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リクルートワークス研究所
 

「ポスト90年代」を想う。

豊田義博
Works編集長


2000 年 2月 10 日

 日本は、自信を取り戻しつつあるのだろうか。2000年は、日本の歴史的な転換点になるのだろうか。
 経済4団体首脳、各界経営者の新年の声は、近年になく明るいものだった。昨年初からは景況が好転したことを誰一人否定していない。一部に慎重な声もあったが、発言者を見れば政策の方向転換を牽制するかの意図も読み取れる。
 株価も、アメリカの動向によって多少のゆり戻しがあるものの、その回復力には力強さを感じる。この原稿が世に出る頃には、2万円台に乗せているかもしれない。ナスダック・ジャパン、マザーズの存在も含め、株式市場には明るい展望しか見えないかのようだ。
 巷間を賑わせた失業率も、昨年末の発表では4.5%まで改善している。今年中に5%を超えるとの予測もあるようだが、根拠は希薄だ。年度末に発生する若年失業を織り込んでも、もう社会を震撼させるような数字は聞かれないのではないか。政府のカンフル剤的な政策の効果の程は疑わしいが、企業や個人が状況を自覚し、自立的に対処する術を身につけつつあるように感じる。
 いずれにせよ、日本は難しいカーブを、車体に無数の傷を付けながらもなんとか抜け出そうとしている。あるいは、悪いものは全部出尽くした。底は打って、あとは良くなるばかりという解釈。GDP年率1%の成長を見込めるとの声もある。後半には2%とも。そこで、考えてしまう。その成長の先には、何があるのか。何のため、誰のための成長なのか。

 1990年代は「失われた10年」だという定義が一般化しつつある。確かに、バブル崩壊に端を発する一連の出来事は、それまで積み上げてきたものを無に帰するほどの力を持っていた。新たなものが何も生み出されていないかの印象を持っても不思議ではない。同時期にアメリカが興隆を極めたのも、こうした解釈を助長するのであろう。加えて、その前の10年間、80年代は全く立場が逆であった、ということも拍車を掛ける。
 そして、多くの人が口にするのだ。「アメリカに学び、いま一度日本の復活を!」
 そのためには、中小企業の活性化だ。ベンチャー支援だ。開業率の向上だ。起業・独立を推奨しよう。
 規制緩和の手を緩めてはいけない。国際競争力の向上のために、政府は、大企業は既得権を放棄せざるを得ない。
 あるいは。アメリカ人は、日本人よりはるかによく働いている。日本人は勤勉性を失ってはいけない……等など。
 こうした言動、取り組みに否定的なのでは決してない。ただ、こうしたことが「産業の発展」とか、「GDPの増加」といった一面的な方向のみから議論されていることに、時代錯誤を感じる。
 バブルのような時代は、もう二度と来ないだろう、と言っている人もどこかで安定的な成長を願っている。既存のパラダイムから脱却せずに、80年代の興隆の「夢よもう一度」との夢を見ている。本当の意味で豊かになる、という議論を永く先送りしている点においては、「失われた10年」と言わざるを得ない。そして、雇用・労働の問題に目を転じても、これは同様だ。

 90年代、「人と働き方」はどのように変化していくと予測されていたか。当社発行の求人広告研究誌「HUMAN AD」Vol.3(1990年11月刊)をひもとくと、こんな言葉が踊っている。
◎ 経済のサービス化、ソフト化、成熟化に伴って、人材の流動化が加速
◎ 新卒入社即離・転職パターン(第二新卒)
◎ 企業の中核的事務系エリートの転職活性化
◎ 「非正規雇用」増加。企業組織のスリム化とワーキングスタイルの多様化
◎ 「終身雇用」は後退。働く個人の適性をより活かす方向に
◎ 仕事も生活も充実させるワークシェアリングの進展
◎ 「女性の力」が必要な時代。家庭と仕事両立の支援が重要
◎ 中高年に光。能力と意志が活かせる「エイジレス時代」の到来……
 最先端の予測でも何でもない。我々が日常の仕事の中で「個人」「企業」の動向を捉え、90年代にはこのような変化が起きるだろうと感じていたものだ。しかし、どうだろう。飛び交っている言葉は、今とほとんど大差がない。いや、中には退化しているものも見られる。あるいは、90年当初は積極的な社会変革の方向性として語られていたことが、現在においては、消極的に選ばざるを得ない選択肢として提示されている感すらある。バブル崩壊の余波は、こうした社会変革の推進まで抑制させてしまった。
 そう、現在叫ばれている雇用問題は今に始まったものでは全くない。失業率の急騰によって社会問題化しただけであり、課題と変革のシナリオは、80年代末、バブル真っ盛りな頃から語られていたのだ。

 思い出していただきたい。90年代は、「個人の時代」と言われていた。経済の爛熟を経て、社会の主役は、国、企業から「個人」へとシフトする。既存の価値観は緩やかに崩壊し、生活、労働、消費その全てが多様化する「熟年型社会」がやってくる……そんな文脈ではなかっただろうか。そしてその文脈は、形を変え、逼迫度を増しながら、今も存在する。堺屋太一経済企画庁長官の掲げた「選職社会」および、国民生活白書に語られている方向性、価値観の変化は、産業界が受容せざるを得ないものであり、かつ、その時の主役は必ずや「個人」でなくてはならない。

 本誌36号でも紹介させていただいた書籍『日本はなぜ縮んでいくのか……人口波動で解き明かす21世紀のイメージ』(現代社会研究所所長、青森大学社会学部教授 古田隆彦氏著/情報センター出版局)は、昨年乱読した中で最も記憶に残るものであった。本書によれば、「歴史上、日本列島の人口は4度の大きな増加と減少を繰り返し」「いま、5度目にして最大の人口減少期を迎えようとしている」。こうした時期には、歴史的に共通したパラダイム変化が起きているという。同書ではそれを「成長・拡大型社会(国家)から飽和・凝縮型社会(国家)へ」と呼んでいる。
 欧米との対比においては、「90年代のアメリカが好調なもう一つの要因は人口の急増」「アメリカは21世紀中頃まで人口が伸びていく若い国」「日本はあと数年で人口減少がはじまる中高年国家」「日本のフロントランナーは、20年も前から人口が飽和し、経済が停滞した北欧・西欧の国々」と喝破する。
 そして、80年代と同様の経済政策の無意味さを指摘し、GDP0%成長でも、個人ベースで見れば豊かになるとも説く。かつてなく共感できるビジョンであった。
 Naughtiesとも呼ばれる00年代に、こうしたパラダイム変換は実現するのか。日本は、世界に冠たる「個人が豊かな国」に変貌を遂げられるのか。



とよだよしひろ
(株)リクルート入社後、新卒採用事業に長く身を置き、企業への採用広報提案、就職情報誌の編集に携わる。『就職ジャーナル』『リクルートブック』編集長を経て、98年4月より本誌編集長。

『Works No.38 リーダーシップの視界』 (2000年2月発行)掲載

 
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