社ができてはつぶれていくアメリカの業界だった。吸収合併もしばしばあって、今正確にアメリカのエアラインの名前を挙げられる人は少ないだろう。日本に安住しているだけでは、新会社を立ち上げるという発想は生まれなかったに違いない。
 今も澤田氏は2カ月に一度は海外に出るし、数年に一度は2カ月ほど海外に滞在することにしている。昨年の11、12月も長期滞在してきたばかりである。どれほど若いときに世界をまわっても、日本に長期滞在しているうちに視野が元に戻ってしまう危険を感じているからだ。
 それにしても、規制の多い業界に次々新規参入していく澤田氏はチャレンジ精神旺盛な人物というほかはない。
 「どんなルールが正しいのか、時代に合わせて問いかけをしていかなければ駄目だと思います。もちろんプレッシャーは大きいですが、そこであきらめてはいけないんです。価値観は逆転することもありますからね。戦前のように、体制への反対を唱えると憲兵につかまるわけでもない。吉田茂だって牢に入れられていたことがあるんですから。悪いことをやっていなければ、堂々とチャレンジしていくべきです。もっともうまくいかないと袋叩きにあいますが(笑)。
 私はマスコミにも考えてほしいんです。同じような取材をされても書く人によって良くも悪くもなる。その上3分の1は間違ったことを書く。特に今、ベンチャービジネスが叩かれていますね。でも、一度や二度の失敗は許すような寛容な風土を育てないと日本は駄目になってしまいますよ」
 たしかに、良いベンチャーも悪いベンチャーもひとまとめにしてもてはやしたのは一部のマスコミである。ベンチャーバブルがはじけたと騒ぐ前に、内容をしっかり見ていくことが大切だろう。澤田氏自身、もてはやされたり貶められたりの連続である。
 「ベンチャービジネスが育たなければ若い力も育ちません。老人が実権を握っていると進化は止まります。もちろん若くても、バーチャルの世界でだけ生きているような人は駄目ですが。若くても経験知をもった人が新しいリーダーになれるように、日本社会には寛容さを求めたいですね」
 若い人たちには視野を広げるため、もっと積極的に旅をしてほしいと澤田氏は言う。最近は学生たちも気軽に海外へ出かけるが、みな先進国やリゾート地をめざし、冒険心が薄れているのが気にかかる。
 「これも私たちが航空券を安くしすぎたせいかと、それだけは少し反省しています(笑)」

澤田秀雄氏のリーダーシップ年表

1973年 旧西ドイツ・マインツ大学に留学。アルバイトで稼いだ資金を元に、ヨーロッパ・中東・アフリカ・ 南米・アジアなど合計50カ国以上を旅する。日本の航空券の高さが身にしみる。
1980年 東京・新宿にインターナショナルツアーズを設立。会社は成長するが、マネジメント手法に悩む。
1990年 エイチ・アイ・エスに社名変更。
1996年 スカイマークエアラインズを設立。就航準備に入るが予想通りに進まず悩む。
1998年 9月、スカイマークエアラインズ就航。航空会社の運営のむずかしさを痛感する。
1999年 3月、エイチ・アイ・エス協立証券代表取締役社長に就任。証券業界に参入する。その一方で若いベンチャービジネス経営者の育成にも力を注いでいる。

澤田秀雄(さわだ・ひでお))
1951年大阪生まれ。エイチ・アイ・エス 代表取締役社長、スカイマークエアラインズ 代表取締役会長、エイチ・アイ・エス 協立証券 代表取締役社長。ドイツ・マインツ大学卒業。日本の旅行業界の構図を変えた人物として知られる。現在も新しい挑戦を続け、不当な規則を打ち破る重要性を説く。趣味は海外旅行と読書。特に歴史書が好きで、経営にも参考にしているという。経済同友会幹事・「次代を考える会」副委員長。(社)ニュービジネス協議会理事。創業・ベンチャー国民フォーラム代表幹事などを務める。


『Works No.44 機能する「成果主義」』(2001年2月発行)掲載

 
>> HOME RECRUIT