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1999年4月から、すべてが始まった
菅原 経営改革に早急に取り組んで、実現をしようという動きになってきたのが、1999年の4月からなんですよね。初めての連結で、3000億を超えるような赤字決算になった時に、問題意識を具体的なアクションとして起こしたのが、その時期だったんです。 その時に、人事部門が経営改革の中で、どういうことをターゲットに、何をしていくかというのが、まずその段階で決まったんです。それは例えば、株主重視という世の中の流れを受けて、社内も透明にしていくんだとか、意志決定のプロセスまで、やっぱり株主に見せていくだとか。 経営組織についても、それまでは30人ぐらいの常務会で、社内の意志決定はしてたんです。それを取締役会で決議をするという形。しかし、意志決定というのは、7、8人が限界ではないのかと。今は、経営会議という形で実現したんですけれども。 そういう当たり前の問題意識の中で、どういうふうに意志決定をしていくべきなのか、そこで意志決定する項目っていったい何なのか、社内分社された各グループのCEOは、何を決めて、コーポレート(本社機能)は何を決定するのか、大幅に権限をグループに委譲する中で、コーポレートはコーポレートポリシーを、どういう形で実現していくのか等が語られだした。 その延長線上にあったのが、評価制度なんです。意志決定とか、あるいはそれができる人材像を巡る議論の中で、成果主義を重視するということだけではなくて、やっぱりプロセスだとか、動態的な人材っていう見方の重要性が語られたんです。 例えば日立バリューは、スループットを評価する仕掛けなんですよね。行動を評価するということ、イコール、スループットを評価する上での要素ってやっぱり明確に、具体的にしていかなきゃいけない。じゃ、コンピテンシーなのか、という議論もあったんだけど、これだけの規模の企業で、これだけの業容の違いのある会社で、コーポレートレベルでコンピテンシーモデルを作るのはナンセンスだ、という最終判断をして、コンピテンシーの一つ手前のバリューを明確にしていこう、となったんです。
――それまではどうだったんでしょうか? 日立が、スループット、いわゆるプロセス評価をそれまでしていなかったとは思えませんが。
菅原 その人のスループットも当然考えた上で、アウトプットも考えた上で、評価をしていたんだけれども、何も残らない。
――残らない? 菅原 頭の中で判断をしているだけで、結果しか残っていなかったんです。人事考課表みたいなものは、当社にはなかった。総合評価という名のもとに・・・・・・ね。総合評価というのは便利な言葉で、上長の意志によって、如何様にでもできるんです。コーポレートのポリシーが評価者に浸透しているという前提に立てば、非常にいいやり方なんだけれども、必ずしもそうではない。という中で、スタンダードを決めて、評価の視点はこうなんだということを日立バリューという形で示して、それを評価につなげるということを、思い切ってやったんですよね。それが、人材の動態的な見方の一つの方法だったんです。それを評価制度という形で実現したんです。 もう一つは、人材の発掘、育成、ポスティングにつなげていくために、人材をどう把握していくかという問題。 「優秀な人材」と言うときに、例えば、パーソナリティーだとか、それに裏づけられた具体的な業績という観点がありますよね。それが、これまでは極めて部分的に、だれかが知っているだけであって、人材の動態的な強みや弱み・・・・・・人材アセスメントみたいなものが、何も体系化されてなかったんです。でも、議論を進める中で、次期経営幹部となる人材を明確にしていく必要が当然出てくるわけですよね。そこで、コーポレートレベルでは、約200人ぐらいの、技術のオーソリティーなんかも含めた人たちを発掘して、ウォッチをして、必要だと思われる育成施策を打っていく、ということを実行に移したわけです。 日産自動車は、ゴーンさんという、ある意味では日産のDNAを持ってない、強力な推進者が来られて、それで日産のDNAを破壊して、新しいDNAを確立していった。そういうふうに経営改革をやった。 で、日立は? そういう方法だってあるんだけれども、自浄作用で、直していけないのかなと。いいDNAはやっぱり残していきたいし、でも、本当に変えなきゃいけないDNAは変えていく、というのを、自浄作用でできないのかなという中で、思い切って社内の力でどこまでやれるかということで、社長が旗振って、自分たちも、本当に普段思ったことをずばりぶつけて、やっていったわけです。
人事部門という「邪心なき存在」
――99年4月の段階で、そういう機構改革、いわゆる組織の変革に対して、人事のスタンスを決めたというお話がありました。そして今は社長直結の組織になっている。 しかし、私の認識で言うと、日立の人事って、とても大きい存在であったと思うんですけれども、経営と強くシンクロしてたのかというと、もう少し別な存在であったのではないかと。いわゆる経営変革だとか、そういうものと近しいというよりは、もう少し別個の、何か大きな組織としてあったような認識があるんです。 それはどうなんでしょうか、人事のあり方とか、ポジショニングとか、経営との距離感というものは、今回の一連の中で、変わったと言えるんでしょうか?
菅原 同じ人事部門といっても、事業グループで、具体的な事業の中に入り込んでいる人事機能部門というのは、大きなポリシーの中での役割を、明確に果たしていますよ。だから、それは、かなりシンクロしていると思います。 ところが、それまでの本社の人事勤労部門の役割っていうのは、各事業グループとのいろんな問題を、コーポレートレベルでサポートしたり、あるいは決着する支援をしたり、ということがメインだったんですよね。もちろん、中央でいろんな労働条件を決めていくだとか、こういうのはもちろんやっていましたが。 そういう意味では、コーポレートとしての改革っていうのを、先頭立ってやったというのは、今回が初めてでしょうね。 実は、人事部門の人材の多くは、勤務地は変わっても、基本的には人事労務畑で異動していくんです。ローテーションのなかでいろんな職能をやってるわけじゃなくて、単一職能の中で育っているんですよね。この良し悪しというのはありましてね。 悪い面で出るのは、部分最適化をめざすような動きになっちゃったりするような懸念があるんですよ。逆に、この組織の良いところは、直言できるというかな、自分たちはこの分野のプロとして、邪心なく経営にものが言える。邪心なく社長に、直接意見を戦わすことができるという正義感みたいなものも、ちゃんと持ち合わせているので、正しい道を切り開くという時に、体を張れるという体質を持っている組織だと思っているんです。 そういう体質と、組織の強みを持っているので、できたんだと思うんです。もちろん、高邁な理論だとかね、そういうのももちろんあるけれども、それはどこの会社だってできることなんだと思うんですよ。 で、どんどんそれをやりました。「社長はこういうふうに考えるべきじゃないのか」というのを、もう先手先手でぶつけていった。だから社内の軋轢は、ものすごく向いてきましたよ、わが部門に。
――今までと違うやり方で、とりわけ大きく変えようとした時に、そのポジショニングを取られていると、必ず反攻にあうでしょうね。
菅原 織田信長と森蘭丸の関係だと思ってた人もいたんじゃないんですか。でも、森蘭丸ではなくて、自分たちが、本当に会社として正しい道だと信ずることを、邪心なくそういう方法でやってた。方法が気に入らないのは分かるんですね、だけども、必ず会社として正しい道を歩むという信念でやってたから、自分の立場を良くしようだとか、自分たちの部門をもっと強い立場に置こうとか、そんな邪心は一つもなかったですからね、これだけは自負しているんだけど。それでも責められましたよ、「何だ、あの野郎は」と。そういうもんですよ、会社というのは。
推進エネルギーの源泉は「人材」
――何がそこまでそうさせたんでしょう。何が菅原さん、ないしは菅原さんの組織をそこまで突き動かすのか。 人事をずっとやってきた中で生まれた、日立という会社に対するロイヤリティーの集積なのか、もっと別に、何かある種のエンジンがあったのか。例えば、今、庄山さんとすごく近い立場だと思うんですけれども、以前に較べて、社長という存在とより直結したことによって、いろんなことがすごく動きやすくなったからだとか。どうでしょう?
菅原 僕ね、入社した時から、ぼやっとはしてたけど、会社に執着するっていう感じってなかったんですよね。自分のこのやりたいことを、やりたいようにできなくなったら、やっぱり辞めるんだろうなという、漠然としたものって、ずっとあったんです。 それで、何回かありますでしょ、本当に辞めよう、なんて思うようなことも。だけどそういうことにならなかったのは、やっぱり会社の持っているポテンシャルに引っかかりがあるんですよ。 一つはやっぱり人材かもしれないな。自分が会社の中で、すばらしい人材と出会った、これが引っかかりの一つで、こういう人たちと、もっと、「こんなことができるんじゃないか」というのはあったんですよね。 一般的に、優秀な人材が多いというんじゃなくて、現実に自分が出会った中で、本物の人たちというのは、こんなにいるんだなと実感しているんです。そういう人たちともっといいことができるよな、という意識が現実にあったし。そういうものが、21年やってこれた原動力なのかなと思いますね。
――経営があって、従業員がいて、人事は、その真ん中にある存在だって、よく言いますよね。でも、経営に寄りすぎちゃって現場が見えていない人事もあるし、逆に労組的なポジションで、経営と反目するような人事もある。 菅原さんは真ん中にいながら、経営側というより、優秀な人たちを、もっと活かしたいというエネルギーのほうが、やっぱり強かったということですか?
菅原 「活かしたい」なんて、そんなおごった気持ちがあるんじゃなくてね(笑)。 突き詰めていくと、自分の個性だと思うんです。人事の仕事って狭く見れば狭いんですよね。形式的な業務、あるいは期待される範囲って、絵を描けばこんなもんだと。例えば目標管理なんかで来期のターゲットを決めるわけだけど、そこに書いてあることは、当たり前のことなんですよ、そんなものは。 で、問題提起がされたり、あるいは偶然、自分がある出来事に出会った時に、好き嫌いじゃなくてね、興味があるんだ、実際に僕は。だから、どうしても入っていっちゃうんですよ、中に。そうやってやっていくもんだから、必然的に仲間ができちゃうんですよね。
コミットメントなしには何物も得られない
最近で言うと、ユビキタス(ubiquitous)社会の到来なんて言われているじゃないですか。いつでもどこでも何でも、自分のやりたいことができる、こういう社会になる。「何だ、それは!?」・・・興味あるわけですよ。 この会社は、運動会パワーで持っている会社でしょ、縦割りにね、集団対抗のエネルギーで、「勝つぞ、あそこに勝つぞ、あそこには負けねえぞ」と。だから、それがエネルギーになっている会社だから、今の事業グループ制にしたって、すごく活きるんですよ。 ところが、ユビキタス社会の到来っていうのは、そのマネジメントを否定するようなことじゃないですか。例えばITS、あれもある意味では、ユビキタスの一つの側面かもしれない。ところが、それを実現しようとすると、日立の中で縦割りグループを、全部横に束ねないとできない。
――おっしゃる通りです。ネットワーク型組織とか、自律分散型とか、色々言われる文脈と似ていますよね。
菅原 わが社が1番苦手なマネジメントというか、めざしてきたマネジメントと違うことをやらなきゃいけない。人事組織の人間として、こういう思いがあって、いったいこれは何があそこにあるんだろうという興味があるわけですよ。だから、ずーっと入り込んじゃうわけですよね。 そういう中で仲間ができてきて、向こうも人事の菅原に色々な要望を出してくる。自分も実現すべきだと思ったことは、こっちからも攻めていく。それが実現していくという喜びも、何度か経験しているし。で、そういう中でしか出会えないんですよ、すばらしい人材というのは。 仕事には3種類ぐらいの関与の仕方ってあるんだろうなと。1番強い関与の仕方はコミットメント。二つ目は、インボルブぐらい。三つ目はただのオーガナイズというかな。それが1番弱い関与の仕方。でも、それって、自分が決めるんですよね。自分が規定しているんですよ。 コーポレートの仕事は色々な側面があるので、関係なさそうな情報も舞い込むわけですよ、その時には「一応、知ってたほうがいいかな」とか「知ったふりするかな」と。これはただのオーガナイズ。もう少し入っていけても、それ以上は、「立場が違いますから」とかね。こんなやつがいるわけですよ、いっぱい。これはインボルブ。意見は言うけど、際どくなってくると逃げちゃうんだ、そういうやつって。そういうの大嫌いなんだ(笑)。やっぱり、やるんならコミットする。ちゃんとコミットしてやってく。 で、コミットできないことは自分がそういうふうに示さなきゃだめですよ。じゃないと卑怯なんだ。相手に期待させておいてね、コミットしてくれるかと思ったら、すっといなくなっちゃう。だったら、「自分はインボルブしかできないよ」って宣言をして、そして相手もその範囲での期待をしているという関係じゃないと。際どくなったらすっといなくなっちゃうような人、いっぱいいるんだから(笑)。 でも、コミットしていくとね、本物の人材にもいっぱい出会えたし。
次代のリーダーはどこにいるのか?
――この4月、事業グループや関連会社のCEOを大きく刷新し、年齢も大幅に下げる、という変革をされましたよね。年齢を下げるということも大変なことだとは思いますが、然るべき人間にしていくんだという、ある種のリーダー像と言えばいいんですか、CEO像というか、そういう部分が明快であったからこそ、ああいう決断ができたんじゃないかと思うんですが?
菅原 200人の次期経営幹部を発掘をする時の人材の視点というのは、やっぱり明確にしているんですよ、今。ただ、それがね、本当に日立の考えるリーダー像で、もう、寸分の揺るぎもないものかと言われると、まだそれは試行錯誤の中でやっているんです。でも、一旦、そうセットして、人材というのを見てみようじゃないかと。 人材委員会というボードがあるんです。副社長以上で年1回やっていて、だいたい100時間ぐらい議論するんですよ。
――経営会議よりも、もっと絞り込まれたなボードなんですか?
菅原 そうですね、まあ、ニアリーイコールですね。 100時間、毎年ある時期に集中して。だから4時間×何回とかね、2ヵ月間ぐらいの間に、そこを予定を取って、一気にやるんですよ。その中で、視点をまず捉えた。どんな資質が必要かという観点もあったし、資質に裏づけられた、発揮する役割という観点もあった。 かなり明確にしたんですよ。ただ、既にその人の持っている資質があって、それが何らかの形で発揮されているんであれば、正しいアプローチなんです。あとは見定めていきゃいいんですから。 ところが、その時に僕が思ったのは、わが社の場合、発揮できる場をどのぐらい思い切って与えているのかという点。やってみなきゃ分からないですよね。若返りというのは結果論であって、今回やったのは、これだと思う人に、思い切って、場を与えてみようじゃないか、単にそれだけなんですよ。 「たぶん、そうだよね、この人だよね」というのはわかる。でも、その上にも優秀な人がいる。この人が優秀であればあるほど、次世代の人たちは、その傘の下で、楽に生きていくわけです。で、この人ってなかなかの人なんだけど、場を与えられないから、冷めちゃうんですよ。この優秀な人たちが、そろそろリタイアかというころに、ようやく出番が回ってくる、ということがあるんではないのかと。やっぱり旬のうちに、その場で活躍しなきゃいけない。 人間って、いろんな経験をすればするほど、コンサバティブになってきますよね、いろんな情報が入ってくるから、いろんな経験をするから、失敗をしないようになるんですよ。失敗する確率が低くなるかわりに、大成功する確率も低くなるんです。
――ああ、面白いな、それはそうかもしれない。
菅原 例えば40過ぎて課長なんかやったって、疲れちゃってる(笑)、20年も経ってね。やっぱり生意気で、「何言ってんだ、この野郎」ぐらいの時代にやってるから、面白いんですから。 関連会社の社長は、これまでは「あがり」のポストみたいな感じだったんですよ、役員会のね。そういうところにも思い切って、全ての役員の中で最若手の社長を、ぼんと入れちゃったから。場なんです、それも。 社内の分社化された会社にも、同じように、50歳ちょっと超えたぐらいの人たちを、ぼんぼんぼんと。それも場なんですよね。今まではなかったですよ、順送りの中では。「やらせてみようよ」という議論・過程の中で、社長とやってきて、実現をしていったんですよ。
――米国の研究者が言ってたんですが、可能性のある人材の数に対して、組織の中における、いい経験をさせる場の数は少ないんだと。ポテンシャルを持った全ての人材を然るべきレベルにまで育てていくという仕組みは、残念ながら、どんなに大きくても、組織の中には存在しないというんです。 結果的に、より早く育つ人間を選んで、その機会を与える、つまり早期選抜していくという、必然的にそういう話になる、なんて話があったんです。
菅原 それは半分はアグリーなんだけど。 経営のプロになっていくというのは、今までで言うと、最優秀な人材だけのゴールだったはずなんだけど、そうじゃないんですよね。その人たちはいろんなことができちゃうから、例えば、開発案件まで口を出したくなっちゃうわけです、できちゃうから。 「そうじゃない、経営のプロというのは、経営のリソースとタイミングと、そのジャッジするための情報をとことん吸収して、それでタイムリーにジャッジを下すことが使命なんだ」、そのためにやらなきゃならないことは、いっぱいあるわけです。経営のプロは、そこに徹したほうが、経営のためにもプラスになるんです。だから、そのミッションを明確にして、実際にそれを全うするように誘う。計画的にアサインをするし、計画的にそのミッションを理解してもらうようにするし、分かれば、力を発揮する人、いっぱいいますからね。 だけど、それだけじゃないと。具体的事業をドライブしていくプロというのも、すばらしい受注を取って、すばらしいWin-Winの関係を実現していく人材も極めて重要なんです。で、そのためにやらなきゃいけないことって、経営者と全然違うんですね。 能力の根源は同じところにあるかもしれない、目標設定能力とか達成意識だとか、あるいは人をひきつける資質だとか、たぶんあるんだと思うんですよね。だけど、役割が違うんです。 技術のプロも同じなんです。この人たちに経営ができないかというと、絶対できないというわけじゃない。でも、役割は違う。そう考えて、優秀な、有能なポテンシャルを持っている人たちに、役割に応じた場を与える、場の種類を設けたんです。 経営専門群、事業専門群、そして技術・知識専門群という役割群を作って、それぞれを発掘・育成していこう、という考えなんです。
あたかも日本の政治のように
――99年、実際に手を打ち始めてから、2年の時間が経ちました。でも、これだけの大きな組織が、本当の意味で変わるというのは、そんな短い時間じゃないと思うんです。大きいだけに、当然、曲がるのも、慣性モーメントはすごく大きく掛かるというんでしょうか。しかし、「日立が何か変わってきたんじゃないか」と言われていますよね。 菅原さんご自身は、今をどのように認識していて、今後に関しては、どれぐらいの期待感を持っているのでしょう?
菅原 マラソンで言うと、まあ、最初の5キロが、ようやく、思った5キロが走れたなという感じだと思うんですよ。42.195キロ先に、具体的に描いている日立像というものを、どう実現していくかということについては、まだ、残り35キロ以上ありますよね。でも、「できるな」っていう、何か感触が出てきたかなという気がする。 何となくこのまま行けそうな気がしてきたなと。あとは具体的に、どこで振り切るかとか、どこで水を飲むかとか、そういうことを、ちゃんとやっていけそうな気がしてきたな、という感じですよね。何か神経系統がちゃんとつながってきたなという感じがする。
――つながってきたぞという実感値というのは、経営データ、財務データに表れている部分の話ばかりではないですね?
菅原 そういう芽が出てきているのもあります。でも、他にもいろいろな変化が起こってきていますよね。例えば、社内の部分最適に動くような、部門の利益を優先させてしまうような人たちが、発言できない会社になってきました。そういう立場で発言できない。 当たり前の話なんだけど、これだけ大きくなってくると、あるんですよ、部門の利益を守ろうとかね。でも、そういう動きをするのが不健全だというのが浸透してきましたよね。会社として、あるべき姿に、どういうふうにコミットしていくかという意見はいくらでも通るようになったけど。
――それは絶大な変化なのかもしれませんね。
菅原 社内的にはね。
――しかし、改めて感じますが、日本の政治のあり方と似たような話じゃないですか(笑)。
菅原 よく話しますよ。霞が関でもこんなことをやってんだろうなと。
――本当にそう思いますね。ある程度まで大きくなると、何かそういうメカニズムが働いちゃうんでしょうね。
菅原 あるんですよ。大きな組織っていうのは、最大効率を求める時には、プロセスで分業するのが1番効率的だったんです。だから部門とか、できてくるわけです。それはビッグビジネスの特徴なんですよね。
――そうだよなあ、縦割りと揶揄される行政のあり方、そのまんまですもんね。
菅原 でも、効率はいいんですよ、確かに。それが行き過ぎちゃうのは、縦割りが悪いんではなくてね。時代の変遷もあるんだけど、どんないい制度も制度疲労なんですよ、僕は昔から言ってるんだけど。官僚制が悪いんじゃないんですよ。で、時代も環境も変わってきたから、膿のほうがいっぱい出るようになっちゃった。気がついたら直したらいいんですよ、過去を批判しちゃいけない。選択が間違いだったんじゃないんですよ。気がついた時に、直すエネルギーが残ってるか残ってないかですよね。
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2001.6.28 東京・御茶ノ水の日立本社にて。
※同社の経営改革の概要につきましては、金井務会長が2001年4月に経団連にて講演された際の資料をご参考ください。→資料
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